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ハハキキ (短編) [小説風]

夏目漱石は晩年、相当神経が衰弱して、妄想か幻覚に

悩まされたようだ。ひどい胃弱で、間欠性爆発障害

かもしれないひどい癇癪を起すことがあり、子供たちも

大人になってから、怖かった、と話している。普段は

子供にやさしい漱石だったから、そのギャップがひどかった

のだろう。僕は漱石と気質が似ていて、胃が弱く、怒ると

アドレナリンが胃に拡散されるのか、ひどく痛み、治まる

のに3時間くらいかかる。以前は、年に1,2回の癇癪を

起こして、そのあとひどく落ち込んだものだが、瞑想で

その心の起点を突き止めてから、対処ができると安心した

のか、平気になり、これは完全に収まった。

漱石の神経からとみられる半狂気じみた行動は、だから

自分にはないと、そこに漱石との相違を見ていたのだが、

このコロナの自粛から、10か月に及んでからは、どうも

自信がなくなってゆくようだ。自分のストレスが心に

及んで、どうも正常な神経ではないようなのだ。

寝ながら、夢で半狂気の真似をしながら、上半身裸、で

うちのに写真を撮らせているのだ。人はもうろうと夢を

考えて(つくって)いる。考えたことは行動に出やすい。

これはその前兆かもしれない。  



< ハハキキ > 

源氏物語の第二巻の名は「帚木(ははきぎ)」である。ある

地方でも「帚木」は多くの姓になっている。処によっては、

その読みを「ははきき」、または「ははき」と呼ぶところがあるが、

国家管理局の帚木管理官も、「ははきき」だった。

ある日、ポストに奇妙な封筒が入っていた。少し、大きめの

封書で、丸く膨らんでいるのだ。触ると、柔らかい。

あて名書きが「母聞き様」となっていて、少し驚く。切手が

貼っていなかったので、直接投函したものだろう。薄気味悪い。

そして、封書を開くと驚いた。入っていたのはトイレットペーパー

を丸めたもので、そこに鉛筆でこまごまとした文字がびっしりと

書かれていた。保険がドータラ、税金がコータラ、と意味の

わからない文だった。 


「管理官」と副管理官の山本が、帚木の執務室で報告して

いた、「あのトイレットペーパーは、どうも最近の告訴ブーム

に関連しているようで」

「告訴ブーム?なんだね、それは。初めて聞くなぁ」

「はい、私もそれが目立った事件をおこしているといった

わけではないので、別々のことと思っておりましたが、

馬小屋大学の教授及び、豚サッカー大学の教授及び、

牛糞大学の教授という三大学の三教授に話を伺って

どうもひとつの社会現象ではないか、と。」

「そうですか。それは奇妙な話ですね。よく調べました。

その話を聴きましょう。」 と、ははきき。

「はい、まず馬小屋大学のA教授ですが、県への政府の

提案した事業が不審だったもので、村の爺婆が議会に

押しかけて、陳情をした事件があったのですが、議員の

一人が「それではあなたたちは国を相手に訴訟でも

起こす気ですか」と発言したのが、きっかけになって

「ソショウ?ってなんだべ。」

「ソショウはそうしようかい?」

「それで国が謝ってくれんかい?」

と、喧々囂々、終止がつかず果ては、

訴訟=そしょう、そしょう=そうしようと爺婆に伝わって

「ああ、そうしよう、そうしよう」

と、訴訟なんだか、そうしよう、なんだかわからずに

告訴に至る、という経緯があったのです。これをA教授は

ストレスのなだれ現象と呼ぶそうです。」

「告訴ブームのはしり、という事件ですか」

「そうとも言えます。次に行ってよろしいですか?」

「はい、聴きましょう」 

「豚サッカー大学のB教授によれば、・・」

「あー、山本君。その豚サッカー大学だが、ひとつ聴き

たいんだが、スポーツの大学専門ということなのかな?」

「はい、いいえ。これは昔、豚にサッカーをやらせたら、

豚がサッカーを覚えたそうで(これ、実話らしい)、それを

見た校長が独立して大学を創立して、豚から学ぶ態度を

学生も吸収するようにと、名づけたそうです。」

「そうかね。うん、感心な校長も昔、いたんだな。では続き

を話してくれ」

「はい。そのB教授が言うには、このところ神社参り、寺院

詣でが急増しているとのことで、コロナの感染対策が間に

あわない寺社もあるそうで、長蛇の観光客も珍しくない

のは、これもストレスから人が無意識に寺社の神仏に

頼ろうとする現れだろう、ということです。」

「告訴と関係あるのかな?」と、ははきき。

「それは次の牛糞大学のC教授がまとめて言ってます。」

「その牛糞大学の、ギュウフン、だが、いや、すまない。

やめておこう、どうでもいい、続けて」

「えー。C教授によると、これは江戸時代に起きた伝統の

ええじゃないか騒動の新しいひな形ではないか、と言って

います。・・・・・・(帚木から質問はなかった)いいですか?」 

帚木は軽く、うなづく。

「これはおかげ参りという、江戸から伊勢神宮へ集団で

詣でたもので、60年周期で3回起こったそうです。踊り

ながら三日から十五日もかけて全国から集まったそうです。

明治維新によって消えましたが、またそれが形を変えて

告訴や寺社参りとなったのではないか、集団ヒステリーの

一種だと。告訴はストレスからの要求が外に対して、社会

に対して現われ、寺社参りは内に対しての行動では

ないか、とC教授は分析しています。」  

「そうかね。」と言って、帚木は椅子から腰を上げた。

「どうしたものでしょうか。早急に対策チームを立ち上げ

ましょうか。」  

「山本!・・・山本君。」

「はい!」 

帚木は広い窓から、首都のビルのジャングルを眺めた。

そして、ひとつ肩で息をした。

「あのね、・・・」と、言葉を止めると、

「なにもしなくていいよ。」

「はい?」 

「ほっときなさい。それが国民の自然な発散の模様なら、

ほっときなさい。」

「そうですか」

「山本君。不満かね?」 

「いいえ。そんなことは」

「自然に起き上がったことは、自然に解決させた方がいい、

そのほうがうまくいく。この事例はそういうもんだよ。

ご苦労さん。」




**
作者としては問題になるまでは放っておくのはいいとしても、

ストレスの原因は解決しないんじゃないか、と思う次第だが。

いい時代だった、これまでのような方策は役に立たないだろう。

ヒステリーは19世紀に流行した。ジークムント・フロイトが

精神分析を発見・創始してヒステリーの研究もしたが、解決

を見ずに、ヒステリーは時代の多様化と共に自然消滅して

しまった。現在はその何十倍の精神病名が分類されて、

患者を安心させるのに役立っている。(ともかく、名前

が決まっているのだから、治療法もあるだろう、と素人

は考えるから。実はないのだが・・・。)

僕もヤバクなってきたので、何が起こるのかわからない、

そんな気がしてしょうがない。ブログは書きたいが、

パソコンを開いてブログの画像が出てくるのを想像

すると、嫌悪と小さな吐き気を覚えるのだ。危険信号。

それがここ2ヵ月は続いている。なんとか凌いでは

いるが・・・・。

今日は長時間、車で近隣を10kmほど、初めて回って

ストレス解消してから、書き始めた。うちのとはよくある

コロナくち喧嘩して、胃が痛いから、夕食はいらないと

伝えてある。人間、しようもないものだ、もろい。書いて

いることなんかその人間のほんの一部だからだ。

ほんとにヤバイ。

                   12.01 
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