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近々の未来は想定内 [未来]

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細かいことでも未来は未来なのだが、 

うまく思い出せない。大したことでは 

ないのですぐに忘れてしまう。優先 

順位が低いのだ。 

それに細かいことは自分がその場で 

計算して段取りをしたりして、潜在的 

にやり取りややり繰りを覚えていたのか、 

その区別がつかない。記憶の狭間に 

紛れてしまう。 

まず、覚えているのから拾っていこう。 

新しいタワー型(古い型なのだろう)で 

Windows11が実装されているが、ヘッド  

ホンが端子が合わなかった。in とout で 

2本端子なのが、一つ穴の1端子が必要 

だった。近くのヤマダ電機店に行ったが、 

新しいLANゲーブルを手に持ちながら、 

ヘッドホンは迷っていた。端子のφが 

2種類あるからどちらだろう、と。また、 

ワイヤレスホンもあって、多少の値は 

張るが、コードがないのは煩わしくない 

ので魅力だった。 それで、また来よう、 

今日決めることではない、とやめて 

帰ってきた。スマホを見ると、娘から 

LINEで(出かける前にヘッドホンを話し 

ていた)ヘッドホンが1個あるから 

要る?とのこと。端子も1個だったので 

多分、大丈夫だろう。 

という他愛もないことだが、いつかも書いた 

ように未来を先取りして、買わずに済むと 

わかっていたから、帰ってきたのだとしたら? 

こういうことは気がつきにくいし、忘れやすい。 

僕は気がつくほうなので、どうもその偶然の 

場合の数が多いのだ。 

計算したのなら、わかりやすい。コンビニに 

入って、ATMで現金を下ろそうとしたら、 

すぐ先に男に越された。そこで、では軽食を 

買うのを先にしようと、ぐるりとコンビニ内を 

回ると、レジに行列。それならATMのほうが 

早かろうと、ATMに行くと男は終わるところ  

だった。それを終えてから軽食を決め、レジ 

に並ぶはずが、もう行列は解消されていて、 

すんなりと行った。これは優先順位を変えて 

時間を稼いでタイミングを図った例だ。 

しかし、スマホを持ち歩かない僕は、家の 

スマホに娘のヘッドホンの情報が入って  

いるとは知る由もない。 

そういう虫の知らせとか、人が呼んだ例が 

どうも只事ではないのでは、と思い始めた 

のはこれもずいぶん前だが、気にしなく 

なった。 (いろいろあったが、今日も 

雑用ばかりで日が暮れて、その他の 

例が思い出せない)

今日はこれにもうひとつの仮説を思い出し

てみた。それは僕らの潜在的な意識に 

願望があると、それを僕らは未来に据える、 

つまりそういう未来を創り出す、ということ  

なのだが、これは未来先取りと同じ結果 

を生むので、どちらでもいい、と思えた 

ことだ。どちらの過程でも僕らは未来を 

まるで未知のものとしてではなく、先取りか 

創造かしている。現実に定型化はでき 

ないが、どうも未来は近ければ、それほど 

未知の世界ではなさそうだ、と。まったく 

われらに無関係ではないぞ、と考えて 

しまう。

ぼくの家の近くの国道の信号機は思えば、 

まったく僕の計算の想定内で、車の並び 

数で、次の信号の切り替えまでが、自分 

の歩く速度に調整される。もう50mも 

遠くから、次はどれくらいで信号が赤から 

青になるか、わかっているのだ。 

早すぎると、そこのオートバックスを軽く 

半周もぶらつくと切り替えに間に合う、 

と思う。せっかちなのだろう、待つのが 

嫌なのだ。 

この性質の計算が潜在意識に陣取って 

未来を描く下敷きになって、調整する 

自分がある、というのも頗る合理的な 

考えだな、と思う次第だ。


日程表をUSBから見つけたが、互換の 

ソフトで作ったせいだろう、Wordでは 

きちんと変換されず、印刷の枠に 

入らない。初めから表の一から作り 

直したほうがいいだろう。


世界の名画のデザイン素材集から。 

これをブログに載せるのが、楽しみで 

購入した。

絵は描きたいが、雑用が多すぎる。

シスレー1 (3.jpg

シスレー: ポール=マルリの洪水 1872



2::


未来はどうやって確定されるのか、僕らの 

意識とのつながりは?というテーマで話した 

が、僕には数の多い偶然でも、人はそうでは 

ない。そこで思い出したのは僕が初めから 

未来探索の方向を打ち出していたことだ。

かなり長い間の積み重ねが自然にあった。 

その途中途中でエポックがあって、都度、 

意識が変わった。::そこらあたりを。 


少年のころ、江戸川乱歩の少年探偵団に

夢中になっていた頃、本にも夢中になって 

いた。これも以前ちょっと書いたと思うが、 

ネットワークのない時代だ。書店を調べる  

という発想がない。新しい本が出版される 

と僕は手当たり次第に書店を歩いた。 

ところが、どこに書店があるのか、知らない。 

それでも中野区に住んでいたから、新宿の 

ほうまで歩きに歩いて書店を探した。丸 

半日を書店探しに費やした。実際歩いてみる 

気分になるとわかる。どこへ行けばいいのか 

わからない。その時、無意識に尋ねていた。

こっちの方角だろうか?と。未来を尋ねる癖、 

というのはこの時から始まったものと思う。 

一時期は占いにはまり、4年ほど費やした 

と思う。僕は占い向きのテレパシーはもって 

いないようで、占いだけでは何も当たら 

なかった。しかし、相手をよく知っていると、

その隠された性質や本人が気にしている 

ことを、わからないながらも知る機会が 

あった。相手に尋ねてみて、当たっている 

のに驚くのは本人ばかりか。自分もだった。 

意識が変わるのは、電車の切符の番号 

をある数字の性格占いに応用したときに 

訪れた。めちゃくちゃ当たるのである。 

到着駅のその目的の場所やものについて、 

その数字の性質どおりのことが起こる。 

例えば、2だと’もう一度’という象徴がある 

ので、本を買いに行ったときは、もう一度 

改めて来なければならないとか、もう1冊 

買う本を見つけてしまうとか、の事情が 

起きる。0から9までの意味合いでそれ 

ぞれ、広範な意味があるから、それに合致  

することは確率からも多いのだが、それ 

以上に毎回、起こるのである。そのうちに 

これはおかしいと思い始めた。当たり 

すぎるから。 

どうもこれは自分が番号の内容を未来に 

当て嵌めているんじゃないかと。番号を 

見たときに自分でそういう事象を用意して 

いるのではないか、と思い始めたのだ。 

僕らは一つの事象を思い描くとき、それ 

が真剣な事象である時ほど、それを見易い。 

例えば、失恋したときには、街でそれ 

らしい髪型とかを見かけると、その人の

顔が一瞬、別れた彼女の顔に見えてしまう。 

驚いてから、別人だったと気づく。 

これは脳が彼女で一杯になっているので 

どこでも似たものに、彼女の姿を投影して 

しまうのだ。そういう脳の性質だから、仕方 

ないのだが・・。 

これが嵩じると、簡単な事象のことは未来に 

生じさせてしまうのではないか、と考えたのだ。 

これはずっと後に、J・クリシュナムルティの 

本を読んでいて、ある信仰深い男がいて、

憧れる聖者がいたが、どうしても会いたい 

気持ちが募ると、ある日、その聖者が現れた。 

自分にしか見えないが、そのうちにその聖者 

と話すまでになった。そして、ある日、女性が 

近寄ってきて、あなたと話していた高貴そうな 

方はどなたですか、と尋ねたという。 

驚いただろう、ついに他人に、特定の人だけ 

だろうが、見えるまでに半現実化していたのだ。 

それと同じくインドでインドの古くからの女神 

に会いたくて、いろいろと試したが、会えない。 

そしてある日、もうこれで会えなければ、死ぬ 

と決心して瞑想に入ってからか、その晩のこと 

か、その女神がついに現れた。これはそうして 

聖者にまでなった男の有名な話で、ラーマー 

ヤナ?ラマヌジャン?とかに似た名前の聖者 

の話で、僕はその財団?の建てたホテルに 

インド訪問の始めに紹介されて、宿泊した。 

外のごみごみしたカルカッタの汚い街から 

逃れたような、そこは天国に思えた。 


僕はいつも未来を気にして生活するような 

少年・青年・中高年時代を送ってきた。 

還暦に差しかかる前に因果に出会ったので、 

問題はすべてに答えがある、とその答えも 

因果にあると気がつかされた僕は未来へ 

の呪縛から解放されたのだろう。電車の 

切符占いはすぐにやめて、見なかった。 

未来を決められるようで、それは一部自由 

を失うと感じたからだ。占いはどうにも判断 

がつけられないことがひとつ、そして緊急や 

重要なことだったら、の二つが重なった時 

だけちょっと覗いてみる程度でいい、と 

思えた。それが最初の未来からの解放 

だったろう。 

この性質はやがて超能力者のマクモ・ 

イーグル?だったかの本を見て、確信する 

ようになった。彼は依頼者の手紙を封を 

切らないで、中身を見ないで読み取り、 

その相談事に応じる。相談の内容を見ず 

に始めるのだからまったくフラットの状態。 

日本にも行方不明者のテレパシー捜索で 

米国中継でTV出演したこともある。それは 

省くが、そもそも彼がその能力を身に着け 

たのは、母親を恐れたからだと。厳格な 

母親から逃れていつも隠れていたらしい。 

ところが、隠れ場所を移動するために、 

常に母親が今どこにいるか、気にして 

いたら、テレパシーが働いたという話だ。 

きっかけは母親への恐怖からの防御策 

からだった。 

誰でも10年同じ仕事をしていると、その 

分野での独特な勘が働くということは 

あるものだ。大まかではなく、ピンスポット 

の直感で判断できるようになってしまう。 


だから、僕もそういうシステムが働いた 

のだと思う。瞑想を知る前から、街の角 

を見るたびに、曲がったらその先に 

本屋は?と予測していたのだろう。

未来の先取りも、未来を創造するも、 

どちらかではなく、場合に応じて使い 

分けるのではないか? 


近々の未来、その補足はここまで。


::
無意識への道を初めて示したフロイトは 

19世紀のヒステリーへの対処という観点 

からも性のリピドーをその原因因子とした 

のだろう。当時は女性の膣に消毒した 

手袋をはめて指で性感帯を適当に刺激 

して、患者(女性)を満足させた、という 

ヒステリー治療が公然と横行していたから、 

それへの抵抗もあったのだろうか?

わからない。 

ユングはフロイトの説に抵抗を覚えて、

途中から別れ、独自の道を進んだが、それ 

はオカルトや神話が奥底にあるテーマだった。

二人とも医者で心理分析から患者に対応 

していた。ユングはラップ音やポルター 

ガイスト的現象を経験した’らしい’。


僕は医者ではないし、ユングほどの人間 

への心理分析に天才的直観があるわけ 

ではない。するのは日常生活がどれだけ 

無意識と関わり合い、その命令に従って 

いるかという、その片鱗を今の処はだが、

示そうとしている、・・・のだと思う。



世界の名画センペンバンカより:

フェルメル1(2).jpg

フェルメール: 手紙を読む青衣の女 1663頃

  

この絵に最近、右上に天使の子が描かれ 

ているのがX線写真?で発見された。元の絵は 

天使が描かれていたということだが、この絵に 

は似合わない。フェルメール本人が塗り 

つぶして描きなおしたか、別の下絵として 

描いたものを塗りつぶして新しくこの絵を 

描いたのだろう。  

マチスでもあったが、・・余計な話か。

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