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精神の或る領域は進化の鍵? [心の進化]

::精神編::


何もしていないでひとりいる時、

やはり不安があり、孤独である。

これは自然状態なのだろうと

思う時、今、書き始めている時

にはこの行為上の僕はまったく

孤独を感じなくなる。不安もない。

むしろ、充実さえ感じる。

<この応用は昔からあり、身内の不幸

で悲しい時は仕事に打ち込んで、

時間を忘れる、などがそう。この

ことから、自分を想起して自意識が

立ち上がること、そしてその自分を

打ち消すためには時間(自意識下で

ないと思い出さない、時間の存在は

自意識が必要)を忘れるために没頭

する、というのがわかる。>


精神は自己である限り、その拠り

処を求める。拠り処がありさえす

れば、精神は安定感をもっている。

では、精神と呼ばれる体の神経など

様々な複合の関係を持ちながら、

在るものとしての“それ”は、依拠

し続けるものが必要であった筈で、

精神という自己が固まるまで、何を

材料・エサ・食料・構成物にして

自己を形成したのだろうか?

たぶん、僕らは答えを持っている。

しかし、それをはっきり意識でき

ない。

僕は見つめている。つもりだが、

できているかはわからない。

精神という概念ではなく、その

全体が意識の或る工夫でそれこそ

「或る・存在としてのもの」として

感覚できるだろうか。

その精神に依拠しない僕という僕は

存在するのだろうか。考えでは

矛盾するのはわかっている。話して

いるのはそういうことではなく、

人間に自己基準は確として存在して

いるように僕らには思えるが、動物

にはそういう概念基準はないだろう。

彼らは自己概念ではない生きる基準

がある。そうでなければ、生まれて

すぐに食料を得たり、捕食する方法

がわからずに滅びていただろう。

では人間は動物ではないのか?その

自己という一点で動物とは異なって

いる。だが、人間になる前は動物で

あるという進化があったのなら、

まだ動物に退化する可能性は捨て

られていないはずだ。

だから、自己の機能を残して、その

枠を残したまま動物の精神に還る

という変化は残っているだろう。

例えば、それが葉っぱであるなら、

自己は葉緑素のようなもので、

精神が葉っぱ全体であるなら、

自己を捨てた葉っぱは透明な葉っぱ

になるのだろう。葉の形はそのまま

残しながら。

形は自己の形を残しながら、全体では

精神のままである、という。

枠が残る限り、自己は常に生成される。

毎日その清掃・整理作業があるだろう。

まるで水槽を汚す緑苔を、目立ってきた

なら清掃するようなものだ。

透明の状態が、自分の主観を排し、

客観を呼び込むことになるから。

そういう動物の意識と人間の意識と

を分離ではなく、統一で感じる状態は、

日常でもよく起こっている瞬時である

とも考えられるのだが、これはもう

少し先に別な処で意見を述べよう。

そういう状態で動く感情や感覚・思考

というものを一種の精神(状態)と

言っていいのならば、彼は自己に

かかる抑圧はうすく最小限なので、

恐怖は抑えられるだろう。それは

不安にならないので、孤独感も感じ

ないようになるだろう。

自己を盾にして、防御一点張りに

ならないので、自然の秩序は彼に

馴染むだろう。そこから彼の地球

との一体感が生まれてもおかしい

とか、不可解なことではない。

彼はひとりだが、ひとりという孤独

を感じない。

それは人間関係との間での安定感

ではないが、同じ生命体としての

命の一体感を持つものだろう。

「一にして多」というような仏教的、

あるいは哲学的命題ではないにして

も、そういう感覚が支配する精神の

体感になるだろう。


どうして瞬間は永遠だという命題を


僕らは受け入れてきたのかが、不思議

だが、それは僕らの昨日から今日へ、

今日から明日へという継続概念で

ある“時間”の概念を捨てなければ、

受け入れてしまうのは矛盾して

しまうはず、だからだ。

ユークリッドの幾何の点の概念は、

部分を持たないもので、長さも幅

もないとするが、そんなものは

空想の概念以外では存在しえない、

と考えられる。すでに大昔にその

矛盾を定義して、受け入れざるを

得ないようにしている。

そういう点の中にこそ、瞬間も永遠

も存在すると誰かが言いそうだ。

間違いとは決まらないが、実質的

に捉えれば、それらは異なるもので

ある可能性がある。


ひらがな・漢字を僕らが日常で触れ

る生活を指すのなら、精神はカタ

カナの世界だろう。僕らの心にある

精神という抽象は幾何的な形で、

直観的でないので見てもすぐに

わからず、ひらがな・漢字に変換

しないとピンと来ない。

世の中がカタカナ(精神構造を基本

にして)ばかりになっても、変化は

少しずつなのでその体勢、やがて体制

が進んでも気づきにくい。

その増えた体制の中で情報やシス

テムの統合や簡略化を進めている

わけだが、それはいつまで尻ぬぐい

が続くだろう、とも見えてしまう。

世界を変える、と言った意味は

これまでもこれからもそこら辺り

でうろついているのだと見える。


僕らが世界を変えたと呼ぶものは、

実はほぼ人間社会に影響を及ぼした

ものを指していて自然や気象・海流

といった生活の根源を変えることは

ない。改良して便利にしたことを言う

だけだ。スマホもそう。

僕らは相変わらず、四角い家に住ん

でいるし、車の中も四角、あるい

は台形のままで、外側のボディが

少しチェンジされたのを格好いい

と見ている。ただ四角を組み合わ

せただけなのだが。(ただし、ここ

まで体感が慣らされると、曲線の家

ではめまいに襲われそうだ)



不完全な人間が考える生活が不完全

の中で、いつまでも修理ばかりを

続ける宿命に悩まされているだけ

なのだろうか、と僕が思うくらい

だから、脱出口もその方法も豊富に

“見えていない”日常にあふれている

に違いないのだが、・・。

この方面に目を向ける必要があるの

だが、社会資本が提供する流行が期待

される商品ばかりに目が行って、ます

ます購買意欲ばかりが刺激される方向

なので、ちっとも外に目が向かない。

それは僕らがお金ばかりに気を遣う、

そういう生活をプロパガンダで刷り

込まれているからだが、そういう環境

を提供され続けてきたので、その理由

を考える余裕もなくしている。見つけ

ても時遅くと感じるのだろう、内部

批判だからよほど緊急に改善が必要

だとわかる案件や事件以外は、批判が

続けられない。そして、根本の因まで

たどり着かずに、また置いてかれ、

忘れられてしまうのだ。こういう

習慣で今までやってきたので、僕らは

実生活の不安・不便さには立ち上がるが、

世界全体の偏った方向や歪んだ体制には

眼が向かないように親から祖先からの

遺伝子を受け継いでいる。



::体験編::


それが確実にわかったのは、僕は還暦

から無意識生活に入り、10年もして

からだ。それは顕著な変化があった

からわかった。

戦後GHQは共産思想を日本人の精神

構造に叩き込むために、7000冊もの

日本の歴史の神道や忠義の人物などを

教科書から消してしまった。

僕らは例えば、和気清麻呂や楠木正成

のことを知ることがなくなった。古事記

も日本書記もその成立期が記される

だけで、その精神はまったく教えら

れることはない。当時の共産党員が

教育組織の中心に入れられて、反日の

教育が始まったからだ。

これは日教組のいじめに対しての無関心

から対策がほぼされてこなかったため、

いじめの件数が上がり放しなのを見ても

確認できる。交通事故でも10年前、もっと?

から対策して死者数が半減したのだから、

頭打ちならともかく、右肩上がりは異常

である。


ここで端折るが、僕は天皇は友達の

ようなものだと、10代か20代の頃、

その位置をどこに置くのか迷って、

(天皇は象徴であるという中途な

位置、今の上皇も象徴の立場に迷っ

ておられたという発言をしている)

そうしたが、すでに天皇の権威を

軽く扱うように洗脳されていたが、

それが洗脳ではなく、自分が考え

自分が決めたことだと思っていた。

アメリカなどの欧米文化にアメリカ

ナイズされた影響だとは知らず。

或る日、そうではないことがわか

った。しみじみと天皇への畏敬の

念が湧いてきた。驚いたのは僕で、

僕は自由を謳歌して、そのように

歩いてきたと思っていたし、そうし

て来たので、疑いはなかった。

が、この畏敬の念は厳密には僕の

ものではなくて、僕の祖先のもの

だった。これまでに天皇に関心を

持ってその歴史を調べたり、その

関係神社などを参拝に訪れたこと

も、実に一度もない。

だから、突然湧いたこの念は不可

思議なものだった。

僕の中からのものだから僕のものの

はずだったが、僕にはその痕跡の

記憶もなかった、にもかかわらず

実感だった。だからといって僕が

いきなり天皇崇拝者になったわけでは

ない。今も検討中だ、日本精神と併せ

て。

僕は恐る恐る、この畏敬の念をすぐ

には受け入れず、どうしてそれが起こ

ったのか探ろうとした。

それは2,3日して不思議な感覚に慣れ

始めてからのことである。

呼応したのは、やはり戦後のこと、

大東亜戦争=太平洋戦争=第2次世界

大戦のことを最初はわずかにから調べ

始めて、畏敬の念は2年前?で、なお

しばらくしてからの時期だった。

それは僕の中で今まで接点がなかった

ことで、戦争のことを、つまり自分が

“嫌なことを調べる気持ちになれるまで

になって”、つまり自分に向き合える

ようになってからのことだった。

アメリカ文化という、音楽や映画が

自由主義を文化として日本に半ば意図

的に輸入された。それが幻の民主主義

も定着させたのだが、選挙に行くも

行かないも自由だと考える、そこには

民主主義はない。すくなくとも民主主義

という歴史を知らない。

僕が民主主義を知ったのはインドで、

避暑地であり、またヒンズー教徒と

イスラム教徒とが折半に近く、それで

対立が鮮明になったカシュミールの地

でのことだった。紛争が起きやすかっ

たので、軍隊が駐留していた。そこで

ぶらぶら観光気分で街中を歩いて

いた僕はある住宅地の路地で、二人

の兵士に呼び止められた。二人は

ライフルか機銃を肩に下げていた。

それで一気に緊張が走った。どこか

へ連れて行かれて尋問を受けるの

だろうか、と不安になった瞬間に

その機銃の鉄の匂いがした。

これも面白い現象で、僕らは緊張す

ると、特に死を前にするような時の

緊張には、五感が全開放されて周囲

の環境を5mだか10mで嗅ぎ分ける

能力を持っているらしい。死を脳が

感じることが必要である。強烈な、

あの血の、鉄の味がした。

それは簡単に、これ以上入るな、と

いう警告だけで済んだが、帰国して

しばらくしてどこかの国で軍隊が

邪魔をして、投票所に行けないと

いうニュースを観てわかった。民主

主義は安心して投票所に行けること

なのだと。

それはインドのカシュミールでの

鉄の味の体験があるから、そう感じ

ることができた。TVを観ながら、

すぐに思い出したのが鉄の匂いだっ

たから。


僕らの民主主義は単なる教科書の

政治体制のひとつに過ぎない。古い

ものが好きな人は、封建主義に戻って

もいいじゃないと言っているのを

聞いた。それは自由に関わる。西欧

ではその自由を勝ち取るために戦い

が必要で、戦争というその残忍な

革命の歴史があった。

僕ら日本人に『自由を守るために

民主主義のために戦う』という議論

は無縁だ。なんのことかと思われ

てしまう。それは一部の知識人が

暇な議論で言質で戦っているだけ

のことだ。


これまでの意識の無知の現状を説明

するためにブログとしては長く書き

過ぎたかもしれない。短絡してしま

えば、僕らの精神はそれから発生した

僕らの文明文化であり、そこまでに

変遷した彩である僕らの歴史である、

そこから敢えて批判的な側面を挙げた

ということ。人類の文明文化の賛美・

優秀さは改めて言うまでもないだろう。


ヒントは言葉では民主主義でも歴史

ではそれは重い感情だ、ということ

である。

::

僕は投票所の前で自衛隊がバリケード

を張って、投票させないように銃を

構えている日本のニュースは見たくない。


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