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しあわせも 自由も [自由]

わからないよね  これから先、なんて  

先のことって  ほんとうの意味で  

それは  心配で 気を使って  考えてみる、という  

ことだけれど  

その意味では  実に  一度も 記憶がない  

大昔には  考えただろう、という  それは確実に  

当たっているだろうけれど   

今、言っているのは  そのことじゃない  

将来くらいに  近い未来が あるってことは  

わかる  

そのくらいのもんだ  気がつくのは  

どんな行動を 起こせば どうなるだろう、 という 

想像は  働かせるけれど  

それは  

わからない未来に  不安を探すような もんじゃない  

川に 笹舟を  流したら   どこへ行くのか  

ふつうに  気になるじゃない?  

算数の問題に  答えを出したら  

正解と 合っているのか、 気になるじゃない?  

それと  同じ。  


今を  今と  今だけ  呼吸する  


それを  他の わかりやすい言葉で  言い換えられる  

けれども  そうではない  それに 抵抗する  

それでは  言葉の持っている  長年のイメージに  

流されてしまうから  

ふつうに  知識の意味で  受け取られれば  

気にならない  気がつかれない  心に  

なにも  残らない  


今を  今と  今だけ  呼吸する   

それが  大事だ  

そうした 空気の中に いさえすれば 

そう言えば、 、  、  

これから先も  あったな、  と 気がつくくらい  

そんなもんで  いいのだ  

先(将来)って ものも  あったのだな、と  


この呼吸を  頭の脳の働きに  持っていかれては  

空気が  無駄、  呼吸が 無駄、   

それは  今ある その生命という  ボディが 無駄  

それは  しあわせの  まんなかで  笑っているのが  

見えるかい?  

その 笑顔の エッセンスが  

見えるかい?

その  まんなか(本体)を   感じるかい?  

イッソ  チャイルディ  

ユーディン  ノウ?  

蛍が 大きく 一回転するの、  

見たことないなぁ  

子供たちが  逆さになって  天井で  

遊んでいるのって  、 

見たことないなぁ  

僕が  いるのは  

そういうところ  らしい  

そういう気分が  いろんな  楽しいことを  

浮かび 上がらさせる  

しあわせって  まず  最初に  

しあわせに  ならないと  

自由って  なろうとすること じゃなくて  

まず  

最初に 君が  自由な気分であること  

自在な  気持ちである  そこから  

湧いて  やがて  あふれ出して  くる  

そう思うんじゃ なくて  

そうなっている ・ もの



今を 今と  今だけと  呼吸する  

この  聖なる?  動き  

それは  粋がっている けれども  

そうしたいくらい  清なるもの  

清なる ムーブメント  

ここにある 

僕が  両手を  広げている ・ もの   

受け止め る よ  

その  すべてを  

見えないばかりでなく  

感じも しない  <それ> を  

フィーリングを  超え  


サンダル 履いて  

カッコン  カッコン  

森を  歩いても  いいだろうか?  

音に  引かれて   カレラ は  

眼を  覚ますだろうか?  

僕の  後ろを  何だろう ? と  

つけて 来るだろうか  

バラード  ベラスケス  バランドン  

お金を  払う  ふりをしたほう が

いいだろうか?  ホンマに?  



叫ぶ  風が  

崖の下から  吹きあげて  来るように  

しぶきは  気持ち いいよ  

海の  しぶき   水面下は  

ぜんぶ  海水  の  匂いに  

満たされ  息も  できないくらいの   

遠い 暗がりに  光が  ユラ ユラ  

なにも 持たない  裸の ボディ  

君は  指さして  

すべてを     と 言う  

僕は   生まれる瞬間の  ように  

”わかる”   他の 言い方はない  

僕は  それを  受けない  

それはない、  僕は  

それになる !  (急に)

僕は  = すべて  という・ものに  

な ・ る  

それを  理解、  グム、 納得するよ    

すると、  言っていい だろうか?  

概念の ものではなく、  

この 世界というものが   始まる 。。。  



こう言ってくれ、  「たぶん(笑)」 、と  

これ以上、この秘密を  明かしてはいけない、と  

カレラ が  言っているが  

構うもんか、  でも  僕にも  

それは まぶしくて  見えない   

言えるはずが  ない、  ないじゃん  

ダーカシス? な 古典  ジャズ、  プレイ  

これは  夢なの  だろう   

とめどない  果てしなく 広がる  

そう言って  いいだろう  

可能性という  狭い言葉が  好きかも 

しれない  

ウェイターに  一度  注文してくれ  

「 可能性を ! 」 と   メッス・  YOU  

 チャレンジを !  と   

それが なにかわかる 必要はない  

それこそが  ”なにか” である、 のだから  

それこそが!  それこそが!  それこそが!  

<!>が  三つも  ついてしまったよ (笑)
 


君にも  カレラにも   しあわせを !  

それは  言葉だけかい?  

そうなればという お互いへの 希望からの  

むなしい 言葉かい?  

知ってた?  

戦争がなければ  平和があるのか  

影がなければ  光だけなら  

平和なのか  

すべてが  光なら  まぶしくて  

平和も 見えないのじゃ?  

戦争を望む  一握りの者たちは  

自由でも  しあわせでも  ない  

その理解にまでは  遠いけれども  

まず  

最初から  しあわせでないと  

最初から  自由でないと  

そこからの 出発した 理解でないと 

正しい 理解には  遠い  

そこからの  検討を  試してみないと  

子供の  しあわせは   遠い  

フリーな  自在感(ハンドル)は  もっと 遠い  


僕らの  目の前は  そのままなんだ  

答えは  目の前に  ある、  いつも 

いつも。

僕らは  区別して 分析して  

わ(分)かろうとする  

君が  自分の赤ん坊を  冬でも  

死なせないで  裸で  育てると  

子供は 風邪を  まったく ひかなくなる  

雪の日も  寒さを  感じない  

その時、君が  子を心配すると  

子は  寒さを感じてしまう  

その察知力は  鋭い  

君が  まず  冬でも裸で  平気だと  

信じていないと  子は  死んでしまう  

親は  「そのもの」 で  「そのまま」 と  

子は  すでに 知っている  同じ意識を持とうと する  

育て方は  必要だが、 狭い範囲のもので  

ほんとうは  子の(自然の)方が  知っている  


そのことが  僕らは  理解できないように  

自分の眼を  耳を  肌を  改造して  

きている   長い訓練に よって  

この 無意識に 気づくことは   ない  

その 全体は   結局  

不幸せに  甘んじるほうが  楽だから  

周りに 迷惑を かけないと  信じるから  

長い訓練に  よって  

親の 愛情によって  

お互いの  中途な 友情によって  

言葉という 通じ合えるモラルに  

相手にも  納得してもらえるのを  

期待するし  知っているから  

そりゃ  子供の  しあわせはないし  

自由も  夢、 夢、  だ よ ね  

僕らは  区切れない  秩序や  自由の  

境界、その限界を 求めて  苦しむ  

定義や意味を 求めて   悩んでいる 

不思議だよね  とっても  


この先、 なんてないのに  

そんな考えもあるんだ、  と  

ちょっと 思い出して  そんな感じのものも  

あったな、 と  

気づいてみるが  まだ  明日とか  未来という  

それは  思いつくのに  

少し、 間が あった よ  



せつないって  あったかいよ ね  

悲しいって  すぐには  移れないな  

今は  

そう  

これは  しあわせ  

変だな ?  

どうして  皆  しあわせじゃ  ないんだろう?  

誰かが いないと  すきま風が 吹くのは  

自分ばかりしか  いないからじゃない?  

誰も  単体に  ひとりに ならない  

誰も 現実には  拠りどころがない、と  

知らないようだ  

ひとりになれるのに  自分は 自分と  

結びついて 孤独を感じ  理由を探そうとする  

理由?  

それが わかれば 半分は解決するが  

それは 自分の隠れた 分身が  

君には  明かさないものだ  

この世に あふれている  

「人は ひとりでは 生きられない」という  呪文  

それは究極の意味であって  

僕らの 日常や  通常の精神状態では  

正しくない    だが、  

それは 自分によって  隠されている  

実に  巧妙に  

もう  

何十年も前に  何度も

言われた、  僕に  

「説明できる言葉というものは、ここまでだから」 と  

確かに  

でも  続けたんだ  

この 見えない「言葉にはならない」 壁が  

相変わらず  目の前であった けれども  

負けたくないよね    それが  

たとえ  不可能でも  

それは 「不可能」 も  僕らが教え込まれた  

言葉に  過ぎないから  

僕らは  遥かに 

ハルカニ ( 大昔ははるかに気が遠くなる )

言葉を  知る前 から   

ハルカニ ( 大昔ははるかに気が遠くなる )

その 始めから

心は  あったし  

生きていた   

ハルカニ  



よね  !?

よね   !? 


グ フフ フ  



よね  。。。  








* サメについては三つ話があるが、そのひとつ。  

 サメが群れで入り江に集まる海がある。そこの漁師で若者が  

 そのサメの群れに飛び込むというパフォーマンスをするらしい。 

 サメは水しぶき(音)があると、エサと勘違いして食いつくらしい。

 サメは目が悪い。音と匂いで2km先のことを知るという。水しぶき 

 は空腹時なら、その通りなのかもしれないが、腹、満ちていれば 

 見向きもしないだろう。そこで、飛び込む若者は、今、サメが空腹 

 かどうかを見分けている。どうやっているか知らないが、それが 

 できなければ、サメの中に飛び込むのは自殺行為だ。  

 観光客は驚く。サメの知識は乏しいからだ。地元の漁師は 

 命を張っているから、サメが今どういう腹具合かわかるように 

 なったのだろう。サメはいつも目の前にいた。 

 それがわかっても予想だから、初めに飛び込んでみせた奴は 

 英雄だろう。または、バカ勇気だろう。僕のように(笑)。 8. 3 - 4 



** 8. 4 
 追加: 

子供は天真爛漫さの面があるが、それは誰にも教わっていない。 

「最初から」というのは、そういう意味で、それを僕らは最初から 

しあわせに”なる”とか、最初から自由に”なる”と取り違えてしまって、 

最初から自由になれるなら、自由になりたいとは思わない、と考える。 

そこから、勘違いしていること。 

僕らがしあわせであるのは、意志強く”なろう”とするからじゃなくて、 

しあわせであるという元々に気づくことが必要で、皆、それは気づいて 

いなくてもそうしている。子供はそのヒントでもあり、答えでもある、 

ということなんだが ・・・。
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