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認知症の対処 [認知症]

<1月下旬の記事>


モヤモヤっとするのではなく、なにか透明な感じ。

水平線まで透き通った空気が板のように敷いて

ある、というどこまでも続いている感じ。それが

いつもの夜に対して、想う感じだ。 

この現実の視界の空があったり、街があったり、

そういうものとは別な空間が、夜の本体で、そこ

をいつも交通機関のように利用させてもらって、

どこかにたどり着く、ということが行われている。

それがこの書く舞台という、設定だと、改めて

今まで気にもかけなかった、夜に感じているもの

を説明してみた。 

ほんとうはその夜の本体に沿って、流され、その

感興を楽しみたいのだが、そういう情感からは

少し遠ざかったようだ。 

だからと言って、それを呼び込むような真似は

しないだろう、という自分を感じる。このままで

いい、という理由だろう。僕がそれを俯瞰する

ように逆らわないのは、これまでと同じで、ただ

どうしてまた坐って書いているのかが、疑問な

だけだ。まだ期待が残っているのだろうか?

とも思うが、一方でもう書かずに何日か休もう、

と思っている自分もいるのを、知っている。

一昨日からギックリ腰でこの2日間は不自由

だった。いつもの反応で、そこが痛いような

姿勢でうつぶせに寝て、患部を痛めつける。

これでは逆療法ではないか?と考えてはいけ

ない。ともかく、一度膝でも成功しているから、

僕には合っているはずだ、と信じる。それに

深刻な痛みではなく、毎晩寝返りしても、そこ

が痛いから目が覚める、ということもない。

ともかくも少し改善している。

そして、今日はまた珈琲に当たってしまった。

なぜか、僕の腸に合わない低級な豆だと思う

のだが、時々、珈琲で下痢をする。今までの

経験から帰納法で考えたが、2年前から、どうも

僕が下痢をする豆の種類か、低級な豆がある

らしく、チェックしていないので、ランダムに

買っているうちに当たってしまうのだ、と思って

いる。ギックリと下痢で、今晩は体調がいいわけ

ではない。なのに、坐っているって、おかしくない?

と自分に言っているのだが、体は坐れ、と言う

のだ。それが体なのか、無意識なのか、体を

通して無意識が指示するのか、知らないが、

まだ現状が掴めていないので、今まで通りに

逆らわずに、坐る、書く。

で、こう書いたこの文が、何かって、自分でも

わからない。無責任極まりないが、書いてみて

なんぼの生活だったので、無闇に書き出して

いた。

なんだろう? この感じ。 

なんかあるらしいが、それが書けなければ、ただ

無意味なだけだ。無責任で無意味ときては、非難

を覚悟するのみではないか。と言っても、そんな

ことを言って来る親切な読者もいないだろう。そうか、

この処、訪問者数が伸びているので、それに合わ

せて、続けて書こうと、そういうことなのかもしれない。

しかし、坐れば書ける、とか占えばぴたり当たる、

みたいな時代は終わったらしいから、こんな愚痴

じみたことばかり書いていても迷惑なだけだ。

テーマってなんだ?「119番ってなんだ」、認知症の

父が言ったらしいが、そこから考えてしまいそうな

雰囲気だ。


頭は両親の記憶につながっている。認知症について

書いておこうか。認知症で面倒なのは、初期では

まだらボケといって、正常とボケが交代に出てくる

ので、見逃してしまうことだ。どうしてそうなるか、

は認知症の者がまだプライドが残っているので、

何度もまた忘れたことを詰問されると、それを

嫌がってうまく嘘をつくことだ。「ああ、そう言えば」

とか、取り繕う。それで僕らはごまかされてしまう。

認知症だと気づかないから、僕ら家族はいい加減な

ことを言われたり、簡単なことがわからないと、

たいてい親をしかりつけるのだ。それに認知症は

家族で初めてになると、対応の仕方を知らないので、

つい感情的になってしまう。そういう時は、相手を

見ていない。なにか変だな、と思った時から、

注意して観察すればそれを見抜ける。

認知症者に対する対応は、相手の言うことを否定

しないことだ。こちらの行為はそうではないことを

するのだが、裏腹に言葉では否定しないで、根気

よく説明して理解のほうへ誘導する。

アルツハイマーは脳細胞が縮んで記憶や理解力を

失ってゆく病気なので、今のところ原因は特定されて

いない。なので、治療薬もない。

一番身近で世話するものが、一番の被害者になる。

被害妄想が出やすく、それが身近のものを疑う要因

になるようだ。

僕の場合も、まだ父を一人暮らしさせても、ヘルパー

さんや弁当屋が来ていたので、一時期は安心して

いた。が、その陰で父は近所の人に、「息子が自分

を殺そうとしている」と吹聴していた、と聞いたから

これは驚く。原因をいろいろ考えたが、推測だが、

どうも下痢を起こしたらしい。それをそう思ったのは、

冷蔵庫を開けてみて、賞味期限の切れたものでも

詰め込んでいたからだ。そのうち腐りかけたものを

食べたのだろう、腹が痛くて、毒が入っていた、と

誤解する。すると、息子が怪しい。なぜそうなるか、

その前にまだ母が存命だった頃に、二人して

ゆうちょや銀行の通帳をなくすは、保険証もなくす

は、でその度に再発行に出かけるのは僕だった。

それで、そういうのを預かって、必要な時は電話

して、すぐに車で来るから、と伝えていたのだが、

しばらくすると、それが息子が通帳を盗んでいった、

と父の頭でなっていた。息子は信用しない、通帳は

渡さない、と言っていた頃だった。なので、父を

殺して通帳を奪うつもりだ、と短絡に考えた。

アルツハイマーになると、考えが非常に短絡になる。

脳細胞の数はかなり重要らしい。

「おれはバカになった」と、医者の話が理解できなくて

言っていたが、これはまだ理解力が残っていたほうだ。

母が亡くなり、一人暮らしで僕を疑い、次にヘルパー

さんを疑い、最後は弁当屋も断って、電話にも出なく

なって、それが末期症状だった。夢と現実の区別が

つかなくなっていて、夜になると僕が二階から降りて

来て、話をしたそうだ。それを想像するのは気味が

悪かった。

区役所から教えてもらい、そういう患者を家から連れ

出して強制入院させる仕事人を紹介してもらい、

無事入院させたが、脱水症状になっていて、危ない

処だったと医者に言われた。 

もともと頑固で、友人も一人もいない人だったので、

病院へ行くと、医者と結託して、毒を注射すると

思っていたらしい。もう笑ってしまうほどの被害

妄想で、入院してからも「ここは二階だけど、

ほんとうは三階なのだ」とか面白いことを言って

いた。そこは一階だった。そういう認識もできない

らしい。そのエピソードは愉快な話ばかりだった。 

冬の時代だった。そして、春は来るものだ。

コロナが来たのは、余計だっただろうが、ほんとう

の処はまだわからない。10年単位で振り返る

だろう。なぜか、僕は10年単位で歴史が区切れ

るようだ。

知人もそうだが、人は自分の親が死んだ年齢とか、

病気が気になるそうだ。親父の亡くなった年齢が過ぎ

て、自分が同じ病気で死なずホッとしたとか、話を聴く。 

僕は認知症を両親で、次々に見ていて、母は記憶が

先にやられたが、人への理解力は残した。父は理解

も記憶もやられたが、被害妄想は薬で消えた。 

そして、その後期というのは、二人とも僕は誰だか

わからなくなって、他人のようだった。僕の理解も

そうだった。認知症で人は変わってしまう。もう

親だと思わずに、気の毒な老人の世話だと思って

世話をする、その切り替えができて、無駄に感情的

にならないし、自分の気持ちの整理もついた。 


認知症は現在、400万人以上、2025年には65歳

以上の高齢者の5人に1人がなるらしい。

つまり、コロナに羅患するよりもその率は高い。あと

4年で特効薬ができる期待も薄いだろう。親の年齢を

考え、その時自分が何歳になっているか、また自治体

のどんなサービスが受けられるのか、自宅介護が

厳しい人は調べておいた方がいい。  

父の三回忌を終えてから、もう十年だろうか、亡くなって

葬儀を終えてからは、静かにしみじみと解放感がきた

のを覚えている。と同時に、第二の自己に替わってから

の時期だったので、これからの自分流ってなんだろうと

思っていた。どういう人生がスタートするのか、と考えて

いたが、それは意外なもので、予想がつくようなものでは

なかった。それは用意されていたかのように、半年もの間

電話をかけまくって仕事を探したが、ひとつ断ったのを

除いて、全部断られた。もうここなら大丈夫という、過去の

職場でも日数が合わず、今まで最大の待ち期間だった。

そして、老人ホームだと誤解して、面会に行った先が

統合失調症のクリニックで、その45名ほどの病棟の

宿舎の世話管理人の職だった。そこで一大転機が

あって、無意識に突入するきっかけに遭遇する。

別な新しい人生が始まった。「謎」の一気の解明

が始まり、さらにそれが広がる形で深まった。

多くの発見があったと、感慨する次第。それは

ブログを書きながら、その積み重ねる段階で

晴れていった解明だったから、楽しかった。

今はその次に切り替わる段階に入ったのでないか

と、想像しているが、なにが起きるかわからない

のが、僕のパターンなので楽しみだ。

人生が自分の手の中でころがる感覚がある。

しかも、それは期待しても必ず裏切られて、予想も

しない処へ出る。それ次第でどうなるかわから

ないが、力を出し切れば対処できる。そこから

人生を鷲(わし)掴む感覚が芽生える。その自在感

で、そのまま自由を味わうことになる。

勝利は癖になる。その場その場で、目の前に絶望が

いるのはわかっている。それに構っていられない。

ビルとビルの屋上の間のロープの上を、目隠しで渡る、

という気持ちだ。それを渡るしかないのか?

ここぞという時は無条件で、闇雲に自分を信じる。

他に方法がない、どうしようもないから。

そうしてすべてが新しくなる。見るものを新しく感じる。

次もうまくいくと思えたことはない。ギリギリだった。

なぜ助かったのか、わからない。そして、新生活が

始まる。

ただ生きるのではなく、

また、生きようとして、生きたい。


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