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ハ ハ ユー

遠くを 流れ 歩く人たちは

陽炎(カゲロウ)のよう

ゆらゆらと  冬なのに

夏の空気が  流れゆく

なにが はじまるのか

なにかが  はじまる  春になったような風

季節が 盆暮れいっしょに

やってきたような

風邪熱に 浮かされた  ひととき

いい感じ

快適の 通行手形は

こうして  使うんだろう

いい感じ

さわやかに  ここに ある

窓辺から  曇り空と 明るくなる家の壁を

見ている

あまりにも  満ち足りて

ここに ある


島の家で  ゴキブリの残骸を 見た

バルサンを 焚いたら

大きな蜘蛛が  丸まって 虫の息

なにか  めぐりめぐって いるのか

ただの センチか



君に 謝るよ

感謝するよ  なんでもいいのか

分け与えるものも ないけれど

金曜日から  土曜日に  急に

切り替わるように

空気が 変わる

ちょうど ガス灯に 火が灯るように

心が  目覚める

そこに ある ハ ハ ユー

ここで 倒れてしまえば

気持ち いいだろう ハ ハ ユー

それで いい

明るい 陽光だ

助けられるまで  歩道で 寝ていようか

赤い靴に 光るエナメルを  眺めて

どこにも 行かない

行く道なんか  どこにもない

いいじゃない

このままで

このままで


ハ ハ ユー


AND ユー


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共通テーマ:日記・雑感

遺伝子を学ぶ前に考えること

遺伝子を学ぶ前に考えること>

クロード・レヴィ=ストロースは「構造人類学」を書いている。

こんなことがあった。彼の「悲しき熱帯」を読んでいて、(これは210ページくらいの

文章で60ページくらいを2回に分けて読んだが、確認したら70ページ読んでいた)ある

個所で一度目には気のつかなかった文章に、きらびやかな真理があって、いささか幻想を

含んだ表現になっていた。数ページだけを読んだこともあったので、その部分は3度目に

読むことがあった。そこにあったはずの光が見えた真理が、なにも見えなかった、感じら

れない。

前回読んだ、あの感激はなんだったのか。まるで音楽だった。いつもの音楽でも、いいと

発見した時が最もいい。その後でさらにいいと思える曲も少ないが、ある。

モーツアルトでも、協奏曲だったか、これがこの肝だとはっきりわかる数小節のメロディが

あって、少ないが(モーツアルトは同じテーマをあまりくり返さない)くり返すと必ず、

わかった。それが聴いても、まったく聴こえない日も一度あった。

文章でそれがあるのは珍しい。このブログ以前を読んでいる人にはよくわかることだが、

70ページから数年、いや10年くらいは時間が止まっている、その本に関しては。いつ

読み終えるのか、不明だ、気にしていたらこんなことは起こらない。(開き直って?)

これは雑談だ。

レヴィ=ストロースは代理の人がサルトルと論争をしたので有名だが、サルトルが負けた

ことになっているが、たぶん、そこには単純な勝ち負けではない複雑な事情があるような

気がする。サルトルは論理を(借りて)操るのに上手な論客らしく、主要な著作でも、

マルクスの論理で書くのを許されたいと断っている。  

これも雑談だ。(なんだよ)             

で、遺伝子というのは蟻の話だ。テレビの教養番組だろう、ちらっと見た時に蟻が女王蟻に

子作りをさせるその合理性について解説していた。働きアリはすべてメスだが、生殖機能は

ない。すべて女王蟻がしている、なぜか。

その解説では遺伝子情報がおのおの別々のメスが子を生むよりも、高い確率で同じ遺伝子を

残せるかららしい。蟻でも純血種というのは残してゆくのが困難なのだろう。なので、蟻の

生活形態は相当に古代からのものだろう、と推察される。

しかし、それを合理性で説明するのは、近視眼だろう。海洋では今でも一人でオスメスが

交代して子をつくる機能をもった、アメーバのような原生動物だけでなく、単為発生や

単為生殖するメスもいて、ふつうに魚でもいる。合理性をいうなら、そのほうが手間暇いら

ずで、よほど合理的だろう。

だから、合理的だから蟻は女王蟻という生殖機能の単一を目指したというような言い方には

信憑性があるとは言えない。こういう発言が当たり前に受け取られ、法則が世界を支配する

というような考えは、ほぼ虚偽である。地球の基礎条件が変ってしまえば、それが生態系に

影響を及ぼす、その程度に応じてどの生物も変化せざるを得ない。それだけの話だ。

蟻がその方式を選んだのは、ある環境からの影響によるもので、ほぼ偶然といえるもの

だろう。

遺伝子自身は、己をそのまま残したい傾向が見られるが、動物がオスメスで生殖してまで

方式を拡張したのにも理由がある。一番もっともらしく、信憑性があると思われるのが、

遺伝子の単一ではなく、他の遺伝子を取り込む方向だ。そのほうが多様性が生まれて、

身体では免疫が増加し、心では環境の多様な変化に対応して、生活の工夫ができる、という

選択だったのだろう、という見解だ(ミトコンドリア参照)。これは人間が考える力を

もったので、昔々単一の遺伝では弱い、倒れてゆく仲間を見て、倒れていない仲間は他の

仲間と交配しているのを見たのだろう。そこで真似をして、ということを長い年月のうちに

獲得していった。そんなとこ。

例えば、レヴィの「構造人類学」は解説しか知らないが、あるフィールドワークでなんか

村の中で4つのグループできていて、その婚姻関係が第三者からは複雑で、Aグループは

Bグループと婚姻できるが、Cグループとはできない。それが4つのグループで互いにそれ

ぞれ違う、という複雑なものだ。

レヴィはそれは近親相姦などで健全な子が生まれないことからつくられたグループ割で

複雑な数学計算をもちいないと導き出せないもので、それが数学も知らない土民が秩序を

持っているのに驚いている。長い原始生活をしてきた彼らなので、長い試行錯誤があった

のだ。

ここでダメだから、あそこに入れて、とか。そうやってうまくいったものを積み重ねて、

ほぼ自然に4つのグループに収まった。これが真相だろう。結果だけから答え(法則とか)

に直結させては、歴史は解けない。

また、ギリシヤ時代には、驚くべきことに30以上の歯車と円盤を組み合わせて、太陽暦、

その時々の星の動き、そして月の満ち欠けまでも将来にわたって計算して示せる、一種の

コンピュータ時計があった。それほど大きくない。一斗缶くらい。海の中から1901年に

発見された。それくらいの計算機械が出るのは1000年後のルネサンス・ヨーロッパの

天文時計まで待たねばならない。レオナルド・ダ・ヴィンチも真っ青だ。

つまり、叡智もよく埋もれてしまうものなのだ。

レオナルドの考えた自動車には、アクセルもブレーキもついていた。エンジンと電気系統

がないだけで、4輪の駆動も現代の自動車に同じ。知も面白い。採用されるには道路が必要

だったろう。

まだ自動車は理解されなかったのだ。

千年ごとに同じものがより完成形で、高度な人工材料で出てくるだけで、つまりは昔の人が

考えた中核になるものが、くり返し登場した、ということだ。

ただの計算機械とコンピュータとは計算に対して考え方が違う。コンピュータは計算の速度を

上げる考え方が機械に生かされている。数人の天才たちによって。回路が技術的に発明され、

その放熱温度を下げる技術が完成して、実現して改良から高度な計算がが爆発した。それが

コンピュータ。

ありゃ、また横道か。

人類は遺伝子の種族保存という方向に転換は与えてはいない。どうして僕らは自己中心とか、

自我を悪者にして、エゴとして嫌うのか。そういう定義のようなものは知っていても、全的に

それがどういうことか気づけないし、それに翻弄されて憎んだり、軽い誤解なら笑ったりして

生きている。情熱が最終的に理性に制されたことはあっても、”征された”ことはない。

感情のコントロールはどうして難しいのか?

僕らは遺伝子と戦っているのだろうか?

それとも自分と戦っているのだろうか?

遺伝子が無機的な科学の知識であるうちは、(体にも心にも)有機的な自分との関係は

明かせないだろう。それはたぶん、関係がある。それを明らかにすることは、僕らにとって

それなりに重要なことである、と僕は考えている。双方から重ね合わせて考えてゆくことが

大切だ、と僕は考える。  以上。  (以上とか言わないと、いくらでも書いてしまう)

'18 . 12 . 3


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なぜか緊張

なぜか緊張。

初めてのso-net 投稿。

なんじゃらほい。


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