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学徒と邪ニーズ問題 [一方的理解]

GACKTとジャニーズ問題が正式の

題目になるのかな。

この問題に直接な興味はない、が、

いつものように誤解とスレ違いは

起こっている、と気にはなって

いた。

日曜日のアッコにおまかせで、私

たちタレントは何も言えない、と

言っていた。

事務所と企業スンサーはいずれも

タレントにとっては雇用主なので

そうなるかな、といったところだが、

先日、ガクトがタレント擁護のため

にタレント起用を続けてくれる企業

に感謝する、というメッセージを

出した。エンタメ的演出だが、これ

もこれで納得できる。

タレントの被雇用者の弱い立場を

言ったものだからだ。

元々タレントは人気商売なので、

一度評判を落として信頼をなくす

と、それを回復させるのは無理っぽ

い話だ。

警視庁と日本ラグビー協会以外では

まだジャニーズのタレント起用継続

に及び腰だが、性加害のジャニー氏

(ビジネスのアメリカ知人から呼ば

れた愛称を使っている、日本人)は

もう亡くなっているので、今の

タレントは無関係でしょ、という

短絡した意見もわかる。

ではなにが問題なのかが出てきて

いないので、それについての私見::


企業側もタレントなみに世間の、

特に今回は世界の評判をも気に

している。なにしろ、企業側は

工場で生産したもので1個でも

不良品が入ったとわかったら、

その時期の工程の製品全部を回収

しなければならない責任がある。

だから、ちょっとした疵瑕(しか)

=キズ・失敗でも1000万円単位で

損害が出てしまう、世間を騒がす

問題には敏感・神経質にならざる

を得ない。

もうひとつ企業側の注目する点は

経営の問題だ。それは藤島ジュリー

恵子前社長が社長を辞任したとは

いえ、100%の事務所の株主で

まだ代表取締役で全権力を保持

していることだ。どんな改革案・

修正事項も彼女の意向ひとつに

かかっているので、社長が誰に

なっても同じだ。

経営者としては、これで会社内部

の体質が変わるのか、ということ

には相当疑念を感じるだろう。

社長になったのが4年近く前、

100%株主になったのが2年前、

それまでジャニー氏とは疎遠だっ

たので、ジャニー事務所には通っ

ていなかったというが、その疎遠

の原因がジャニー氏の性加害の噂

であったのなら、彼女は問題をすで

に知っていたことになる。とすれば、

この3年間なにもしなかった、と

なるので彼女が実権を伴って取締役

にいることは企業側には懸念の材料

になる。将来、別の問題が起きても、

厳然とした態度で対処できるのか、と。


手っ取り早い解決としては、ジュリー

恵子氏が持ち株を分散してしまう

ことだろう。そして、取締役からも

筆頭株主からも降りてしまうことだ。

誰か経営立て直しの人をその時期が

来るまで、入れてもいいし、風通し

がよくなるのが外からはっきりわか

れば、タレント起用の見直しも進む

だろう。

タレントは人気商売だが、経営者は

堅実さが基本になる。より慎重さも

こういう時に必要だ。

ジュリー恵子氏は努力型のひとだが、

情意が強く、またトップ意識が強く

お山の大将を好む性格なので、株を

手放すのは難しいだろう。すべてを

無にするにしても気持ちの面から

抵抗があり、相当時間がかかるの

ではないか。以上のことから、苦難

の道は続くだろう。


といった処が所見である。




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土曜日の、因果で陰鬱な晩 [黄昏]

土曜日の晩だった。

黄昏(たそがれ)は僕が捕まえ

ようとして逃げられた空気袋

だった。

なにも入っていないかのように

膨らんだ姿は、それでも古い

古語の辞書のように意味が詰まっ

ているかのようだった。

それを確かめるチェックがいつも

自分を確保する一つの方法である

と思っていた、いや、そう思い込も

うとしていたのかもしれない。

そうして逃げられたのだが、それで

もそれなりに気持ちのいい晩だった。

どうも感情を動かされることを人は

密かに求めているのかもしれぬ、と

思い始めたようだ。

黄昏とか郷愁という言葉はそういう

雰囲気を保証する言葉だと、額縁に

飾られた絵画を見るように、立って

眺めていたようだ。


自分で自分を見ることはない。でき

ないこともあるが、それを人から

反射されないからだ。それがその晩

は人から自分の孤独を反射された。

それだけなら大した意味も感情も

ない。

ところが、彼の感情は僕の感情だっ

た。それで結果、僕は僕を通して

僕の孤独をみてしまうという、意外

なことになってしまった。

君は孤独になるな。君の悲しみには

なぜか耐えられないようで、耐えた

くない、それは不思議な感情だった。

それは自分のことでもあったからだ。


僕の気持ちも、その悲しみも未知の

もので未来のものであるような気が

するにも関わらず、現実の壁を触っ

ているというリアルなことがあった。

そういう時に僕は君への気持ちが

ありありとわかる。これが人を

しあわせにするから、そのために

失う悲しみの予感は激しいものに

なる、と。

愛というより、愛情だとわかる。


それだけだ。それがわかるだけで

それがなんだ、ということでは

ないし、なにか衒学な意味があると

いうのでもない。深く切り裂かれた

崖のようなクレパスに手を突っ込ん

で、とても耐えられない冷気を感じ

ているのだ。

君に会いたいのでもあるし、会いた

くもないほどにこの悲しみが定着す

るのを恐れているようでもある。

若い君にはこれは未来の物語に属す

るはずだ。なにもこのことには思い

出すこともないのだろう。

そうであれば、これは僕の内心の

独り芝居になるのだが、その方が

僕には安心できる。

僕が誰かにあこがれを持つという

ことは、僕が否定してきた自己の

アイデンティティというものを、

それ与えるということなのだろう。

それは僕が概念に拘束されること

を意味するから、その意味での自由

を取られることになる。満足を求め

て、自在感を捨てることになるのだ

ろう。

これが奪おうとすることで与えられ

てしまうことであり、与えられてし

まうことで惨めになる、という循環

なのだろう。それがそのまま自分を

実現させようとしてプライドを発揚

させようとする、心のシステムなの

だろう。


さて、僕はどうするのだろう?それが

わかった処で、そのことが直接、僕に

進む途を照らすのでもないし、重要な

人生の指針になるのでもない。

のだから:- 

ふつうはここで落ち込んでゆくのだ

ろう、と予測するが、僕にはできな

いし、またこの状況を自分から他人

から、自分のために他人のために

判断するのに時間がかかるのだろう。

アイデンティティ、僕が?

笑ってしまいそうだが、そうはさせ

ない真剣な悲しみがある。


::

日曜の晩になっている。

歴史に時計という、残りとか増加する

という刻みは存在していない。

僕らはすべては無意味だというニヒル

な思想と、いやそれは考え過ぎだと

いう理性の常識の、どちらも平板と

いう思考に陥っている。その概念の

遊びが真剣な状況になった時は、僕ら

はほんとうに「ひとり」とか「孤独」

というものの激烈な焼ける鏝(コテ)

を感じるのだろう。それがどんな

ものか、僕も知らないにしても。



(無意識下の自分が感じているだ

ろうことを予測しても、形も影も

ないので、それを知っているという

ことはあり得ない。だから、知って

いるとは言えない):ーというやや

こしい状況が、要するに僕を取り

巻いているということだと思って

いる。

常々(日常)のことだが、・・・。


:::

例えばだが、上皇さん夫妻は天皇

時代から皇居の散歩で少し歩いたら、

少し軽いランニングに切り替えて、

300mくらいでまた歩く、をくり返し

ているとニュースの解説で聴いた。

足の筋肉に刺激を与えるのが、筋肉

が衰えないようにする目的なので、

これはよい方法だろう。

それと似て、哀愁ならまだしも、

自分を落ち込ませるためにその

陰鬱な原因と底を求める(書く)

のも生きる刺激を回復させる

(反動の)方法でもある、と予測

するのだが、

・・・どうだろう。

習慣化したかもしれない:::


もう少し言うと、しあわせは死ぬ

ほど気持ちいい。そして、死ぬほど

の孤独と思われている「人の孤独」

を、僕は闇から自分を守る砦くら

いにしか感じない。

砦に帰りたくなるのは、帰巣本能

と変わらないのではないか。

アゲハ羽1.jpg

散歩に出ようとして駐車場の入り口

当たりで立ち留まってて、ふと下を

見ると下草にアゲハ蝶が止まっている。

珍しいな、こんな近くで、とすぐに

動かないので死んだ蝶だと。

拾ってみると、やはりそうだった。

羽を広げようとすると、折れて半羽が

落ちてしまった。画像だけ残した。
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自閉症(カッコウ・加工)という巣の上で [自閉症]

考え事をしない、そして考えない

ようにしているだろう。瞑想に似た

時間ではぼんやりと考えているの

だが、その内容・意匠は自覚して

はいない。と言っても、半自覚的

だから目覚まし時計を時間に合わ

せるための思考は必要で、それで

時間を合わせる動作はする、といっ

たもので、ただし、そういう動作

をする自分を反省しない。意識し

ない。考えの内容だけに集中する

のだろう、すると考えだけが制約

なしに進む。

これを普通の集中した考えと区別

したことはなかったが、僕は自然に

そうした工程で無意識との感覚を

探っていたらしい。これがいつの

間にか、目を開けての、または

瞑目を必要としない瞑想になった

らしい。


思い出せば、これは昔から、少ない

ながらも白昼夢のような形で時々

起きていた。わずかな意識に上がって

きた一瞬の映像を、自分で考えた

わけではないので驚いた記憶がある。

この日常の集中には精神的に欠陥の

特徴があるらしい。   5. 11

自閉症は変わった病気だ。そういう

傾向を呼ぶかのように、40歳でも

引きこもりをしているかと思えば、

米津玄師のようにあるきっかけから

復調して音楽の才能を発揮したり

する。

その陰鬱から出世との隔絶と過程と

いう見え方の間にはいくつもの

パターンがあって、自閉症の定義を

難しくしている。

アメリカでも自閉症は肯定的な考え

方が多く研究されているようで、

その繊細な感性から騒音や予定外の

行動に舵が取れず、マイペースで

ないと、ひどい場合はパニック症状

を起こす、という。

「アストリッドとラファエル文書係」

というフランスのドラマを観ていたが、

次回シリーズ放送でまた見始めると

あの頃とはまったく違う感想を

抱くようになった。

あの頃はシャーロックホームズばり

の推理が面白くて、アストリッドの

自閉症になにか惹かれるのを感じ

ながら、それほど深くは感興しな

かった。

しかし、今回は推理が二番で、自閉症

の性格や行動という主役の女優の演技

が最も共感を覚えた。惹かれたのは、

共感していたからだった。一種の

共感覚だ。

コミュ症で空気が読めず、話し方も

ふつうには愛想のない理屈っぽい

言い方になり、他人はそれしか聴け

ないので、いじめにも会うらしい。

これは僕の対社会への感覚にとても

共通したものがあって、僕はコミュ症

でもないし、それでいじめに遭った

ことはないと思っていたが、よく思い

出すと、小学生の頃はうまく喋ること

ができなくて、どもり(吃音症)だっ

た。

その昭和の頃は発達障害とかの知識

は世間にも先生にもなにもなくて、

医者にかかるか、精神論で直すのが

主流だった。その頃にはもう無意識

だが、僕は対社会にうまく適応でき

ない状態を心では自覚していたらしい。

その原因が自分の繊細な感性にある

のを知らなかっただけだ。

アメリカでの研究はその繊細な感性

を守る行為が自分を守ろうとして、

いじめから登校拒否になったりする

そうだ。

僕に小学生の頃に遭った障害は記憶

だったろうと思う。ある日、学校に

行くと黒板に僕の姓が書かれ、今日

(僕)を怒ると、担任の先生の字で

あったが、まったく身に覚えがなかっ

たので平気だった。何かの間違いだろ

うと思っていたら、鉛筆の削りカスが

誰かの机の下に入っていて、それは

僕がしたということだった。

まず、僕は先生の受けがよくなかった。

それは誰かが宿題を忘れた時にそう

先生に報告したら、許してもらえた

ので、そうか、正直に忘れたと言えば

宿題をしなくて済むのだ、と思った。

それで毎回、宿題をしていかなかった。

そういう誤解が可能だったのは、自閉

症の部分症状気味だったのだろう。

それで僕がしていないと言ったので、

先生は明らかに不愉快になり、僕が

図々しい性格で噓つきだと決めつけ

てしまった。誰か女の生徒が僕を

とぼけている、と言ったので、そちら

を信用したのだろう。

これは僕が症状で忘れてしまった

ことなのか、誰かのいたずらに

嵌ってしまったのか、今でもわから

ない。そういう偶然のことで僕に

不利な状況が生まれるのは子供の

頃の経験で茶飯事だったので、僕

は日常は空想をして過ごす少年だっ

た。

僕は自閉症の本を読んでみると、他

の精神障害と特徴が異なるのが明確

であるかのような印象を受ける書き

方をしているが、体の?中身はどうも

ちょっとした神経のかけ違いで区別

されているだけのような気がして

いる。

ウツ症状というのは日常の理不尽な

こと、不安定なことに気を取られる

と起きることだし、それこそ医者に

診てもらうべき症状まで段階もいろ

いろあり、どの神経症の症例にも

みられる、神経には恒常に見られる

症状だと思うのだが、原因は不明な

ので、医者は厚生省で認可された

アメリカの薬を自分の体験の見当で

量や日数を患者に渡している。

そこには恐るべき抗精神薬の無秩序

があるのだが、医者は信用に拘わる

から、わからないとは正直に言えない。

今は対症療法しかないので、それで

医者が一方的に悪いとはならない。


自分を失くすというのがどういう

ことなのか、初めはよく知らないし、

それは欲を抑圧する=コントロール

するという古い仏教的な方法だった

のだと思うが、そういう伝統に

自覚せずに従ったものだと思う。

だから、それは可能であると思っ

ていたが、実際できたが、厳密には

消えてなくなるわけではなかった。

一時的に見失うことがあったが、

あとは第二、第三とかできても

あまり気にしなくなる。自己は

考える瞬間にその無意識な立場を

確保する必要が必然なので、その時

は必ず発生する。

夜眠ると、大部を失うが、やや夢

などを構成するのに動くが、自意識

下のように自覚したものではない

のは誰でも経験で知っている。

気絶しても同じことだろう、体の

都合で体の?頭脳の?奥に引っ込ん

でしまって自覚して働きはしないが、

自分を覚醒させる機能は失ってい

ない。

僕のこの自己を滅する実験はいろいろ

と段階を経ながらだが、1年前だろうか、

その頃には善悪や上下とか民主と独裁

とか、保守と自由の思想などの対立

概念を見分けがつかないくらいに整理

してしまうと、それらが区別できない

ものとして認識するくらいに否定して

しまうことが出来るのを発見してしま

った。その時の、今でも慣れないが、

不安定な心のバランスの不具合は酷い

ものである。心を縛るものは日常では

それなりに必要なものであるが故だが、

そういう状態での感興というのもまた

貴重なものだった。その空気の中で

暮らした経験でなければ味わえない

意見・感想・感興というものがある

からだ。半世紀が速いのか、たぶん、

遅いのだろうが、そこまで来ると、

気づくのはキリがないということだ。

自分という人間の要素で構成できる

世界が可能で、それは現実の社会・

世間と当然重なったダブりの面と

異なった個人的な面がはみ出る、

そういう一つの世界が出来上がるし、

出来たのだという成果?だった。

それがどういう風に役立つのか、

何に役立つのか、という話はまだ

詳しくできない。

しかし、それに一定の評価は与える

べきだという意見を僕は持った。

ちょうど、自閉症者が引きこもりに

なるのは、それなりに正当な自己防衛

の態度だと認めるべきなのだ、という

意見と一緒で似ていると思う。


例えれば、ユークリッドの幾何学は

平面幾何で机やノートの図面で必要

だが、「非」ユークリッド幾何は曲面

の地球の上を飛ぶ飛行路などに役立つ

ように、定義を変更するだけでそれ

なりに幾何学ができてしまうように、

またマクロという宇宙の物理は相対性

理論で計算し、ミクロという量子世界

は量子力学でないと確率だが、うまく

説明できないようにすべての意見とい

う思想・思索はその人の個人的な頭脳

からそれなりの世界・哲学を引き出せ

ることが出来るのが、この無常の世界

なのだ。現実の要素に対応して、様々

な計算法があり、それなりの理論が

あるというのがどうも、知の世界の

自然だというのが、僕の感想だ。


それは僕が茫然と・呆然と考え、暮ら

している生活態度に多大なる影響を

及ぼしているように、窓の外へ幽体

離脱するように夜の闇に漂って帰って

来ない自分の意識を見るようだ。


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例えば、無責任な睡眠 例えば、人間見取り図 [自己判断]

なんかもう書くのやめちゃおうかなぁ~

とか言う軽いノリで気分を浮かそうと

する、窓の外の雨の降り放ちだ。

うっとうしいから、その反発が出る

のか、軽いノリではなかったが、いつも

心の奥底からのぞかせている獅子舞

のような敏感・避雷針のような神経は

その発信をして内部のあまのじゃくに

知らせるのだ、出番だぞって。

そうすると、面倒ぐさがり屋の天邪鬼

がごそごそ起き上がって、冗談じゃ

ない、まだ引退には早いんだ、と

つぶやくのだが、引退するわけじゃ

ない。

こんな夢想に相応しい曇り空の夕べだ。


自分の過去のブログは2,3か月前のは

他*に掲載するために見るが、それ以前の

ブログはほぼ見たことがない。かなり、

そのうちに書くと言うような宿題のこと

を書いてきたので、それが見つかるの

が少し怖いのだろう。無責任の中途の

形だ。

それを見たら書くだろうと考えるので、

見なければ気がついていないので、書か

なくて済むという、よくある先送りに

する逃げだ。

5月5日まで休養だったで休むために

(遊びと休むのが苦手)かなり我慢を

強いられて本来やらないゲームを大部

の時間でしていた。おかげで変に疲れ

てしまったらしい。5日6日7日の朝は

起きられず、夜も遅くまで起きていて、

12,3時間は布団の中で朦朧として寝な

がら、やや起きていた意識があった。

こうなると昔々の学生時代の夏休みを

思い出す。昼は寝て、夜に起きだすと、

なんやかや活動していた、不規則な

生活をしていた頃だ。

体というのは不眠症という病でない限り、

必ず必要な睡眠を摂る。これ以上は眠ら

ないと死んでしまう、という時、死んで

しまうことはない。無意識のうちに

眠ってしまうのだ。バタンキューとい

うやつである。人間は死ぬ前に眠ってし

まう、そういう人間の体の本能?を山の

生活で知ったので、眠らないことを恐れ

ることはなくなった。いつでもどこでも

寝られる処でちょっとでも眠ってしまえ

ばいいのである。

それからは一時期は数年か、昼夜、朝夕

に構わず寝るので、いつ寝ていますかと

いう質問には答えられないし、睡眠時間

などはまったく気にしていないので、

自分がどれくらい寝ているのか知らな

かった。



そんな出来事だったのかよ、と思うこと

がある。五島列島・離島の家を手放し

たのはもう1年前にもなるのか、・・と。

夜中に堤防の上をまっすぐ歩けるか、と

瞑目してたった20か30歩で堤防から

5m下の黒い海に落ちてしまったのも、

いい思い出だった。

夜の海は驚くことがあり、小石を

投げると、その撥ねる水面の波紋に

海ボタルが反応して、緑のイルミネ

イションのような光を飛び散らす。

これが美しくて、港には少ない小石

を探しては、海に投げるのだ。

晴れた夜空は星が2万も見えるので、

いつまでも眺めている。

だが、離島は不便で、車が必要で

その車もフェリーでないと行き来

できない。その運賃も神奈川から

通うとなると、コスト的にネック

だった。

諦めがついたのは岩場から落ちて、

九死に一生を得たからだ。と言って

も入院はせずに、その日のうちに

病院から帰って来たが。救急車も

初めて乗ったが、特に感想もない。

島の病院の医者は長崎大学から

来るインターン生もいるようで、

診断はかなり怪しかった。島の

住民は長崎の病院まで海を渡って

入院するらしい(笑)。なにしろ

ここの医者では殺されてしまう

という噂も聞いた。

僕の膝のけがを見た、他の患者で遅れ

て来た医者はすぐに骨に異常はない

からと、レントゲン検査の予約を中止

した優れた医者だった。専門分野が

違うのだろう、それまで若いインターン

生らしいのが男女二人いて、僕の膝を

見てこれはやられている、と骨折を

断言していた。こいつらがヤバい

らしい。担当医がしっかりしていて

助かった。


この島に初めてきた時には、民宿に

泊まった。素泊まりだけで、食事が

ない。島である、午後5時ともなれば

店は薬局スーパーを除いてほぼ閉めて

しまう。外食レストランもマクドナルド

も一軒もない。車はなかったから、買い

には行けない。前もって計画的に朝・晩

を買い置きしておかなくては、・・・。

その民宿で考えたので、まだその部屋

の情景を覚えている。ぼんやりと見て

いただけだが、そのほうが記憶に残る

のだろう。

人間一人一人の違いはそれほど多くは

ないと思えるのに、実際は考え方の

違いや、感情への重きを置き方の違い

や、特に個人個人のセンスの差という

ものはれっきとしてあり、それは

はっきりしている。なぜか、同じ服で

ダブるのを嫌うことも。

その違いがあり、もうひとつ気づき

にくいことで年齢の積み重ねがある。

それは単純に子供から年寄りになっ

てゆく過程で間違いないのだが、なぜ

か僕らはそれを当たり前に親や家族、

親戚など世間を見て、知っていると

思っていることだ。

僕には思春期にホルモンバランスが

崩れて、人間の発情期が来るという

ことを教わった記憶はない。

高校生になると、やたらヌードの

載っている雑誌などを買い漁り始め

るのも多い特徴だ。

これは初めての体験になるのだが、

そういうことは時間が経てばわかる

というような自然の成り行き任せの、

親も、教育方針だった気がする。

ところが、初体験はここに終わらない。

卒業して就職するのは社会生活、つまり

は職業人生活の始まりで、それに慣れる

と結婚や事業や人生を修正したくなっ

たりして、人生の方向が分かれるし、

それぞれの中年時代もそれぞれになる。

様々なそこでの家購入とか子供の学資

とか経営の運転資金や知識吸収や専門

家への依頼など責任が問われる。

それらはまったく予想してこなかった

もので、相談できる通常案件である

場合も、また相談できない特殊な新規

の事情や案件である場合もある。

それらがうまく行く時もあれば、最悪

になる場合は人生は落ち込んでしまう

場合もある。それは予定に入ってい

ないだろう。

それがふつうの程度で乗りこえられて

も、還暦には退職後の生活が待つ。

そこで終わりにはならず、70になれ

ば、思いも寄らない体の急変や怠惰・

退化が還暦よりも持病に近く襲って

来て、生活を改めなければならない

事態にもなる。

つまり、僕らは年を重ねても、どう

しても新しい事態に対処しなくては

ならない状況がこの人生のそれぞれ

の過程でどうしても生じるものだ。

この新しい事態の連続に終わりはない。


皆、同じ経験をするのだ、と思って

いるが、確かに似てはいるが、それ

ぞれの経験であって、まったく同じ

ものはないだろう。

常に僕らがそういう経験をせざるを

得ないという状況は、僕らが知り得

ない事情が常に付きまとうという

ことで、知り得ないのだから、それ

はある程度保険をかけておくという

習慣・制度ができているが、それは

それで安心十分というものではなく、

ともかくその程度は用意しておきたい

くらいの予防体制・対策だろう。

年寄りってなってみると、初めての

経験だとわかる。ように、どの時代

でも生活の雑用に手がふさがれて余裕

がない状態なので、僕らは外部や自身

の内省問題に追われてしまう。

そこで自分に目を向けると、自分に

ついてそういうわからない部分が常に

10から20%はあるだろう。それは眼に

見えない変化というものだ。

そこで自分について知り得る部分は一般

に、平面だけで考えると、80から90%

になる、と。それをその範囲だけで考え

るとそうなるが、例えば、自分は他人

と違う、異なっていると思っている。

それを疑う者はいないだろう。生活で

見聞きして、大いに経験してきたから

だ。すると、他人との違いがあると

いうのは、僕らは比較でしか認知しえ

ないので、自分にない性質については

わからない、ということになる。

なぜそう考えるのか、なぜそういう

気持ちになるのか、なぜそう感じる

のか、そういうことが理解し得ない、

と。僕らはひとりで人間の全考え方、

全部の気持ちの傾向、感覚のすべてを

備えていないことを知る。

それらがお互いに矛盾した複雑な考え方

や気持ち、感覚であることを知っている。

それはそこに理解しえないものがあるの

だから、僕らはそれらの部分部分をお互い

に配分されたかのように、分けて備わっ

ているということだ。

それをどう決めていいかは、まったく

わからないから、見当で僕らはひとり

一人が人間の備え得る考え方や感情、

感覚を70%備えている、と見積もって

みる。そうすると、僕らの知り得る

自分というのはすでに10%は不可能

なのだから、残りの80から90%の内の

70%ということなので、それは56%

から63%ということになり、僕らが

知り得る自分への答えは、ほんとうの

ことの60%程度がふつうで、頑張って

70-80%というのが知覚で可能な

自分というものへの認識だなのだ。

ならば、飛躍して僕らが戦争を止めら

れないのも無理からぬことと思えない

こともない。それでいいわけないが、

自分のことも十分に知らないのに、

自分が正しいという判断で毎日毎日決断

していかなくてはならない責任ある人

たちは重大な決断をできないという前提

にも関わらず、それを決断してしまう

ことにマヒして自分を慣れさせてゆく。

責任への罪の意識や誤った判断への

感情から自分で自己への弁護もしない

わけにはいかなくなるのだろう。

しかし、他国の生命線や他人の命に

直接にも間接にも関わる事項について

は僕らは重大な決断をする資格は持っ

ていないのではないか。それは国民

投票や全会社投票や個人なら家族の

意見や知人友人の意見が実はどうして

も必要な案件なのではないだろうか。

::他国の生命線や他人の命に直接

にも間接にも関わる事項についての

ことである。::


国やその歴史などの経過の事情を自己

の内省判断前提にさらに加えると、僕ら

の自己への可能認知度はもっと小さな

ものになってしまう。

この’予想範囲’だけという基準を以ての

極論をもって、だから僕らは無知なの

だというのは言い過ぎだろうが、僕ら

がお互いを知らなさすぎるというのは、

どうやら事実に類するだろう。自分は

正しいと思う人ほど病気に近く、危ない

だろう。

問題は誰でも、年と経験を重ねても正し

すぎてはならず、誤りを恐れ過ぎても

いけないことだ。その決断を経験と

失敗を積み重ねることで培い、育て

続けることだろう。若い時の成功経験

の金箇条を持ってはいけない。それは

過去や歴史に学ぶべきではないのだ。

もうその時の状況は終わっている。

自分の年代の案件を次々と潰してゆく

前提が控えているから。

世界は自分の一時代と重なった時間を

踏み越えて、広がり続けている。





* 他:それがこのブログ。

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君がはるかな春にどう想うか [日本]

君は どう思うか 

そう思いながら 誰に

いったい  誰に向かって 

言っているのか と 

思う 

自分という 居場所を 

放置してしまう 

皆の メロディ・トークを 

聴くと 

皆が 皆  

そう言っている  ように 

聴こえてしまう 



こう思う  という想いは 

言葉にすると  ひとりでは 

立っていられない らしい  

城下町を  尋ねて 

お堀を 歩いていると 

日本に帰化した あの人の家の 

前に来た 

日本を 愛する  奇特な人 

だったのか 

日本の娘と  結婚して 

世界の 遍歴は 終わった 

らしい 

庭の カエルが 食べられてしまうと 

蛇の穴の 前に  鶏肉を

置いておくような  人だった 

ラフカディオ ハーン ・

日本名 小泉八雲

ハーンは 実名の読みでは 

なかった  ヘルン

誰かが 間違えたのだが 

本人は 気に入って 

ハーンを 名乗り続けた 


東京大学で 英語を 

教えてもいたが 人気も

あったのに  諸事情で

退いた 

そのあと 講師になったのが 

夏目漱石 

彼は 厳しく こだわった 

教え方だったので  学生の 

評判は  よくなかった 

なにかのことで  そのひとりは 

自殺している  

それでなのか  知らないが 

漱石は  先生は辞めて  

小説家に  なりたかった 



遠き 春を  想う 

島で拾った猫と  偶然 訪れた 

松山市は  漱石の先生時代の

坊ちゃんの 舞台だった 

遠き 夏を  想う 

親友 柿食えば 鐘が鳴るなり の

正岡子規 の記念館があった 

そこで 彼ら二人の 学生時代の

等身大のパネルが あった  

これに 出会うために  

猫も 泊まれる宿が  松山市 

なのだと  想ったことだよ



はるかなり  昔の  日本

遠くなり ました  

いよいよ  遠く  

なりましたね 

僕の 影が 薄くなりゆくように 

代わりに  

明治が  終わらないようだ 



はるかなり 今日の  日本 

遠く  春霞に  けぶるよう 


君は どう 想うか 

ああ 



君が  春に  けぶるように  

ダブって  見えるよ 



はるかなり 今日の  日本 

遠く  春霞に  けぶるよう 

僕は  まだ  遠回りを

しているように  



春を  霞み  見るのだ 

見えないものを  そのまま  

見ようとして 

急いでいる つもりもない

でも なぜか  急(せ)かされる 

この気持ちは  

せつなさ  だろうか



この街を  

点々と 足跡を  つけるように 

歩いている 

その人の  姿を 

君は  どう 想うか 

花に  霞む 

いなくなってしまう ような

ピンクの 花びら の姿が 

消えてしまい そうな

その 姿では ないだろうか 
              5.5

::

東大での夏目漱石の講義は、始め

こそラフカディオ・ハーンの復帰

運動こそ学生から起きたが、やがて

教室が満杯になるほど人気になる。

また、ハーンは退職後に確か、数か

月で亡くなってしまう。
            9.6
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ジャスミンの彼女(日本)を育てる [日本]

人間、と言うとその全体の様相は

わかっている気がする。その内容

を知識に彩られた概念で探そうと

すると、あまりに多くの情報に

出会い、とても吸収できるような

ものでなく、膨大な情報量に圧倒

されてしまう。

なぜかそれを全部読んだり、視聴

したりしなければ、意見が言えない

ような気にさせられる。

そういう錯覚がこの世にはいろいろ

な分野にあふれている。ほとんどが

百科事典的な事務的な情報なら、それ

は放っておいてもさしたる害はない。

知り尽くす必要もないのは、その基本

だけでも吸収してしまえば、あとは

新しい情報だけなので、その部分だけ

をピックアップすれば、どの情報も

短時間で読み終え、視聴し終えること

ができる。つまり、重複した情報に

あふれている、ということで、大事な

ことは自分に関わったことが、ほぼ

大部だとはっきり言える。

僕らの経済環境は循環を増やすことが

必要で、しかも最新の情報は世間的

には専門家向きで、一般には向かない

ことが多く、そのため民間の企業は

世間にへつらい利益を求めなければ

ならないので、くり返しを少し形や

色合いを変えるだけで内容は同じ

ことの亜流や変形であるものを出し

てくる。

古典の類は内容が固定概念化されて

いて、その解説で読まされている

ようなもので、自分の見解とぶつかる

ようでないと、新発見は望めない。

また、古典を手に取るだけでも少数の

人で、名前は通っていても、実際は

読まれない古典のほうが多い。



僕が読書をどちらかと言えば、好ま

ないのは、10頁も読む間に、疑問が

多く浮かんで、そのために別の著者

の本を探し出して、確認したい誘惑に

かられるからだ。そして、その著者

の本でも同じようなことが起きて、

また別の著者の本を読まねば、となる

のでキリがない。

1冊読むのに、数十冊を借りたり、

購入したりと雑用に追われる。読む

時間よりも探したり、借りに行った

りの時間と手間のほうが長かったり

する。効率は考えないようにして

いるが、本は溜まる一方で、1冊を

読み切った経験は、非常に少ない。

数千冊の蔵書を眺めると、遠くに

気が持って行かれるようでもある。

それでなにか不便は感じない。

それよりも偶然が運んでくれる

情報を訪ねていったほうが実りが

多く、楽しい気がしている。

本というのは、畢竟、過去のことし

か教えてくれないし、学べない。

広く長い海岸線をもしかしたら、

いやたぶん1個くらいはダイヤ

モンドの指輪が落ちているかもしれ

ない、と拾い探すようなものだ。

と言っても、好奇心の多感な考える

人ならダイヤの指輪は見つから

ないだろうが、いつかは新しい発見

それは物か、考えかわからないが、

発見をすることになるはずだ。

明治の科学者・寺田虎彦も言うよう

に「科学者は馬鹿でないといけない」

ということだが、頭の馬鹿ではなく、

利口な人がそこは終わっていると

いうように考えず、実直に他の

研究者が辿った跡を丹念にもう一度

探ってみるのだ、ということ。

それは理屈に合わなそうだが、因果

に照らせば、この世は無常なのだから、

同じ状況・環境は続かない。その

研究者が辿った時と同じ状況に今も

なっているとは信じがたい。必ず

変化している部分があるはずで、

幸運ならば、その変化がもっと

大きな変異を呼んで、今でなければ

できない発見をすることができる

からだ。それには馬鹿にもなるほど

実直に物事に取り組まねばならない、

とそういうことを言っている。



だから、よく本を読む人は目の前の

日常生活の細かな観察を怠らなけ

れば、本で取り入れる情報より確かな

知識が収穫できる、はずなのだ。

それをアウトプット(外へ発露)でき

れば、それは知識の内容からの把握を

証明する確かな人生の糧にもなる。

動植物や昆虫は子供の頃のための

ものではない。ジャスミンが他の家の

生垣で匂っていたら、その花の歴史

を調べるだけで、ジャスミンと親しく

なれる、はず。

シャーロックホームズの晩年を知っ

ているだろうか。彼は養蜂家になっ

たのだ。蜂を育て、蜜を採取したの

だろう。イギリスらしい、田園の

生活を伝統的に敷衍(押し広げ)した

のだろう。

日本人としてなにも敷衍するような

ことはなにも考えていないが、以前、

無人島で生活する夢を見て、離島の

家をもらい受けたが、コロナで手放

した。それも無人島での生活は、実際

に野崎島という実質無人島に出かけて

思うより厳しそうで、晩年の生活では

ないのだ。まさか、動物園では弱そう

に見える野生の鹿に威嚇されるとは

思わなかった。

その時、なにを生意気な、オレは人間

(様)だぞ、と人間(自分)のプライド

が一瞬出てきたのは面白かった。無意識

では動物を見下す面があったのだ。それ

をその時に知った。これも隠された自分

発見の体験的知識だ。

そのおかげで動物への親しみをより増や

して、意識することができた。



今、日本はどこにあるのだろう?と

空を見ている。それを知りたい。もう

少し生きて、それを各地に確かめて

みたい。

父はたぶん戦地で戦ったので、死者を

相当数見たはずだ。亡霊も見たのだろ

う、帰国後は自分の先祖の墓参りばかり

でなく、他人の知人の墓参りもしてい

たから、そういう経験をしたのだと思う。

だが、それは死者の死後短期間のこと

であってそれが死者の魂だと見るのは

錯誤だと思う。ので、僕は先祖のも

親のも三周忌からは今まで一度も

墓参りをしたことがない。墓には

それらしき誰をも感じたことは

なかった。

いずれにしても、

日本各地の過去を訪ねることは、

その歴史的な墓参りになるだろう。

そこに墓があるとは限らないが、・・。
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城、春にして草木深し [日本]

語ることはいくらでもあるが、語る

「べき」ことはほんとうにあるのか、

未だよくわかっていない。

ないらしいことは、感じるがそれが

確たる姿を把握している、という訳

ではない。それならどうしてこんな

事情になったのか、と思う。

この物足らない、そして不可思議な

感じはいつもあったようだが、それ

は闇の責任に転嫁していたので、特

に考えたことはなかった。

ありのままでいい、とか言われるが、

それはほとんど不可能なことを指して

言っているのではないかと、考えて

しまう。

地球があって僕らの生活が続く限り、

ありのまま自然に任せるのは、困難

に思えるが、その日暮らしをしてい

る原住民はいて、文明のテントとか

見せても、我らには必要ない、と

笑いながら言う。

森を移動しながら、食物のなる木を

求めて同じ季節に同じ移動をしてい

るのだろう。食べ物を探して一日は

暮れて、調理にも手間がかかるので、

キャンプと同じで食事をするまでに

時間がかかる。そうして一日は暮れる

し、それがくり返されるのだが、彼ら

はそれを黙々と繰り返すようだ。

食べ物の保存には気を使わなくて

いいだけの天然の食料は手に入る。

しかし、余裕はないのだから、毎日

それに追われる。しかし、食料に

あぶれることはないので、不満もなく

その同じ毎日を送る。

それがありのままなのだろうか。

あるがままなら、純然たる社会主義の

国がある。キューバはヘミングウェイ

も好んで住んでいた。

国から支給されるお金が日本円で

3000円ほどで、市場で売られるパンは

1個20円くらい。皆がその貧しさの中

なので、我慢できるのだろう、と思い

がちだが、そうでもない。生活の贅沢

はない代わりに大学までの教育は国が

面倒を見るので無料である。教育資金

を工面しなくていいのだ。そして、

医療費も安かったと記憶している。

なにしろ、性転換の手術がその相応の

正当な理由があれば、これも無料だと

いうから進んでいる。

金を追いかけて仕事をする生活では

なくなるから、そういう生活方式の

ほうがいいという人もいるはずだ。

それもありのままに近い生活なのだ

ろうか。いや、国の生活費の手当て

での政策などあるだろうから、あり

のままとは言えないだろう。


理想としては僕らが国民としての

自主的な意識をもって、専門家や

公共の事業などは国営がいいのか

民営がいいのか判断して、そうい

う国家を将来的にイメージできて

いることだろう。学校からそう

いうことを教えて、考えさせるのが

本来の教育だと思うのだが、権益の

意識と実際の日教組などの組織が

すでにそこで腐っているので、部分

で反日教育となっているのは驚く

べきことだ。新聞やTVとかのマス

コミでも報じられないことが多い

のだが、それは隠されている。

ニュースに出てきても、日本の国民は

ほぼ洗脳されているのに気づけない

ので、日本人とはどういう人たちなの

かを自身のこととして捉えられない

くらいに心が衰弱している。

安倍晋三首相(当時)がトランプが

大統領になってすぐに会いに行った

のは、偶然ではない。たぶん、まだ

首相を退いても大きな派閥の影響力

があったので、演説会場での警備体制

の不備も偶然ではなかった、という

見方を僕はしている。


日本国民は大きな無知の中にいるだ

ろう、と見ている。僕は還暦を過ぎ

るまでに10年以上戦争を考え、見て

きたがこれまでの歴史を知らなかった。

それは学校で教えないからだ。日本人

というアイデンティティはその良し

悪しはともかくとして、知らないで

はすまされないもののはずなのだが、

それは自分の親を知らないと言う

ようなものだ。


だから、ありのままという言葉を聞く

と、その前に知らなければいけない、

判断もできない事情が、歴史にも

政治にもあるのではないか、と思わ

ざるを得ない。

ニュースは国際的になって来た新しい

犯罪とか、芸能ゴシップ、スポーツの

話題、日常の生活の衣食住の変化、

など娯楽や近視眼の流行を追うばかりで

不都合なことが起こっていても、報道

されないばかりでそこに無感動にも

なっている。

危機感というのは当たり前の生活を

しているのでは、とても生まれない。

意見というのは、どうにでも主張を

変えられるので、どういう立場に拠る

かで、どんな意見も存在するし、可能

なのだ。だから、自分がそれを判断

する必要がある。その準備がなされ

ていないのが、そうされてしまった

歴史の経緯という、今の日本がある。

その自覚から始めるにはどうしたら

いいのか。

そこからになる。なんとも遅れた話

ではある。


城、春にして草木深しは、国が滅びて

草木が伸び放題にはびこってしまった

ことを言うが、精神的には日本の姿だ

と言っていいと思う。

悪くなれ、とは言わないが、それ

くらいのことは明確に自覚してで

ないと、お人好しの意見・交渉では

甘く見られたままだ。戦争は資本主義

の最大の消費という儲けの機会なの

だから、そういう見方から国際関係

の武器売買を見なければ、戦争反対

がいくら真理でも、僕らの心情でも、

まっとうな意見でもいつの時代でも

それには目隠しされて、それらしい

理由がプロパガンダ(宣伝)で用意

されたのだ。だから、戦争の悲惨な

記憶を受け継いでゆくというような

子供だましのことで、将来戦争が

防げるというようなことは決して

起こらない。

それも必要だが、それだけでは役に

立たない、ということである。


    23.5.2
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自分(知)という形態が依存を自然発生させる [依存]

星雲というのはきれいな渦巻で、

見ていると手を突っ込んでみたく

なる。

洗濯機の水流の渦ではないから

そんな巨大な手を突っ込めない

だろうし、そんな巨大な手も

想像でしかない。

そんな気持ちになるのは、宇宙が

まるで手に負えないからだろう。

あまりに距離があるので、光速で

年数で達した距離というのは、秒速

30万kmという光の速さを利用した

ものだろうが、億光年というと、やはり

時間で感覚してしまう。時間を距離に

置き換える意識の移動が楽ではない。


昨日まで、と言っても7,8年前だが、

宇宙は電波望遠鏡でかすかな光を

頼りに分析していたが、地球の外に

望遠鏡を設置してそこからの観察で

いろいろ新しい情報が入ると、これまで

の宇宙の科学常識が次々に覆されて

しまった。

宇宙の物質はほとんどがわからない物質

で満たされている、と仮説が立ったが、

それはダークマターと呼ぶことにした

だけで、そこで止まっている。

その観測にしてもヨーロッパだったと

思うが、その一度成功しただけで、それ

が基になっている。

つまり、今までは宇宙物理学で推測した

もので間違いでないだろう、とかなり

高くその説を支持していたのが、全部

崩れてしまった。

ではこれまでは科学の言うことだから、

大丈夫だろうということで、教科書で

教えられていたことが、見事に観測で

否定されてしまった。

でも、はっきりしたことがわかる

まではこれまで通りに間違った説が

教えられていくのだろう。それが

これまでも、そしてこれからも続け

られていく教え方、というか、歴史

の無頓着・無差別だからだ。

40年近く前に社会がかなりいい加減な

教育の基に置かれていて、確実なこと

は思っているよりもほぼない、という

ショッキングなことも経験した。

これは内部の爆発のような自己消失

だったので、修復するのが大変だった。

それで調べていくと、ノーベル賞の

湯川博士の本などで、辻褄が合わない

処は教えず、合理的に説明できるもの

だけを教える物理の先端学を批判して

いるのも知った。

太宰治の心中自殺にしても、話がそれ

で広まったのが速くて、本当の処は

無視されたらしい。駐在の警官が太宰

の下駄の跡が心中場所に残っていて、

太宰はひとり引き返すのに登ろうと

してできた跡だという。死にたく

なかったのだ。「人間失格」という

題は自分のことだろうが、女を残して

ひとり助かろうとしたのならば、その

非情さ・弱さの人間性が人間失格で

間違いではなかったのだろう。

駐在の警官はもう噂が広まってしまった

ので、口を挟む余地はなかったと、言っ

ているそうだ。

自分の毎日の生活でもよほど覚えている

ようなことでも、時間が経つと、合理的

な解釈をして自分で無意識に変えてしまっ

ている。自分でも自分の日常や事件は

朧気な記憶なのだから、歴史の記憶は

もっと危ない、確かさは疑ってあまり

あるというのが、本当の処なのだろう。

自分がどこでどの本や情報で考えや

気持ちを変えているのだが、それが

はっきりと整理されているという人は

稀(まれ)だろう。

江戸の大奥では眉は剃ったし、歯は黒く

染めたのだが、時代劇ドラマで大奥で

そんな女優が出てきたことはない。

見れたものではないからだろう。現代

の感覚に合わせて、ドラマの設定は

現代風に変えられるのは、良し悪しで

なく、その時の世間の現代感覚に寄り

添うからだ。


僕らは生まれた時からそういう教育を

受けた親から、そのまた親から同じ

社会の風潮のような感覚を受け継いで、

時にそれが断ち切られて、違う情報を

常識や習性だと思って何の抵抗もなく

子供の頃から受け入れてゆく。

その理由は多岐に渡っている。根源的

には僕らが知的なオーダーに従って

いることが第一原因で言葉を学ぶ時点

ですでに同じ為政の命令に取り込まれ

るが、それは情報操作がされる戦時中

とか、マスコミや教育機関が他国に

支配された時などは歴史が改竄される

のは世界の歴史上、どこでも起こった

し、現代でも同じだ。

中国が当時主張したのは南京大虐殺で

日本軍が南京の中国人民を30万人殺し

たということだが、その一部でも南京

の人口を超えている。資料を読むと

そこらあたりは嘘だと読めて来る。

それぞれ調査の複雑な事情があって、

すべてを書くことはできないが、

韓国の戦時中の慰安婦の問題でも

韓国は戦後に欧米で政界のロビー

活動をして、日本の卑劣な行為を

話し、書き立てた。アメリカの、

そしてドイツの学者もそれを信じて、

日本を非難する論文を書いている

始末だ。

頭脳優秀とされるお偉いさんでさえ

騙されてしまう。知的依存というの

はここを指している。

自分という精神のこしらえものは、

なにかに拠ら(頼ら)なければ

ならない。考えるとはすべて、なに

かとなにかを比較して、その違いを

明らかにすることだ。僕らがわかった

という理解を示す場合は、その違い

が明確になったことを示そうとして

そう言う。

自分を支える存在は家族や親戚では

ない。それは表に出た部分で根本は

考える知自体が、支える主体では

ないから、常に他力本願なのだ。

そう言う(互いに)自分(たち)が

集まった集団というのが通常の

世間という状態だ。お互いがそれ

なりにお互いに依存しようとして

いる、そして実際にしている。

それが結果として責任を持つ形で

はないので、風説が流れやすい状況

をつくっている。


ヘーゲルの19世紀では、大論理学

で:外面と内面は内容に従えば、単に

等しいだけでなく、両者は同一だ:

と言っている(キルケゴール本内引用

から)。どうもヘーゲルは小論理学

でも書いているように、:感情や心情

の側からしばしばなされる主張は、

(概念は生命のない、空虚な、抽象的

なもの)という理解は低いもので、実際

の事情はまさに逆であって、概念は

むしろあらゆる生命の原理であり、従っ

て同時に絶対に具体的なものである。:

と概念を主観も客観もなく真理扱いを

しているのは驚くべきことだった。

哲学者・思想家キルケゴールは当時

大ヘーゲルに対して孤独に立ち向かっ

たらしい。「あれかこれか」を書いて

内面と外面は違うと論を展開したと

いう。新聞にキルケゴールを皮肉った

漫画が載せられたり、街を歩くと、

見ろ、あれかこれかが行くぞ、と

揶揄された。

そして、ヘーゲルもキルケゴールも

古典哲学として観念派と実存派だろ

うか、それぞれ歴史に残っている。

社会は哲学の判定はしないらしい。

この間のノーベル経済学賞も同じ

経済理論を提唱した二人が受賞した。

それはわかるが、彼らのその理論で

出した結論は互いに逆の結論だった

と聞いている。ノーベル委員会は

論の正しさは判定しないで、同じ

論を提唱したことに対して賞を

与えているものだ。

これにはその考え方があって、貴重

な理論を社会に公表したことに対して

評価する、というものでこれは西洋の

伝統らしい。

なぜなら、1,2世紀前の有名な数学

の方式の賞については3人を受賞にした。

その一人はその理論を最初に考えた

数学者から盗んで自分の理論として

発表したものだった。それはおかしい

だろう、と批判がありそうだが、その

最初に発見した数学者は秘密主義で

その理論を発表するつもりがなかっ

た。そこでその盗人の数学者が発表

したことで陽の目を見たのだ。

同じ論を展開したもう一人の数学者も

同時期ということで一緒に受賞した

のだが、盗人の数学者は社会に有益

な理論を(盗んだとはいえ、)公表し

たことに対して拍手を送ったという

わけだ。道徳的には割り切れない部分

が残るが、それは東洋の道徳の考え方

を僕らがしているからだろう。



こういう関係を僕らが感情から理解し

て強めようとして、協力や絆という

社会の在り方が自然に出てきて、支持

されたものだろう。

しかし、精神だけの理由だけがその

原因ではないだろう。僕らの体の仕組み

が精神と同じくらいの重量・重要さを

もって僕らの依存を促している。

これは自然環境と僕らの体の依存と

対応が進化の流れをつくったように、

適応変化と太古からの習慣によって

出来上がった生活習慣とが文明文化

の元になっている。

それはテーマが大き過ぎて、全体を

一度に書くのは無理だし、そもそも

それを扱うまでの手には届かない。

その一部は面白いテーマになると

思うので、できれば一章なりとも

この先に扱ってみたい。




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窯から出るまで [陶磁器]

まず、ひとつ整理しなければならない

分析のための点がある。

秦野の教室で自分のこしらえた小花瓶

が突然、ものを突破したことだ。ある

集中があって、その粘土のデザインを

見ていたのだが、形というものが

あった。

それは花瓶が花瓶に見えていたのでは

なく、形そのもの、というわからない

ものだった。その「もの」のほうから

襲われたような感じ、それが近い。

それは美しいというようなものでは

ないだろう、今思えば。

そこには新しいものであるかのように

形そのものが自分が何であるかを示し

ていた。そして、それを受けること、

感じることがそのまま感動だった。

今に気づいたのは、僕は眼を開いて

瞑想のポーズをしたことはない。

だから、瞑想が来たときはいつも

瞑目していたのだ。

その花瓶を見つめていた。だから、

眼を開いていたので、これが瞑想

ととても良く似た現象だと考えた

ことなかった。

眼を閉じるのは見える光景に注意を

奪われないようにするためで、そう

しなければならない事項ではなかった。

だから、瞑想が形を通してきたとし

ても、気づきにくかったのだろう。

なぜそれを言うのか、それはそう

考えると納得しやすいからだ。

僕は呆然自失していた。それは自分を

失うという、瞑想のための準備に適っ

ている。五感が働かなければ、また、

なにも考えない状態になれれば、いい

のである。

つまり、僕はその無の世界からの観照

を受けたと考えられる。そこで形の

この現象界(現実)での五感に照らされ

た「もの」という感じではなく、僕ら

には五感を通した経験である「もの」

ではない、新しいその「もの」(花瓶)

を見たのである。だから、ものがそう

いうように見えたのは初めてである。

それがまるでその花瓶を透過したよう

に感じたので、そう書いたが、多分、

違う。ものを突き通すというのは言葉

の彩とか表現で、実際はそこにあった

ものをソノママ感じたのだ。

だから、僕はそれをものの美だと思っ

てしまったが、それはものの無意識

な形であった。

そう解答すると、その後に僕がそれを

次の粘土の形や、陶器に形になんの

感動もなくなって行くという過程が

わかる。透過したと感じたので、目の

前のものではなく、その形の向こう側

を見ようとしてばかりいた。

それで見れないので、だんだん落ち込

む、という段階を辿ったのだ。

これも美という妖しいものの落とし穴

のひとつなのかもしれない。落ちて

みなければ、なかなか上達していか

ないような、つき合いなのだろう。



秦野と練馬の二つの陶芸教室に通って

いるが、どうしてその必要があるのか。

それは秦野では手びねりで粘土が中心

で、練馬では初めから磁器を目指して、

電動ろくろで磁土を中心にしている

からだ。

粘土と磁土とは性質が違うので、土

の練りも違う。磁土は少しの鉄分も

嫌うので、窯も清潔さを要求される。

一緒に焼けないのである。


その土の練りというのは、どちらの

教室でも重要事項として教えられて

いる。初めは気にせず、聞いていた

だけだったが、その土の粒子の肌理

というものがいざ本焼きで焼成した

時に割れやすいか、空気が爆発して

しまうか、を左右するものなのだ。

その練りの方向によっても、ろくろ

では回転方向に合わせないと、粒子

がばらけるような方向では、空気が

入りやすくなる。と、なかなか職人

の技なのだ。

練馬で磁土のほうがよく練らないと

ならないとかで、菊練りというやり

方で片側、最低100回ずつ計200回と。

しかし、秦野では片側30回だと言う。

秦野では磁土ではないので、それ

より少なくていいらしい。


その菊練りが大変。見ていて真似すれ

ばいいだろう、と簡単に考えていたが、

僕の器用さでも一部しか真似になら

ない。

やがてわかったのは、右手と左手で

それぞれ異なる動きをしないといけ

ない。力の入れ方も右と左で異なる。

というイレギュラーなので、ともかく

相当かそれなりの練習量が必要。目安

は3か月だそうだ。

100均ショップへ行くと、とても違和感

に襲われる。そこそこの茶碗や湯呑や

皿などがきれいに仕上がっていて、陶器

を生活用品で使うのなら、それで足りて

しまうからだ。手に取っても、重さも

適当でよくできている。工場生産だろう。

磁土を練る機械もあるだろうし、型に

流し込んで、大量に焼くと聞いた。

僕は菊練りの練習をキーボード打ち

が重なった所為で、左手首が腱鞘炎

になった。高齢者には、菊練りの

機械が必要らしい。

ともかく、体力が要る。それほどに

手間暇と体力、多少の資金も居る

陶芸は贅沢な趣味である。そして、

完全に不足しているのは、そういう

陶芸の価値に対する意識である。

日用品という安価なもののネック

があって、高額なものではない、

という固定観念が日本には、いや

世界にははびこっている。

陶芸教室に通って自作を売っている

人もいるが、一つの茶碗でも作成の

時給を引いても、ひとつ5000円の

原価だろう。労働時給を考えれば、

1万円で売っていいものなのだが、

そんなに高いものを買わないだろう、

と世間の固定観念がそう言う、の

ではないか。

練馬の先生はすべて東京の芸術大学

の卒業生で、中堅作家の人が多い。

それでも芸術作品でひとつ3万から

5万くらいだろう。まったく気づいて

いないが、それでは安すぎる、とい

うことだ。

芸術であるからには、日本では過去

の偉い先生の作品しか高値がつかない、

と考えられているので、陶器市場の

関係者も新人への(意識しない)投機

の要素が足りないとは思っていない

ようだ。

投機も闇天井になるのは、金持ちの

自己満足に堕しでしまうが、健全な

市場を作ることもできるはずだ。

中堅作家の作品が5万円では情けない

次第だ。

磁器の場合は削りの仕事が多いので、

粗削りと本削りの2回行われる。

焼成にしても3,4か月に一度くらい

なので、作り始めてそれが焼成されて

出来てくるのは、平均3か月に1度?

くらい。体験教室でも1か月くらい

先になるはずだ。

それでも焼いてみなければどうなる

か、どういう模様になるかわから

ないことが多い。自然との掛け合い

なので、ある程度までしか計画通り

にならないし、また登り窯などのよう

に計画通りにならない焼成窯のほう

が出来上がりの予想以上にいい景色

(模様・色など)が望めるので、作家

の好みに拠って窯を使い分ける。


最近、僕のものも窯から出てきた。

自分のものは評価するというのは

難しさもあるし、評価することが

自分の気に入るように感じたよう

にしたいので、ほぼできないと

思うのだが、ただ気に入った処が

あればいいと思うのだ。

その控えめな観点からは、僕は

すべての(三作品)で色合いが

気に入った。

試作品1-1.jpg

猫?である。

タヌキだと言う人もいた。

が、僕にはこれをリアルな写実的

な猫作品にはしたくなかったので、

こんなもんじゃあない、と。

試作品2-1.jpg

歪んだ一輪挿し。

意外に、狙っていた色合いに仕上がった。

これを手作りでやっていくのは、時間が

かかり、ろくろでやりたいと思った。

試作品3-1.jpg

これも色が織部の緑風で気に入った

が、飯茶碗に合わなかったと反省した。

自分の飯茶碗は別に最近出来たので、

30日には持ち帰れる。


なので、ただの(使わない)器として

見ている。


美については分析では関われないので、

これからもどれだけのことが言える

だろう、と思う。自分の評価が絶対

どころか、それに近いものでもないと

しっかり自分でも思えるので、精神

から遠い作品には口をつぐみたい、

と思うのだが、・・・。 




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中華街へ [中華街]

横浜の中華街に足を運んだ。

何年振りかも忘れてしまった。

山下公園。

イチョウの銀杏の落ちる季節に

来た。メスの木から、落ちている

銀杏を拾ったのを思い出した。

後の処理が意外に大変で、ゴム手袋

をつけて、一晩?水に漬けた銀杏

の皮を剥いたが、これがなかなか

手強い。

中華街12-1.jpg

山下公園から横浜港を眺める

中華街13-1.jpg


客船が停泊しているのは、前回と

同じだが、見学用が以前の船だったが、

今回は気にもしなかったので、見て

来なかった。

この後帰ったので、画像が前後している。

まず中華街へ。

中華街1-1.jpg

歩いてゆくとすぐに関帝廟が現れた。

三国志で有名な関羽を武勲の神様として

祀ったらしい。ここから目指す悟空茶荘

は通りを入って5秒くらいに、すぐある。

中華街2-1.jpg

ここは中国飲茶(ヤムチャ)の専門店だ。

1階が茶器・茶葉などを売る店で、2階が

喫茶になっている。

雑多な置物が並んでいる。

中華街3-1.jpg

中華街4-1.jpg

中華街5-1.jpg

中華街6-1.jpg

中華街7-1.jpg

中華街8-1.jpg

以上、茶器類:

中華街9-1.jpg

これは何だろう?植物が見えるから、

花瓶の類だろう。

ナントカ麺を注文する。セットでデザート

も飲茶もついてくる。

中華街14-1.jpg

高級茶のメニューがあったが、烏龍

以外は品切れの札が貼ってある。

茶はプ―アール茶を選んだが、目の前

に急須だと思われる陶器が来た。

蓋がついているから急須だと思ったが、

出し口がどこにも付いていない。

茶葉が浮いているようだったら、吹いて

どかして飲んでくれ、という説明だ。

中国には茶道などという面倒なものは

ないから、大雑把なものだ。

1分して、蓋を開けると、なるほど濃い

茶色になって、少し茶葉が浮いている。

持つと、大きいマグカップと言える。

重い。想像していた、小さなぐい飲み

くらいの湯呑で飲むのとは違った。

湯沸かしポットがあって、沸騰したら

適当に継ぎ足して飲め、ということだ。

中国の給仕女子で日本人のアルバイト

ではない。

麺は想像できないだろう、担々麺だが、

スープがあっさりしている。それで

だろう、小さな醤油瓶が備えられている。

麺は日本のラーメンの麺ではない。

ほぼ、讃岐うどん。腰の強いきし麺に

近い太麺。好き好きだろうが、ほぼ

完食した。

途中、トイレに行ったら、何だ?と

いうものを見つけた。

中華街11-1.jpg

額縁にビニールのスリッパが飾られ

ている。スリッパが飾られているのは

初めて見た。悟空茶荘らしく、孫悟空

のイラストだ。

ここは2階でイベントをすることがあり、

今はコロナで中止しているようで、

その人形劇のセットが置かれていた。

中華街10-1.jpg

店内はそれほど広くない。

テーブルが2人用と3人用で12.3卓

あったようだ。

中華街は外人客が多かった。平日だったが、

どの通りもなかなかにぎやか。

秦野のラーメン屋はそれなりの値段だっ

たが、中華街の豚足ラーメンや、パイコー

メンなどはボリュウームがあって、値段

としては手頃に思えるから、物価は

多少安いのではないか。

土産にプ―アール茶葉と砂糖にまぶした

ミカンの干し菓子を買って帰った。

関帝廟の隣には中華学院があり、文化祭

でもあるのか、校庭で鳴り物入りで音楽

つきで雑技団の体操じみた演技を練習し

ていた。
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