SSブログ

もの憂い明日と [もの憂い]

我思うゆえに我あり、を考えると、我、我を守るゆえに

我ありに行き着いてしまうので、どうにかならないかと

思ったりする。  デカルトは全く違うニュアンスでその

言葉を言ったのだろう。なにかしらの存在証明であるか

のごとくに。

デカルトはその意味では健康だった。  理性は健全な

働きをしていただろう。 現代では理性はそれほど安全

な地位の上で活躍するには、狂気や病気が幅を利かし

て、動きにくくなっている。 


この ゆるい 動き  

もの憂さ、   そう言ってしまうと  

なにもかもが  その幕を浸透して  

出ていってしまう ようだ  

Say、 グッドゥ バイ、  と  

難民が  国境を越えるように  

遠い旅に  立とうとする 人たち 

僕は   ここで   

思索を  していなくては  いけないのだろうか  

なにかを  求めて  

どこかへ   出かけては  いけないのだろうか  

でも  そうなんだ、   今は  

ここに  留まっていたいのは  僕なんだ  

どうして 

突然、  ・・ 

わかってしまったんだろう? 

・、   ・・、   君を  

待っていれば  いいのだろうか? 

これからは  

苦痛、    悲惨、   それを  

眺めるだけ  なのだろうか  

これだけ  輝く 可能性も  見えるというのに 

ちょうど  この、 ここに  

留まれ、 と言うのか  

チャンスを  掴め、  と言うけれども  

狂った パレードに ついて行く 他に  

どんな 日の過ごし方が   あるんだろう? 

All The Time  

白い煙で  見えない  

ガラスの 灰で   眼が痛い  

窓越しで  世界を  眺めるために  

家に  帰るより     ないのだろうか? 

日々が  

もの憂い、  


この  ペイン、  

僕は  これを  待っていたのでは ないだろう    

世界は  なにも  期待したり、  

期待されて   いないのだろうか?     

まだ  戸惑いは  感じられないが  

これから  潮が   満ち始めるの だろうか?  

僕は  君を    待っているのだと、   思った  

君に逢う 前に  こうなるとは  

思いも  しなかったんだ  

僕は  なぜ、  ここまで来たの?  

これまで  来ることに  意味があるのじゃなかったの?  

そのために  ここまで  来れたのではないの?  

まだ  なにかを  発掘する時間が  

あると、  それは 誤解?  

僕に  なにが  できるのか  

これが  僕たちの  望むことなのか  

自然の  節度、 なのか  

冷静に  なれば  なるほど  

これまでの ストーリーが   見えてくる 、 

恐ろしい ほどに  

どういう 仕掛けの  戦いだったか  
                                    

そう、  そういう解釈も  成り立つ  

スリリングに  

刺激が  酸っぱいくらいに  

そう   反理性的に  反カント風に  

だから  

心で  弄(もてあそ)ぼう     

この 気の滅入る  サーカスを  

まだ  なにか  

そう、  なにかという 

一手が    ・・あるはずだ  

氾濫を  反らしてしまう   水門が  

それを   見つければいい  



もの憂い日は  まだ  しばらく  続くのだろう。  

この街をもう一度見るだろう。 陽光に照らされた歩道を

吐息で明るい色にするだろう。続いていることを証明する

ために僕はジェット機に乗るだろう。 

機内で開くページは重いだろう。パリパリに音のする本は

ただもの憂いにちがいない。 話声で声をかけられたかと

思ったが、この狭い空間でもまだ日本なのだった。 海外で


機内で声をかけられるのは普通だったが、国内ではほぼ

経験しない。まるで村のようだ。知り合い同士で話す。 

少し慣れるくらいがいい。慣れすぎると、うるさくなる。 

トランジットをどうやってこなしたか、もう覚えていない。

誰かに聞いただろうか? 

海外でよかったことなんか、あっただろうか?気がつけば

一番教えられたのは、自分が日本人だということだ。 

習慣や常識、というものがまるでその質が違う。その反射で

自分が日本人であるのが嫌でも反省させられる。僕は

日本人を無意識にやっていた。それを知った。アジア人だ

というのは香港に4回も行って、東京駅に着いてから、そこ

が香港にまだいる気になっていたことで、だ。 

不思議に香港人がわかっていたのに、東京駅で区別が

もうつけられなかった。ベトナム人も、中国人も同じ

だった。最近も、これが何人の特徴だ、というのが日本人

にも同じように見られる、と感じ続けている。島国の感覚

というのがある、とは聞いたことがないが、僕にはある、

と思っている、良くも悪くも。 

香港で何をするのか、というと、最もするのは歩くことだ。

歩いて歩いて、香港の空気を自分のものにするのだ(?)。

18000歩も歩いていた。

日本はジャングルの街は少ない。空気は清潔だ。それが

大きな違いだ。見えない空気が渦巻いていることがない。



でも 明日はまだ、  もの憂いのだろう、   W i ッ。 




nice!(15)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。