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リベラルという不審で混惑な政治文化 [政治]

街を見たいと思う。そうすると、それは  

日本の話ではなく、海外のことだ。  

どうしてそうなるのか、中世のヨーロッパ、  

その石垣の街並みや、古い煉瓦や石の家の  

街が思い浮かぶ。  

これはずいぶん、若い頃からそうだった。  

リベラル、少し緩い解釈かもしれないが、  

自由を夢見るのは、この映像が背景に  

あったからだと思う。それでカフカの審判(小説)  

には小説よりも、その旧ユダヤ人街(カフカは  

ユダヤ人)を訪ねてみたいと考えていた。

欧州の煉瓦・石畳文化があるのか、知らないが、 

なぜか惹かれる。それで自分は以前にヨーロッパ

に生まれたことがあると勝手に考えていた。

ティータイムに親しみがあって珈琲より紅茶だった。

そのタイムが重要だった、貴族にとって。  

それは精神的な夢だったようで、自分を消し去る  

ほどに枠だけになった自己というものから、最近  

その体験で日本ばかりが想定される夢ばかりが  

心に想起される。  

アメリカ文化ばかりが全盛だった時代にいたので  

アメリカナイズされていた。自由の気風は僕の 

性格に合ったらしい。よく知らない神は友達に  

思ってればいいし、天皇は隣のおじさんだと思って  

いた。それがリベラルだと知ることもなかった。  

実にこの齢まで、知的に傾いていたから、天皇の  

女系とか男系とか、どうでもいい問題で、なにが  

影響するのか、受けるのかも興味がなかった。  

単にリベラルというのではなかっただろうが、  

日本が何度も挑発されて、真珠湾を攻撃する  

ように誘導されてしまった、という隠された史実  

を知っても、それが事実だとは長年信じられ  

なかった。僕らの知る歴史が実に操作された  

いい加減なアメリカのこしらえた史実だと、  

この頃ようやくわかってきた次第でもある。  

戦争を学ぼうと思ったのが、1990年だった。  

戦争を知らない、知らなければ、という謎の  

指令が頭で鳴り始め、「戦争」という文字が  

毎日頭から離れなかった。そして、イラクの  

アメリカへの挑発的な演説で、戦争が始まる、  

とこの時は異様にはっきりと直感で確信した。  

空爆で短期間に戦争は終結したが、これは  

終わらない、という確信もこの時持った。  

それは当たることになってしまった。  

宗教上の対立よりも、経済の、主にエネルギー  

の獲得のための戦争、そして武器を敵にも売る  

という自国をも裏切る闇でも表でもない支配者  

たちがいるのも、次第に歴史的な事実として 

わかってきた。  

日本が明治維新以来、世界のだれもが笑った、  

勝つはずのなかった日清戦と日露戦に幸運も  

味方して勝ってしまった。国民は喜んだろうが、  

夏目漱石は日本は滅びるね、と言ってのけた。  

帝国主義と戦うという、アジアで初めての抵抗  

で、欧米は日本は叩き潰してしまわねばならない  

危険な国として認識された。落とす必要のない、  

原爆を、日本側が無条件降伏を認めないという  

ことにして、広島・長崎に落とした。  

アメリカは共産主義のものが国にはびこっていた。 

ちょうど、日本に反日の党や共産主義のものが  

終戦から重要ポストに入り、それが今日まで  

悪影響を及ぼしているように、マスコミにテレビに  

歪んだ勢力争いをしているのが、なにも伝わって  

こない、直接は。探せばその資料はいくらでもある  

のだが、熟れたアニメやゲーム文化、またアメリカ  

仕込みで後追いドラマ文化の日本では、わざわざ  

そういう行動を起こす動機に欠ける。  

アメリカには歴史学会では日本の戦争責任を  

取らせるために、南京の不可解・不可能な虐殺や、  

従軍慰安婦の話が確定的に語られ、教科書にも  

その嘘が載っているという有様。 米国人でも
 
自分で調べてみるまでは、その嘘に気づけ  

ない、という・・・。  

僕らは何も知らされないまま、戦争についての  

基本の判断もないまま、アメリカ文化にいまだ 

湯につかるように、そのゆるい毒素を肌に  

吸収を続けている。  

僕は自分という現在のアメリカにまみれた日本  

文化を排除する方向を、なぜか選んでいた。  

そうして、精神が死に瀕して、自己が壊れると、  

体がその分を吸収し始めた。それが日本精神や  

天皇尊重の感情だった。これは凄いことだった。  

僕はもちろん、知らなかったが、自己を抹消する  

ギリギリまで追い詰めなければ、僕の心には現れ  

ない現象だったのだろう。つまり、心ならずも  

僕はリベラルな精神という、自分の精神を黙らせる  

ことで体に受け継がれた日本の感情を蘇らせた、  

という状態が最近に起こった、わからないことだった  

のだ、と思っている。  

「意味がない。意味は僕らが拵えた」、だから、僕は  

拵えた歴史の意味や精神の操作に気づけたの  

ではないか? そう思ってしまうのだが。  

珍しく、ここまで休みなしで、一気に書いた。まったく  

進みたいように進んだと記憶する。これが僕が  

自分に抑圧してまで隠したことだったが、その一部が  

全開したことだ。まだ、戦争の基本については、  

書いていないが。それがないと、この文は完成  

しないだろう、その意味からも。


<戦争に敵も味方もない。正義も裏切りもない。>

― ということが、どういうことかを説明なしで、歴史  

上で行われ、また前線の戦場で行われている、その  

通りだと、頭ではなく、涙と喜びで思える人には、僕の  

説明は要らない。  

ナチスの思想はアメリカが持ち帰った「ナチスの楽園」。 

スターリンはそういう操作をしたとも。・・・これ以上は 

未確認だ。  

現在の中国、ロシア、アメリカ。・・・・・・・。

いずれ。   



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