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漢字の「心」:概知の新天地に迷い込んだ、探る その9. [思考]

さて、「さて」である。

心の問題を取り上げれば、僕らの長い歴史の中心的な流れは見据えることが

できる、という視点から話を進めて、こころの発生というものを捉える場面

まで来たのだが、ここでもうひとつクリアしなければいけないことが生じた。

それはこころの発生に伴う事象で、こころの発生から僕らがそれをどう感じて

どう扱ったか、という僕ら側から見た心へ初めて接触してからの混乱のことと、

もうひとつはそのこころは僕らの中で実際にはどういう形態をしてなにを演じて

いたのか、という二つのことである。

無意識な精神心理というものが発見されたのがこの100年くらいのことであるから、

はるか昔に直接こころを扱った文献というものは存在しないだろう。これからが

手探りの面白いところだ。なにもないところから新しい学問分野を発見するのは

いつもこういう手作業から始まっている。本に書かれているならそれはもう過去の

事柄だから、新しい発見は無理な話なのだ。

だが、間接的なヒントは本から見つけてもおかしくはない。年代などを特定して

ゆくには、そういう考古の資料は大事だろう。その著者の考えがある場合は、そこ

には慎重に考えと事実とを区別しなくてはならない。その事実からどう考え、どう

結論するかは、その人次第で千差万別という、野放図というか、いい加減さが

あるからだ。

僕らが購入する本というのは、ほとんどが自分の意見や主張を織り込んだ、自分と

似た意見のことが書かれているものが多い。趣味や娯楽はそういうもののほうが

いいに決まっているが、いざほんとうのことを知ろうとした時には、それは妨害

にはなっても、事実が”よってなる処の真実”のようなものを見せてはくれない。

知りたいのは真なるものであって、自分ではないから。

(ここでもう一つ注文をつけると、先に進めない)

まず、漢字から始めよう。漢字の「心」は心臓を象形にしている。中国大陸では

すでに心臓から始まっていること。

紀元前1600年から前1046年までの卜文には現れていない。聖化儀礼としての文の

字形の中に現れるだけだと。前1046年からの金文から心の用法が現れる。

この頃から心が使われ出したらしい。それからの500年間からは心に対応するのに

さまざまな思考する者が現れた。ギリシアではソクラテスが現れたのを筆頭に

100年遅れて、インドではシャカが、中国では孔子が現れた。釈迦と孔子は同時期

に亡くなっている。

孔子の論語は同時代に書かれたと思われているが、なかなかどうして、簡単に

論じられない。それは孔子の生きていた時代にはない字が使われているから。

これは後世に論語を筆写などしながら、研究も併せて、その時代の漢字を

使ってしまったからのようだ。

「謹みて信あり」という言葉も、言葉を謹(つつし)み、言ったことは行え、

ということだが、「謹」も「信」も孔子の時代にはなかったというから、驚き

だ。さらに「愛」も「仁」もなかった、と。あと、「四十にして惑わず」という

有名な句があるが、この「惑」も孔子の時代にはなかった。(以上は「身体感覚

で論語を読みなおす」安田登:著より)だから、「身体感覚で論語を読みなおす」

の著者も「惑」を「或」に読み変えて、新しい解釈を試みている。それも面白い。

この著者は能楽師なのだが、なんでも屋で、医療家、中国文学の研究者、舞台

プロヂューサー、語り芸、ジャズ・ピアニスト、ゲームデザイナー、高校教師

と幅広く、特に体を使って理解しないと気がすまない人だ。

基本的なことを基本に従って、はじめから研究すると、こういうように新発見

ばかりになる。こういう本が多いほうが真相に辿りつきやすい。それは権威

という伝統を守る、例えば大学のネームバリューのような、そういう固定観念

から抜けられない方向を守ってしまうことになる。それでは悪しき伝統に

なってしまう。

ここまでで、少し漢字には手をつけたというところで、また少ししてから、

書きたい。




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