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街もコロナも 夢の中 [夢]

考えない練習、という題の本を見たことがある。 

この人も考えすぎる人なのだ、と思う。  

思わず笑ってしまう、そんな題も見つけるが、 

なぜか手に取って、読むことがない。 

99%は仮説、という題も「そうだよな」、と共感

するが、中身がどうなっているかに 興味が

いかない。 

なにも買わずに、街へ出る。目の前の駅には

手前に車道が一本通っていて、それを横切ら

なければならない。なので、そこでは左右の車

の流れから、今渡ってしまうか、信号機のある

横断歩道まで歩こうか、と必ず考えている。

思えば、同じ場所で同じ考えを巡らせている。 

それを考えないで、すぐに右へ折れて歩くとか、

左を選んで歩くとか、したことがなかった。 

家に居ても、そうだ。 

階段を上る時、考えて勢いをつける。下りる時も

勢いをつけたほうが緊張して疲れない、と考えて

スタスタ上り下りしている。 

そう思うと、習慣で同じ考えを一瞬にしている。

それが儀式のようでもある。

自分が動く時は、なにをするか目的に合わせて、

それに必要な思考をする。街の道路や、家の構造

が一定の形式なので、それに合わせると、同じ

考えしか出て来ないのだろう。  

ゼンマイのおもちゃが止まったら、またゼンマイを

巻く、その瞬時の考えはただ必要だから生まれて

いるようだ。  

朝起きて、歯を磨く、とか。そういうものは考えなく

ても、わかっているもので、それを伝えようとは

人は思わない。  

徒然なるままに、という文学が出てくると、様相は

変わって、なにか情緒が揺れるのを、人は自然に

期待する。文学的とか、詩的な、というその入口

だからだろうか。  

「神無月の頃、(覚えていたのに、もう忘れてしまった)

来栖野(?)というところに分けて入り(?)はべりしに、」

という「徒然草」の文を学校で暗記したのは、いつだった

ろうか? 

「この木なからましかば」という兼好の落胆と嫌悪の句

が、やけに印象に残っている。 


昼間も書けるし、それで昼間から書くことも、時にあるが

やはり、夜のほうが落ち着く。それは街の時は夜には

静かな喧噪ともいう、層があるからだ。 

静かな、というのは音がしないというのが、その意味

だろうが、山に深く一人で入り、夜になると、まったく

音のしない夜が訪れる。それは島の家でも同じだが、

静かすぎて僕らの脳は音を創り出してしまうようだ。

シーンという音に似て、その余韻だけが聞こえる、

という音ではない音がその静けさに聞こえる。

それは頭の中で鳴っているのだろう、と思うし、

事実そうなのだろう。でも、それは聞こえるのだ。

僕は静かな環境には、長い間いなかったのだ、と

反省してしまう。

僕らは環境に慣れるし、それを自分に取り入れる。

夏にお寺さんでは蝉が裏山で、よく鳴いた。

部屋の空気が蝉のジー、ジーという音で占領されて

うるさいのだが、同じ調子で鳴くので、雨音に似て

やがて慣れてしまう。2,3日も宿泊すると、蝉の鳴き声

は相変わらずなのに、まったく気にしないで生活して

いる。 

都会ではやや郊外でも、深夜には遠くの電車の走る

音が聞こえたりする。そうして、静かだな、と思うのだ。

いつも考えるのが習慣になっているので、音の比較で

静けさを捉えている。僕は都会人だと思うのは、そんな

時だ。そういう反省が生まれると、また山へ行きたくなる。

山で生活したくなる。ただ登って、降りてくるのは、もう

いいという感覚でもある。

僕は、山へ入ると、たぶん、気を交換する。リフレッシュ

する。そういう呼吸をしたい、と思うし、そういう呼吸を

する。ただ我を忘れて、深呼吸をする。

考えることを、忘れる。 


本を読むな、というのは一般的な意味でだった。

デカルトは当時の学問がアリストテレスから発展

させたスコラ哲学でできていたことを見抜いた。 

科学的見地はまだ未明の16世紀だった。デカルトは

教科書の思想の根底を感じたのだろう、だから、彼の

感覚で「すべての書は読まれたのだ」、すべて

読んでも意味がないと知った。そこで兵役に出た。

ある晩、三つの夢を見て新しい学問に目覚めた。

ガリレオが宗教裁判にかけられた危険な時代

だった。そこでデカルトも「世界論」を印刷するのを

やめてしまった。出版は亡くなってからだった。 

親の遺産があったので、一人の従者を連れて、

世間という学問の場へ乗り出したのだ。目の前の

社会や世界がどうなのか自分の眼で見るのだから、

師匠も教科書もない。20年間、ほぼオランダのなか

を転々として、あまりフランスに帰らなかった。

ドイツ、フランスなど30年戦争の最中であったし、

それはデカルトの死の2年前まで続いていた。

それでもデカルトは数学を、それまでの幾何学から

まったく別の見地から、代数を編み出していた。

その一歩はX軸とY軸のグラフから、右をプラス、

左をマイナスにあてた。それで数学は格段に便利

になった。現代数学の基礎はここから始まった。

定数a、b、c、・・ と変数 x、y、z はデカルトのを

そのまま使った。変数 x、y、z はそれ以上増え

ないので、アルファベットの最後にあるので都合

がいい。定数はいくつも使うが、増えてもa、b、c、

から使えば20個以上あるので問題ない。合理的に

考えられているのだ。かくして、500年も使われ、

この先もデカルトの記号が使われるだろう。

ニュートンが科学の扉を開けたのも、デカルトの

代数があったおかげだった。物理と天文と代数

がそれぞれを証明して原理を説いた。

この世の書物を読むのはそのすべての考え方で

あっても、現代では印刷技術が発展したから、

爆発的に本は出版されている。すべてその根底を

読むにしても時間がかかり過ぎるだろう。

どうしてデカルトは世間を学問の鏡に見立てたのか? 

それは学問がコチコチにスコラ哲学を基本に固まって

いたからだ。そこからは自由な発想は生まれない。

交通渋滞でともかく、他の道を行っても時間は同じくらい

かかってしまうのだから、渋滞を我慢しよう、というのと

似ていて、誰もがしない抜け道探しをすることが、必要

だと感じたのだろう。バカな道を選んだのだ、それこそ

が合理的だと考えて。誰もが行かない道こそが、誰もが

気づかない発想の場面に出会える道に違いない、と。

なにかと常識的な発想をしていれば、世間の通念に

支えられ、安心安全だと感じるのは、今も昔も変わら

ない。

僕らは社会で人との付き合いを最も大事にするが、

僕ら日本人は世界の人と付き合うわけではないので、

郷に入れば郷に従う、で国際結婚とかになるとそれ

なりにやっていくしかない。しかし、いつまでもスコラ

哲学で学問が支配されてはいなかったように、日本

という一地域が世界を支配することもないし、相手国を

理解しなければならないが、そうもならない決断の場面

に時代で出会うことにもなるだろう。


夜は 更けゆく。  

これから寝て見るのが、夢なのだが、僕は今でも

この三波のなかでも、コロナという夢を見ている気が 

している。感染者数という数字だけが踊っていて、

僕の周辺では、誰ひとり感染者がいない。島の知人、

家庭で、友人たち、子供夫婦やその孫たちにも、誰

ひとりいない。座間で累計168人くらいでは見ないほうが

当然なのかもしれないが、ニュースで一時重篤になった

話をインタビューで見るくらいだ。それはほんとうなの

だろうか、というとんでもないと言われるような気しか

しない。

昨年は9月に島で岩場で落ちて、死に損なったが、

入院もせず、神奈川に帰ってから、10月にすぐ、持病が

起こった。これも1週間で退院したが、事後が悪く、

ぶり返しが多かった。人に「病気の神様の指示」とかいう

話をしたが、首をひねっていた。言葉は正確ではない、

それは不幸な運が背後にある、とかを「わからないもの」

としてだから、それをわかりやすく「病気の神様」と

名づけたのだが、彼には比喩ではなく、そのまま神様

として思われてしまったらしい。面倒でその誤解も解か

なかったが、この持病の5,6回のぶり返しには悩まされ、

我慢の生活を強いられた。回復したのも、年末だった。 

そうしたら、1月にはコロナがはっきりしだして、僕は

横浜の仕事を3月初めに辞めた。何の関連もないが、

こういう我慢には向かない僕は、自粛の練習ができて 

いたと認めなくてはならない。持病が起こらなければ、

コロナ自粛をしていたか、と考えると、できた、と

自信をもって言えない。(では、病気の神様は僕に

予行演習をさせたのか?それはないだろう、ある

だろうとも。そう考えやすいが・・)



病気の神様も夢なら、コロナも夢ではないか。 

そうして、今年も暮れるのだから、これも夢なの

だろう。そうしたら、今晩、急に車検が切れている

のに気がついて、現実に引き戻されてしまった(笑)。


感染しても無症状な者というのは、僕みたいに



コロナは夢の中なのではなかろうか。
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フィールOpen (序+) [夢]

なにもなくても ブログを書くという  動機は消えない

1日は  なにかあるようには 見えないけれども

この雰囲気で  こうしたいと 思っていたことは

ほぼ  忘れている    もう 日が替わる頃になって

思い出したりしている 始末  

それで  自分は あぁ 何もしてこなかった、と

過去を 振り返っては  後悔しているのだろう

でも そうじゃない   これを読んでいてもいい

それを 空想していてもいい   なにか

直接に  あなたに届くもの  そういうものが

それであれば  今は  そこにある

泣いてもいいのに

そうなんだ  それで ・・ 泣いてもいいのに

泣かない

悲しみは ・・

そういうことを  言ってるのじゃない  

どんな 喜怒哀楽 とかが  空気に 濃密でも

そういうものを  味わいながら   泣かない


残ったものは  ・・と言っても

なにから 残ったと言えるのか  

首を 傾げるが ・・

それは 生きる態度じゃない

誰が 決めたのでもないだろうけれど

その真剣さ  その責任さ   その素朴さ

そのどれもでありながら  どれかひとつでは

強調しすぎ、  と  感じてみる

試しに  ん、なるほど  

そんなものだ   「余裕がない」と その強調 

すべてに 意味がなくなる 感じ

誰かが  ごちそうの 説明をするのだろうか

健全さ  そのペイント感  その自在感  

自由に必要な  それらが  それぞれの理由の足を

ちゃんと 立脚しているかい?

ちゃんと  わけ、わかってるかい?

そう ガッテム  燃える 理解

これは 夢じゃない

現実というの(だろう)か  今  今  今

見えるかい  この前後、上下 左右の  境界の

飛んでいる 標識 ・壁 ・柵 

落ちつけよ

それじゃあ イメージを  重ねるだけで 

なにも 伝わらない

でも それに もどかしくなってるのじゃない


それが  フィール  Open


合致する  自由への 合意というもの

刻む リズムの  野生というもの

書いた文字が  勝手に  飛散・逃亡するというもの

あぁ  なんて  愛への衝動 なんだ

そこにいる、 ということが

ここにある、 ということが

この  ・・・   ・・・

・・・  ・・   力・・ なんだ


今日でなく 明日でなく  もち 昨日でなく

今 という エッセンス

オフィスで 空想した それを

ひきこもりで  これはできないだろうとした  自由を

ブリーチの  卍解(ばんかい)を

今に 感じることなんだ

漫画も 夢も  現実に 再現しないが

別のものが  オープンする

それは  例えば 坐ってそれを 手に取れば

それを 始めれば

確実に  自分の望んだものに  進んでいる、と

わかれば

僕らは 人に 会いたくなる 

そういう生きている感覚が  人にわかる

そうして 人に接すれば  自分にも還る

気持ちの 慣れ合い、なすり合いじゃない

生きている 躍動が  

それが  生活ってもんだ


フィール  Open !
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わからないものに捧げる [夢]

外では そよ風が吹いているよう

シンと した冷えた空気が  入ってくるよう

飽和脂肪酸という 言葉が浮かぶが  いらない 

ただ 飽和がある  ありそうだという話だから

心の中和を  通り過ぎて  通り越えて  

飽和が 泡のように 広がるのだろうか

以前から  自信はなかったが  そこらに

そのかけらは ころがっていた

拾えばいい  そう思っていた

今の気持ちは  そんな事情にあるだろうか

かけらでさえも  泡になろうとしている

そのなかで  これは  書かれているという

まぎれもない 事実  ベタな現在

こういう時がある  その不幸な 予測があるはず、でもなく

する気もない癖に  怠惰だけがある

スルー アウト  という暖簾(のれん)を くぐって

夜の 飲み屋街を  暗く 歩く

そのほうが 気持ちいい

今は  そういう時なのだ

でも この先に  望んだ階段が あると

思っている

登るべき 自分に用意した  夢を果たすべき、と

Soon

You should know‐n 

ぐるぐる 回るよ

その中点には  触れずに

灯りに 集まる 蛾 だから だろうか

触れたら  終わってしまうから  だろうか

焚火のまわりを  回って踊る フォークダンスだから だろうか  

どうして 日本では ダンスパーティが 流行らないのか

ふーうっ と 一息 入れてみる

書いている途中 の 状態は 変わらないのに

体の  どこでもないが  どこでもを 一時に

チェックする  ゆるい呼吸が  ある

また  夜の空気が ころがり込んでくる  ふぅ

そうなのだ  また書けないのだ

文章の技術という  芸ではなく

それは まだ この世に紹介されていない  ナニカ

だからだ

そういうものを 発見しても  それは 忠実に

知識になろうとしない

なにかの コツでもあるかのように

説明を 拒むのだ

体が  何回も練習したりして  覚えたり

感覚を  習得したり するもの

ダンスのように

非日常とか 言うけれど  それは オカルトじゃない

仮想現実のように  ないのに あるもの

仮想が 錯覚なら  それは 存在という未知

ただ 知らないだけ

もっとも わからないのは  これほどまでに

それを 強調して  書かなければならないこと

なにが したいか  わからないのに  書く

いつでも  どこでも  僕の原動力として  働くもの

これを 紹介しようとして

(あるだけは わかっているのに) これは なんだろう?

で ちょうどいい

カフェに行って  珈琲を 飲みたくなるのは  どうして?

家ではなく  カフェが  どうしてもいいのは  なぜ?

そこに描いている  僕らの あこがれ

そこにもあるもの  わからない まだ 言葉になっていない

たしかな  僕らの 歌う 気持ち

トータルな 中間色で  描かれた  絵画のような

空間?  んん 時間?  光景?

分断じゃなくて  まとまった それを

僕らは  しあわせの  ひとつとして  想う

わかるだろうか この瞬間に  僕が  どこまで 行ってしまうかを

誰も  想像できない  果てが ないから

僕は  夢見がちになる  必要な緊張が足りない、というような

常識範囲内  のこと ではない

重力は  科学の謎だ  どうして消えずに

宇宙の果てまで  影響する のか

光に 電波に  重力はないと  されている

人にある 無重力は  心のことだろう

光の波にしても  重力の波にしても

果てない  果てないの意味を  知っている人は いない

果てない、という形容で  使っているだけで

どこまでもそれがあるのなら  人はそれを一生思っても

達しないのだから  イメージで区切ってしまう。

僕らの 想いは  ほんとうに果てしないのなら

僕らは  真に 終わることができない

その想いが  あなたの 動機として  つながるのならば

あなたが  それを 断ち切るのだ  いつも

僕は ・・・

僕の想いは  断ち切られない

わからないものに  いつも つながれているから

これを言っても  相手にされない  わかっている

でも  僕にとって 事実 であるものに

僕は  文句は言えないし  ただ 語るしかない

それが こだまのように 帰ってくるからだ

Take easy

それが 帰ってくるメッセージであり

僕が  生活する  メッセージだから

僕は たぶん わからないということ において

君を  理解している

そう思うと  ピッタリときて

感動さえ してしまう

そう わからないということが  まったくもって

ワカッテイル!

輝く 星よ

僕にとっての  君たちが  なんであるか  わかる

大切なのは  それで  ”誰かにとっての なにか”で

真理とか 真実とか  いうものではない!

ワカッテイル!  そうかい  それは よかった 自分へ

もう 誰も 聞いていないよ  静かに

夜は  更けゆく

いいね  

この夜が  いつも 最高であるのに  驚く

毎晩 驚いているのは  君くらいのものさ

いいね

ほんとうに  いいね

Yes  Yes

Ever been  Mine

いいね

君 




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街を 建てよう [夢]

この 力強い  振動

重機が 壁を壊して  街を 新しくする

笑って  笑って  どうしたんだ 君たちは

街を 新しくするんだろ? と聞いても

笑って  答えない  嬉しそう

いつの間に  大広場に 仮の家が 立ち並んで

街の半分が  裸になって  人々は  そこに集まる

瓦礫を 片づけるでもなく  雨と 風が 吹き抜ける

そのうちに  瓦礫の 一か所に 人が集まって

話しこんでいる ああだ  こうだと  言っている

道路は 広く 消防ができるだけ 広く、 と

そうすると  道路の走るような 道筋の瓦礫が

運び出され だした 

代わりに 建材が 運ばれて  一軒の奇妙な家が 建ち始めた

二階の壁から  鼻のように 通路が突き出て

それは  閉じられないまま

道路も その周りから 舗装されて  立派になった

そこだけ

不思議な そこだけの きれいな舗装道

やがて 二軒目が 建ち始めると  二階の鼻に

同じような鼻が  つながって  それは回廊に なったよう

つなぎ目が 別の素材 別の大きさ  なんとか 塞いではいたが

その不格好は  気にされていないよう

色も  別々に 好きに塗られて  まるで

君は君  僕は僕だ

広い道路で どこへでも 通じたが  細い路地も

それを つなげ始めた  そうすると

先に建てないと 建てるのが困難になる 家が  次々に

散散と あちこちで  始まった

尖塔の家も あれば  屋上が広い庭の 家もあった

屋根に土を盛って (菜園?) 崩れない屋根裏にしたり

見ていると 面白い  てんで 皆 好き好きに

家を 建てていたが  この街の 雰囲気が  残っていた

皆が  自分たちが 懐かしいとするものを  残して

街は 新しくは ならなかった

街は ただ  古さを 蘇らせた

これだけ  好きな家を めいめいが勝手に  建てて

暗黙の 了解が  あった

街を 壊して  もっと 自分たちの街に する、という

アンバランスなのに  色や 形  色合いで

どこかで  バランスを 取っていた  今も

普請中の 家でも  まだ  人が集まって

ああだ  こうだ と 騒いでいる

皆  それを 楽しんでいる  この先 5年,10年かかるだろう

皆が  残ったペンキなど 持って 駆けつけてくる

時々は  設計士が  代わって  新しい設計になる

そう また  壊しているのだ  この街の人は

手を抜く気は  ないのだろう

彼らは  人の家を 建てているんじゃない

この街を 建てているのだ  彼らの話題は

自分の街の  変りようを  夢見るように

話している

この街は  彼らの 夢なのだ

急ぐことはないのだ

皆で つくっている

一軒一軒 建つたびに  夢が 形になる

その喜びが  笑顔に

僕は  この光景を 見て来て

この街に 住みたいと  思った


ある朝  僕の足は  まっすぐ  彼らの

ああだ こうだの中へ  歩いて

入って行った

そうだ

僕の 家を  街を  建てよう !

想い描いた 家

想い描いた 街

好きにやれと 言いながら  遠慮しないで

ああだ こうだと 言ってくる人たち

僕は

一向に 進まない  ここに

夢を 見はじめている

ここに  建てよう、  街を!

僕の  街を !
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小説を夢見る、忘れる、書く [夢]

昨日(12日)は仕事夜勤明けの日だったが、仮眠が取れたので寝なかった。それでも、

DVDのおまけを観ていて、よく瞬間に寝ていた。寝て、すぐ気がつくパターンだった

ようだ。

それで今朝も疲れが出たような感じで、幼稚だが、漫画ぽくて面白い夢を見た。

夢で一篇の小説を見るのは月に何回かあることなので、珍しくはないが肝心の部分が

思い出せないのは悔しく、残念だ。

午前中から書いているのはそんなわけで、書いておかないとどんどん忘れそうだから。


まだ体の芯に眠気が残っているのがわかる。肩も幾分、重い。

思い出せない部分から行こう。

コンクリの壁に隣の世界に通じるドアがある。安手の木製で大きさはホテルの部屋の

ドアと変わりない。それがピンク色に塗られている。少し古くなっていて、木目の

筋に影が見える。取っ手がない。指の爪先で開こうとして、ドアに隙間があり、

そこまで縦にビニテープが貼られている。それもピンクだ。

それは話し声が聞かれないようにだ、との夢の説明を聴く。ドアはうすく、2cm

ほどしかないで、すぐに手前にすーっとスムーズに開くが、開いてもそこに同じ

ピンクのドアが待ち構えている。これも話を聞かれないように用心したのだろう、

その2枚目も簡単に開き、その次に同じもので3枚目。それも開くと、6mくらい

暗い通路があり、その先に陽射しのある世界が覗いていた。やはり、このドアで

つながっていたのだ、と思う。実はこの前の場面が思い出せない。わかっているのは

このピンクのドアは刑務所か学校のような建物側から、こちらの世界に通じている。

はじめはその向こう側から俯瞰して、刑務所の異世界を上から眺めていたのだ。

その校庭のような中庭の上には中空にホログラムぽいネオンが浮かんでいて、

ネオンからは火花が飛んでいて危なそうである。このネオンをなんとか壊さねば

いけないのだが、それは刑務所内の電磁気プログラム指令室からコントロールできる

ようになっていて、そこでプログラムを書き換えればいいらしい。

そこで潜入がされなければならないのだが、もう潜入して帰りの段階だろう、それが

ピンクのドアになるらしい。こちらの世界でもいろいろなイベントがあって、そこが

ちと可笑しいのだが、夢なので内容を忘れて、印象だけが残った。

それでつながりは不明だが、お話になっている次の夢に行こう。


ここは学校の校庭で左手が3階建ての校舎になる。右手は低いコンクリの壁があり、

その上が植え込みでその裏手はもう住宅街になる。僕は校庭で空を見上げている。

はるか高くに黒い点が見えるが、僕が待っていたものだ。迎えに僕も飛び上がる。

空や中空を飛ぶのは僕には夢の中で常套手段になっている。その黒い点は近づくと

2人乗りのリフト座席で、あいつが女といっしょに乗っている。奴らしいパフォーマ

だ。僕はロケット風船のように近づくと、あいつが「よう、サスケ」と言った。

忍者佐助の名前で僕を下っ端のように侮蔑したかったのだろう。

リフトの先の終点に丸い車止めが中空にあり、ぶつかれば壊れるし(これも火花を放って

いた)、危ないので教えてやろうとしたが、あいつなら平気だろう、と馬鹿にされた

お返しに後ろを向いてしまった。やはり、平気だったようで後ろで何の音もしなかった。

あいつは言ってみれば、悪の王で世界の破壊者だ。もちろん、漫画の話だ。

僕は善を代表しているらしい。怪しいものだが・・。

僕は空を飛んでこの校庭の周囲で潜水服型のロボットが、なかに人がいるらしいが、

空から銃を持って構えているのを見た。銃の形だが、カメラだろう。あいつの手下か

大会のスタッフか誰かだと思うのだが、そこに警察の小型ヘリ、たぶん無人、が来て

パイプ状のものを伸ばして、先がそのロボットの腰のあたりに吸いついた。そのまま

なにか警告しながら、パイプはぐんぐん伸びてぬいぐるみロボットを地上に降ろし

てしまう。上空からの撮影を禁止したらしい。

さて、大会というのはあいつと僕とが最終決戦(ではないのだろうが、名目)で戦う

からだ。校庭に下りてくると、あいつが歩いてやって来た。勝った方が受け取るそれぞれ

の品を見せるためだ。あいつは織田信長のような不敵な面構えで、腕を差し出した。

そこに小さなひょうたん型の金属製のものを持っている。ひょうたんの先からは

これも金属片の帯が2、3枚小さく垂れている。僕も手を差し出すが、これはプラスチック

のおもちゃ風で5cmくらいの戦艦模型だ。どちらも世界をひっくり返すほどの神器らしい

が、ぼくのほうが安物に見える。ま、夢だ。

大会のプログラムはこうなっている。大将同志が制限時間ありで、初戦に出る。そして、

最後にまた2,3日の原則制限で最終決戦となる。これで最後にはならないと、僕は

初めから見ている。試合が長引いてあいつが負けそうにでもなれば、どんな汚い手を

使ってでも会場(校庭)や周辺に騒ぎや異変を起こして、勝負どころではない状況を

つくるのがわかっていたからだ。これは飽くまでも最終決戦の名を借りたパフォーマンス

なのだ。といって、わかっても避けるわけにはいかない相手なので、やっかいだ。


勝負の初戦が始まる。観客はいるのだが、その歓声も姿も聞こえないし、見えない。

勝負に集中させるためにホノグラムかスクリーンをかけているのだろう。この後は

僕の弟子たちとあいつの手下が精錬した者で個別に争う。

僕とあいつとの距離は150mか、もう始まっている。実際の体ではなく、自分を

ホノグラム化して膨張させ、お互いに適当な巨人になる。そこで互いに右腕を掴んで

力比べになる。それだけで気圧の風が校庭に巻き起こって、砂嵐を呼んでいる。

このホログラム化はまだ最新の技術で(なんの?と聞かれると困る)、僕は重大で

決定的な欠点を見つけていた。はじめはあいつも同じことをし始めたので、しめしめと

思ったのだが、そうではなかった。

これにはある微細な個所にホールがあって、これを利用するとホログラム化を崩す

ことができるのだ。巨大にホログラム化しながら別にその個所に行くと、なんと

あいつもやって来ていた。なるほど、やつも知っていたのか。で、そこでもミクロの

勝負になり、校庭の1ヶ所でショートしたような火花が飛び散った。すると、めんどう

なことにその刺激で新しいホールができてしまうという事態に。その異変はすぐに

わかる。あいつも僕も分身して、すぐにそのホールの確保に向かうのだが、実力は

伯仲している(懐かしい言い方)から、その激闘の小さな火花が校庭のあちこちで

飛び散りはじめた。

と、同時に巨人の距離がジリジリと縮みはじめた。分身たちの闘いにエネルギーを割かれ

たので、巨人の体積を縮小せざるを得なくなった。そのため、僕も相手に近づくこと

になったのだ。(いや、さすが小説、長いな。端折るをえない)


それで二人ともついには生身で対面して、右手同志が20cmまで近づいたところで

時間切れ、となる。観客からの火花への悲鳴も収まる。悲鳴はさすがに、その気を

二人とも感じていた。

と、ここで眠りを破られた(目覚めた)のだが、わかりやすいお話で空飛んだり、巨人化

したり、夢の中では夢による解説も面白く、しばし、寝床でそれを復習していた。爽快な

感じなので、これは書いておこう、と思ったり。

夢では夢占いで意味をひも解こうとか思って、項目を見つけてみるのだが、ない項目

が多くて。意味がよくわかったというのは、数少ない。潜水服もロボットも項目が

ない。ホログラムなどは絶対にないし、巨人も「精神的に幸運を。感情に流されると

無駄になる、」とか。象徴的なだけで、全体にどういうことか、わからない。

精神分析の二大草分けになったフロイトとユング。ユングも夢分析のために世界中

の書物を読まなければならなくなって、中国の古文書にまで手を伸ばしている。彼が

言うには、夢の、日常を越えて神話の意味で太古が現れることがあるが、それに

しても神話の区別にしても、20日以上連続した日のその数の夢の内容を分析しなく

ては、ほんとうのことはわからないそうで、夢には天才的な直感がある彼でさえ

そうなのだから、僕らが夢から実質的な意味を取りだそうというのは、無理な願い

らしい。

夢は面白い。おもろい、・・それでいいらしい。
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