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クラシック幻想から新概念へ [概念]

イタリアのバロック、アルビノーニのオーボエ協奏曲を

聴く。オペラ作曲家だったらしいが、紛失して5曲が

現存しているだけらしい。今は、オペラよりこのオーボエ

協奏曲が有名で、器楽作曲家で名が通っている、とか。 


とても贅沢だと思う。宮廷時代に癒されるものなのだな、

と。音楽は多く、癒しから考えることが多い。聴いていれば

気分が楽になるような、・・・・なような?といった気分。 

バッハもこの主題でフーガを作曲していたというから、

バロックでもさらに古い人だ。 

夕闇にまだ青さを残している空に、街の尾根(屋根)に 

長くたなびく雲は、白と灰色の混成に見えて、この音楽の

アルバムの表紙にピッタリだと思う。 

すぐに WHY?で考える癖が、この曲を聴いた時もあった。

なぜ人は癒しを求めるのだろう?と。 

アメリカへ行った母が、西部劇時代の女性の衣装を着た

写真があったのを思い出した。探すのは、・・無理だろう。

が、西洋音楽は母の耳なのだとも思う。田舎の古道具屋の

娘だった母が芸子に売られて、そこで教養に聴かされたのか、

クラシックが耳に快かったのだろう。小学校しかでていない

のがコンプレックスだったらしいが、アメリカの次はドイツに

旅行して、ロマンス街道をコースに選んだ。ともかくぶっつけ

本番な人だったから、英会話ができなくても、身振り手振り

でなんでも伝えただろう。物おじしなかった。

そうすると、僕はインドに行く前から、欧州の中世に過去が

あったといういい加減な記憶があって、それも母の遺伝子の

影響なのかな、と思う次第。僕の、ではなく、母の憧れが

色濃く僕の欧州趣味に結びついていたのかも?という

テーマさえ浮かぶ。

田舎の娘だったのに、結婚して、和菓子屋を開いたらしいが、

父は偏屈な気質だったから、客商売は向いていない。

いつのまにか、そこで飲食店みたいになっていたのも、

母の入れ知恵だったのだろうか?  

そんな大衆食堂?には奥にその頃では珍しいだろう、竹針

の蓄音機があって、母はそれでクラシックを聴いたのだろう。

僕には「おさるの籠や」だったが、・・。

そのクラシックの記憶はまるでない。偶然、レコード盤があった

ことを思い出しただけだ。親が何を思ったのかなど聞かされ

たことはなかったが、僕は母の憧れを十分に受け継いで

いる気がする。つまり、子は一人で育たない。親のイデーの

なかでも成長している。長男・長女が親のイデーを遺産として

受け継ぐのは、最初の子だからだろう。

だから、僕は僕という個人的な個性ではない。いろいろな

遺伝が混成されて、その影響のもとに知らずに選択をして

来た。それはそういう考え方までもを選択してきたことなの

だろう。

それで思い出すのは、ある地方の同じ国の血しか受け継いで

いない純血と思っている人たちでも、最低は7種の外来の

血が混血している、という遺伝調査の結果。

遺伝子だけではわからないが、なにしろチンパンジーと

人間にしても98,9%が同じ遺伝子だというから、割合では

なくどんな遺伝が異なるだけで、どれだけ違うように見える

か、だろう。ますます母親がチンパンジーに見えてきた。(笑)

なにを基準にするかで、”全然違う”、から”同じじゃん”まで

いろいろ言えるのだろう。 

そうすると、もう少し突っ込んで、この癒し感は母のもの

だったのだろうか?と考えてしまうことだ。

それは僕が母の遺伝子を通じて、二義的にクラシックを

聴いてるんじゃないか?という新発見なのか、空恐ろしい

発見なのか、テーマにまで進展する。 そこまで考える

ことはないか。100年後にわかることでも、今思ったら

ただの幻想だ。 

(ここで、飛躍 )

そう思うと、自分とは何か、いう長く解けない疑問に

思われていることも、それがそもそも幻想だという正体

に信ぴょう性が見えてくるのではないか。

猿が祖先だったということも、僕らは実は頭で認め、

進化論だというが、気持ちでは認めていないのでは

ないだろうか? 98,9%なら、まだ1,1%の違いに

決定要因があるのだろうか?そこからは神聖な

遺伝子だとか? (神聖なってなに?)

しかし、猫との違いは10%しかない。ネズミとでも

15%、バナナではなんと40%が違うが、60%が

同じという。

オレの遺伝子、バナナと6割、同じ。オレ、バナナ?

いや、 ・・・・・。笑える。 

僕らは自分は自分だ、と決定的に信じ、そう思って

いる。遺伝子が決定打ではない。

僕らの考えることそのものが幻想だ、と言うのでは

ない。その針を手に指したら、痛いだろうというのは

感想や予想ではなく、ほぼ事実になる考えだ。

しかし、隣の誰かと比べて、遺伝子で異なるのは 

0,1%だが、僕らは自分はたった一人だと思う。

それほど細かい違いが大きく思えるのはなぜ

だろう? 

それは母の憧れがクラシックを聴かせるように、

僕が習慣の結果を、また習慣にして自分の運命

にするように、自分である前に母の自分が一部、

僕の自分自身になるのだ。そうして獲得して

しまうと、自分としてそれは機能するように

見えるのではなく、自分の機能になる。 

僕らはそうして、人(親など)によってはその

社会的先入観も受け継ぐと考えられる。それは

本を読んで吸収するのではなくて、もともとその

概念は受け継いでいて、あとからそれを刺激する

言葉などで加わったから、が理由になる。

僕らの心が創作される秘密というのは、そういう

概念要素とも呼ぶべき因子があって、それを受け

継いでいるために、それを刺激によって開花させ、

その結果として自覚のない気づきとも思える

”自分の考え”なるものを形成しているのでは

ないか?

僕が言っているのは、要は僕らはどこまでチン

パンジーか?ということだ。チンパンジーは

チンパンジーを受け継ぐだろうが、僕らも人間を

受け継いでいるのは、僕には感覚的に否定し

がたい。それは以前の社会概念の祖型を

受け継いでいるようなもので、無自覚な絆意識

もそこに含まれるのだろう、と思う。 

犯罪者の子は犯罪者になる、というのはこのこと

からは出てこない。それは数式ならそうだろうが、

犯罪には社会状況や経済環境が大きく影響して

親の育て方も、学校での環境も影響する。 

そこで一大転機が訪れる子も多いだろう。自分

の祖の要素の概念を入れ替えてしまう、出来事、

大事件が起きた時にそうなる。

そうならない子が、親の誤った対社会概念に

苦しめられて、自分を孤立化させやすい。

そこでは教育的に良好ないい環境が、そのまま

自分に合わない環境として感じられ、そこから

離れるだろう。自分に似た者を探す。類は友を

呼ぶは、そういう処から始まっただろう。 

この決定論に似たものから離れて、自由になる

ことも、そのまま自分をどこまで理解するかに

かかっていると思うのだが、どうだろう?  

血という決定論はあるようであるし、そこを

知ればないとも言える。

習慣を逆手に取る。それであれば、運命を

変えられる。逆手に取るには、なにが無意識に

受け継いでしまったものか、まず親を知る必要

がある。答えの半分は目に前にある人は多い

のではないか。

僕らは遺伝子やその影響下にある体の仕組み

に随分とコントロールされていることがわかる。

心は見えないし、触れないから自由だ、という

のは妄想なのだ。例えば、思春期に女の子は

父親の匂いを嫌う。加齢臭とは別物なので、

娘を愛する父親はずいぶん落胆するだろうが、

男と女に分離した遺伝子はお互いに似た遺伝子

の者は伴侶として避けようとする。それが無意識

に匂いに現れるのが、体の反応らしい。

遺伝子は種族保存の進化の鉄則があるから、 

なるべく異なった遺伝子を受け継いだ方が

生き残りのチャンスが増える。そんなことを昔

の人は知らなかっただろう。が、近親結婚が

不具者を多く生むことから、なんとなく心得た

のだろう。

男女の好みも面白い。自分のタイプじゃないと、

なんであんな相手を選ぶんだ?と不思議に思う。

これは単純に親からの遺伝よりももっと遠くから

とか、また、より複雑なシステムがあるようだ。

なんにせよ、僕らの見せかけの自分を取っ払う

と、僕らの自分の構成要素が僕らが考えるよう

には単純ではなく、遺伝子や、または微量の

化学伝達物質とかいうものなどの影響のもとに

僕らが行動せざるを得ない、無意識な習慣の

原因も体にあるのを認める。

・・・・と考えるようになったのが、僕なら、・・・。 



また少し、ぶっ飛んで(飛躍)みよう。 

モーツルトも自分の曲について、なぜ僕の曲

がこの鼻のようにモーツアルトらしいのか、

わからない、と言っているが、楽曲がモーツアルト

に訪れた時、それは出来上がっていても、楽想の

ような夢の形をしているのではないか。モーツアルト

がそれを把握したとたん、(彼はどんな長い曲も

一度聴くと、忘れない)楽譜はモーツアルト風に

変わるのではないか?人によって変化の余裕を

もつスタイルなのではないか、と考える。僕が

それだけの記憶力があれば、それを僕風に

作曲化してしまう、創造というのはそういう力を

持っているのだろう、という(考えを、今発見した)。

書いてから言うのは、十分におかしいのだが、

僕はこの考えを以前から持っていた気がする。

しかし、自覚はない。自意識からは、今、思い

ついたのに、間違いはないからだ。これは脳の

何らかの作用か?無意識を自覚化させるとか、

それでは後付けになってしまう。それとも結果論

として定着化させる作用が脳にあるようだ、と言え

ないか。

(後から思い出すが、因果の様子が人によって

違う見え方をするのだろう、同じものを見ても

それをその人に理解される、もともと頭に持って

いる形、図や概念で説明する、ということは

言ったことがある。似た考え方だ。)

新しい概念というのはすぐに枠にはまるように

定着化という作用を起こす、というのは認識の

不変な態度なのかもしれない。生まれると、

すぐに固めてしまおう、と。だから、人の意見に

初めてのことでも納得すると、その定着化で

自分の意見にしてしまうことが起きるのでは

ないか。これは自己の所有を確保する働きでも

あるのではないか。お前のものはオレのもの、

オレのものはオレのもの、なのだ。

どうすれば、こういうプライドを避けられるのか? 



**
発見ひとつで、疑問がさく裂してしまう。新しい

概念はすぐにはまとまらない。いろいろと概念

同士照らし合わせる必要がある。なのでここら

で一応、収めよう。また考えがまとまったら、その

時点で書くだろうから。 ・・ここまで。。。



*親の願望や憧れが主に長子に遺伝するか。 

*遺伝子のパターンは人間とバナナでも60%

 が同じ。単純さを組み合わせて、種族の可能性

 の拡大を遺伝子が意図していて、それを僕らは

 行動に現わしている。 

*僕ら人間は、通常10種以上の混血種であること。

 そこから民族や人種に区別できないので、科学と

 社会では人類の区別の仕方がまったく異なる。

*親の願望が遺伝するなら、その親の社会での

 歴史や習慣が同じように無意識な因子として

 遺伝するのか?

*社会環境が遺産として子に受け継がれるのが、

 親が貧しい環境なら、子もその環境を選ぶという

 のはブルデューの「ディスタンクシオン」(未読)

 などの概念を想像して話したものらしい。「100分

 で名著」(ディスタンクシオンの回)の番組を一部

 観た。

*体の仕組みが遺伝子でコントロールされている

 ことで男を選別することと、心の遺伝が男女の

 好き嫌いをタイプ別にしている可能性があること。

*脳は新しい概念を早急に固定化しようとする

 作用があるのではないかという可能性。 



 ::::: ― 以上、まとめメモ。
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気を拾うことをや [気]

まず、4句。


 榛(はしばみ)を マスクに遠く  木の香り 


 ラオックス 重ねる家電も  ラオックス  


 CM の 梅にはメジロ  ばかりなり 


 ラテックス アナフィラキシーの  アレルギー



寝ていて3句できたので、ごそごそ起きだして、

パソコンを立ち上げる。2句を書いたが、3句目が

思い出せない。古くから、ド忘れは、思った場所で

思い出す、というのがあって、それが早かろうと

また寝床に入ってみる。10回くらいはこれまでに

そうしてきたのがあるが、いつもそれで思い出す。

今回も10秒くらいはかかったが、うまく思い出す。 


これは何だろう、と思う。今夜もそう思う。そして、

同じ仮説を思い出す。ポイントは場所だろう、と。

それを考えた場所になにかある。すると、科学的

には脳波だろうか。僕は「考え」も一種の”気”では

ないかと思うのだが、その場にまだ気が残っている。

そう考えると、納得しやすいのだが、針治療と同じ

で「気」は科学的ではない。だが、例えば、賽子

(さいころ)をころがして、[ハート] 一の目を出すと、

無為に1000回振って出る回数よりも、一の目

を出そうと念を込めて出そうとすると、回数が

多くなるという噂を聞いたことがある。確か、

一度大昔に試した気がするのだが、はっきり覚え

ていない。 

しかし、それで大して違わなければ、その話は嘘

だと記憶しているだろうから、どちらかと言えば、

任意に違うと言えるほどには違ったのだろう。

それとは違うが、男が女を好きだと思うと、そう

いうはっきりした態度も見せなくても、たいてい

バレている。女はそれを早く知れば知るほど

有利になるから、そういう感覚が発達したのだろう、

と推察されるが、それにしてもその場合は、ほぼ

男の「気」を察知したのだろう。僕もその女の

鼻の形が好きで、朝礼で少し遠くから隠れて眺め

たが、いつも絶対にバレていないと思っていたが、

そうではなかった。この例などは「気」を感じ取る

ことだと見て取れるだろう。すると、僕らの考えも

「気」で構成されるのか、というのが残る疑問だ。 

それは、ただありそうだということ。このWi-fi に

してからが、細い電線に光ファイバーの通路だけを

選別して、かなりの情報を流してくるのだから、

量の面だけからでも、その場にわずかな考えの

気なり、脳波なり、エネルギーなりが残って、浮遊

していてもいいのではないか。僕らは常識的に

「空気を読む」と言うではないか。それって、空気は

読めない。空気という言葉でなにか別のものを

察知している。雰囲気とかいうもの、それって

たしかに雰囲‐「気」‐だ。

気持ちもあやふやしている。「気」を「持つ」と書く。

そういう解釈でいいのではないか。僕らはそういう

ものがあるのを、大昔から認めている。

ど忘れたらそれを考えた場所にもどってその「気」

を拾ってくるのは、(戻るのが可能なら)役に立つ

ことなのだ。
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そこにないものに入って [詩]

僕らは特別な時間に、入ってゆく。

時間は、ない。

だから、僕らはないものに入ろうとしているのを、

無意識に感じている。 

単調に くり返すメロディのように 

民意の 歴史に  誘われて

僕らは そこに なにがあるか 

知らない。 

それを 不思議に思わないほど  そこに

あるものを  心に 置いている。  

立ち上がると  血流がめぐるように  

もう  感動がある、  静かな 前提。 

空気が  うすくなってゆく、  

ゆっくり 呼吸をしなければ   苦しくなるくらい、

気圧が  低くなったのも  感じている。

もう 台所は  極寒に達したようだ。  

食器棚から  つららが 下がっている、

靴下が 床に張り付いて  そこから

破れてしまう。  防寒の靴に  履き替えねば、・・

お湯を  沸かそう。  

もう 1時間待っているが、  お湯は  まだ、 

そうだ  気圧が低かったんだ、 気づく。

その間も  凍らないように  歩いている。

4時間、  お湯が沸いてきた、  すぐに 

タオルを出して  お湯で溶かして、 

またお湯を 足して  今度は  防寒服を 

マッサージする、  凍りつかないために。  

湯たんぽを つくろう、  今夜、眠るために。



夜中に  凍死しない準備は  手が かじかむ 

ここには  なにが あるのだろう?  

高度8,000m で   建築不能の

山小屋に いるのは   不思議な 感覚。 

スリーピングバックは  空気の厚みを  

製造するようだ   隙間風も  通さず、

外気を  透徹する。  

数千の  見えないつららが  山小屋を  

通過して   どこかに  運ばれるよう。

聴こえてくるのは  沈黙の  音、 

シンシンと  染み込むように  刺してくる、 

長い  回廊を 想像させるが、 それは 

谷底に  落ちてしまう。  

その 聴こえるはずのない、 落ちてゆき、 

落ち続ける  無機質の  音、  

心という  防波堤が  感じられない、 

透明に  染み込む、   黒い 耳 ・・。

眠る、   ・・ 眠る、   よく、 ・・・、

12時間も      眠、 ・・る、  

破壊や   陥没、 

落差や   黄砂、  

倒壊や   沈下、  

鳥居や   敷石、 

奥深き や   むくつけき、 

これほど  よく  眠ったことが 

あっただろうか? 

瞬間の  ブリザードで  

僕は  凍ってしまうだろう、  

一瞬でいい  待つのは。  

朝が来れば  もう 安心だろう、  

眼を 開ければいい  キラキラっと  

岩肌に  氷箔が かかって  

輝くだろう。  




僕らは特別な時間に、入ってゆく。

時間は、ない。

だから、僕らはないものに入ろうとしているのを、

無意識に感じている。

氷結には  音色が  見える、  

静かさには   無風の 声がする。  

豊かさを  辿ろうとして、   

突然、

すべてが  閉じてしまう。  

あるものが   ないものへ  

すべてのものが   ひとつのブナの実へ  

見えない  命、  

茶色の 殻という  艶、  

そこに  憩える  白いシャツが  

あるだろうか?  

雪山へ  入る道を  飛んでゆくだろうか?  

誘われる  郷愁の その日を  

思い出すだろうか?  

その中に  あるもの、 ・・  

ひと雫の中に  広角の世界が  あるとしたら、  

凍死した  僕の姿も  

見ることが できるだろうか?  


これは  すべて  想像なの、  

だろう か?
 

階律と ともに  二人で歩む、  

君と 僕の  幻想の会話、  

ホールで  拍手する  聴衆は  

何を  見ているのだろう?  

やがて  畳まれた 光の帯が 

立ち上がるように  昇ってくる。  

胸に 差し込む  あたたかさで  

僕は  迎える。  

カタロ  ホーニャ、 

ラムリ  ペシレラント、  

サラマ  キターランテ、  

ク ク、  ストーパ リアランテ。  


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非前提の前提、またはア・プリオリかも [哲学風]

今、「純粋理性批判」(カント著)の緒言、Ⅰ純粋認識と経験的

認識との区別について、を1頁半ほど読んでみた。僕らの

心の根の発生について考えていて、地球の自転での体験を

書くのが適当と思われたのだが、書き出してみると、前提

を必要としない無意識があるような気がして、そこから書く

のが良いと思われたのだが、「前提のない」ということから、

カントの「ア・プリオリ」を思い出した。(ア・プリオリは、より

先なるもの、先験的というラテン語)

昔、「純粋理性批判」を読んで、理解できるという感触だけで

その時にはまだ難しいという印象で、読まなかったのだが、

その印象を得る、たぶん、30から50ページは読んだのでは

ないか、と思う。まったく覚えていないほどなので、記憶を辿る

ことはできないが、最近感じていたのは、僕の書く処は、その

「ア・プリオリ」と内容は同じではないか、ということだ。それを

確かめるのに、カントを読んではいられないので、1頁半だけ

概要の印象がわかるくらいを読んでみたが、形而上学なので

言葉で世界を組み立てているために、その著者と同じ思考

回路を辿る苦労をしないと、理解し得ない。感覚的理解や

情感的理解では何も掴めない世界だからだ。 

なるほど、これは同じになる可能性があるので、僕は言葉

ではなく、経験の事実から類推する。それが結果として

そうなるかは、近い将来カントを読んでわかることだろう、

だから、ここはいつものように自分流に書いてしまった方が

いい、と判断した。 

書くのをためらったような気がしていたのは、強く意識しな

かったが、このことなのだろう。だから、これは僕の側から

のア・プリオリの説明になる。 


僕らの意識は認識を伴う。意識するとは、そのまま対象を

言葉や色や音で、肌合いで、匂いなどで特定して、それを

当て嵌まる言葉でその時に定着させる行為だ。要は、

電車という対象を見て、「電車だ」と思う(認識)ことだ。 

それは見る、という経験を通して、認識になる。経験が

初めに来るもので、対象を認識するために、経験より前に

認識が来ることはない。電車を見る前に、電車だ、と思って

から電車を見る、ということは起こらない。 

これで認識は経験的事実によって起こる、と考えてもいい。 

電車という例を省けば、僕が読んだ1頁半には、そんなこと

が「純粋認識と経験的認識との区別について」で書かれて

いた。 

僕の経験に入ろう。まだ完全を追及して、実験を繰り返して

いた頃で、30代から40代のどこかで、その日記資料は

ないので、これも昔の話だ。よく散歩で、まず車で相模川

まで行っていた。暗闇の林の中を灯りなしで、多少躓いて

も、平気で歩いていた頃だろうか。川の本流と並行に

細い支流があって、池もできていて、そこにテトラポットが

沈められていた。その上部は川面からは上だったので、

気をつけて歩くことができた。僕はその上に立って、地球

の自転について考えていた。僕らは自転を感じない、

気づいてもいない。どれくらいで動いているのだろう?と

計算してみた。地球の円周は光で秒速30万km、地球を

7周半するから、そこから割り出せる。前に書いたが、この

時は計算違いをして、7周半を割り算しなかったので、

1秒で300m以上だと思った。実際は42,3mくらい。

そうか、自転方向は東だから、あっちのほうへ秒速

300m以上で走っているんだ、と思ったその時、体が

そっちに持って行かれそうになった。グラッと来た処で

瞬間、体の重心を支えたが、なんだ?と思った。

もう少しでテトラから池に落ちる処だった。危ねぇ、と

思いながらもすぐにこれが自転の勢いだと思った。

テトラが揺れたわけではなかった。地震ならすぐ

わかる。突風が吹いたわけでもない。池は平穏

そのもの。それにテトラが揺れたのでも、突風に

吹かれた感じではなかった。持って行かれそうに

なったのだ。ここからは推測だが、体が僕が

秒速300m(誤り、実は46,2m)で動いている

と考えているのを、勝手に元の状態に戻そう

としたのではないか、と。元の状態というのは

自転した地球に乗っているのではない、静止の

状態の自分である。そうしたら、電車に乗って

いて、急ブレーキでもかけられたら、慣性の法則

で進行方向に倒れてしまうのと同じで、体は

持ち上げられるように東へぶっ飛ぼうとする。

瞬間でなければ、何mか先の水面に投げられて

いただろう。この感覚、これが錯覚であるなら、

この仮説も何も成り立たない。が、今は事実と

して感じられたものを書くのみだ。 

その原因が何であれ、僕にはこれが自転だ、

という事実が突き付けられた。体感で危ない目

に会ったのだ。そのショックはすぐに感動になった。

生まれて初めて、自転を感じた、という感動。

そう思うと、人類史上初かもしれない(笑、言い

過ぎだが)。

つまり、これが非前提の前提だ。僕らは立ち

止まってじっとしていると、それが静止だ、と

思ってきた。しかし、自転を計算に入れていない。

僕らは生まれた瞬間に、もう時速にすると、

152kmくらいで動いている。その地球の上に

いるのだ。おまけに、象の5頭分の重さの空気

(大気)を抱えている。それに耐えられるように、

初めから生まれついている。だから、物心ついて

も、空気が重いとか、時速152kmで目が回る

とかしない。これが僕の経験的ア・プリオリだ。



これを感じるともっと拡大したことが心に起きる。

僕らは空想的に、ただ想像するのと、実際に

経験するのとでは、まったく違う感覚を得る。

ある意味、飛躍するのだ。

僕の場合は、自転の経験から自分が地球に

なった気がした。地球を抱き込むように大きな

観点から、地球上の様々なものを見るという、

肉質の俯瞰を得たのだ。ただの瞬間的な自転

の刺激で。

カントのア・プリオリがこのようなものなら、それ

は理性(カントは知と区別していないようだが?)

に関して知はその内容を経験という過去からだけ

ではなく、それを判断するための悟性を先験的に

人間は備えている、ということではないか、と

現時点では、僕はそう想像する。 

先験的な悟性とは、恐らく、無意識と言い換えても

いいだろう、その指摘が正しければ、・・。



結論として、その悟性とはこれまでの経験ではなく

して、前体験として僕らの(知を越えた範囲にある)

前判断力として在る、というものになるだろう。 

自分を知るのは、自分を俯瞰することだが、俯瞰

するには、理論上、自分を越えなくてはならない。

言い換えれば、自分という認識知を越えなければ

ならない。なぜなら、認識知では自分の認めたもの

しか見ないし、見えないからだ。それでは永遠に

自分の内側しか見えない。感覚や情感とどう

コラボするかが課題になるのだろう。それにしても、

まず、自分から飛躍するとは?という課題が先に

なる。自分(知)が生まれる以前が、僕らの自分からの

飛躍になるのだとすれば、誤解されやすい言い方を

すれば、動物になってみない?となるのかもしれない。

動物の心になって、その感覚や情感で、知を加えない

で自分を観察したら、それができるのだとしたら、それ

も一つの方法かもしれない。では、動物の心とは? 

それに近いものは子供の心だ。子供は成長しながら

動物から人間へと進む過渡期にある。僕らは子供

のしつけや教育ばかりを気にかけ、子供がそのまま

どうなのか、というのはほんの赤子の時だけしかない。

それは子供が愛を発散している時期で、僕らはそれ

に慰められ、依存してしまって、赤子がどういう感覚

を今育てようとしているか、ということには気づかない、

見ていないから。空腹か、おしっこか、便か、怖いか、

痛いかという泣き声にだけ気が行って。

また、愛と共に自分が豊かな感情を受け取って、それ

がこれからの子供の学費や教育費という十分な見返り

になる価値を与えられてしまっているのにも気づかない。

子供は赤子であることで、それからの成長のための

費用を愛くるしさで先払いしている、と僕は見ている。(フ)

長い観察をするとなると、動物とつきあってみるしか

ないだろう。それが家猫や家犬を飼うように、主に

自分を慰めるためではないことはおわかりのこと

と思う。

他に、今はできないが、海外に一人で旅して、日本人

のいない地域で暮らしてみるのも、一方法だろう。

どれほどに自分が日本人か、その違いを嫌でも

認識させられるからだ。この国で生まれたら、自分は

この日本人としての感覚は持っていなかった、と知る。

それが日本人という自分の一部が自分の絶対条件

ではないことを体感させる。それだけでも、その体験は

素晴らしいものになる。すぐに危険な目に合ったら、

続けないで一度引き返し、時機を改めて、また

再挑戦した方がいいと思う。これは経験の言葉で

しかないが、予告には逆らわない方がいい。

無理すると、結局無駄をすることになる。

僕は海外へ行くときには、実に慎重になる。それで

か、強盗や窃盗にも合わなかったし、事故にも遭わず、

地雷も踏まなかった、実際。(笑)

インドでひとつ、石鹸箱と石鹸を盗られたくらいか。

山へ登っても、海外もいいが、そこで必ず、生活を

する、というのが秘訣だと思う。高度の記録を

作ったり、百名山を征服するとかは無駄。それ

よりも山で一晩、キャンプ場ではなく、自然の中で

キャンプして沈黙の音を夜に聞き、孤独と向かい

合うことや、自炊することのほうが”なにごとか”

であるのだ。生活の中から、原始の中からのほう

が、自分を越えられるから。 


自分を越えなくてもいい。今が平和で安全で、

思ったように生活できて、そこそこ幸せならば、

なにもしなくていい。それはあなたがそういう

状態だから、そういう環境にいて、それが

保てるから。それなら、それをさせてくれる人

たちに感謝して、それを続けてもらえばいい

ことで、自分を変える必要はない。

ただ、残念ながら、そういう具合にはできて

いない。心の内側が平和で安全なら、外側

からいつか乱される。外側がいい環境で

家族も安心健全でも、自分が不安定なら、

いずれそのバランスが保てなくなった時に、

自分から壊しに行く。それを止めることは

できないと因果は教える。どちらかが完全

に支配することはないが、それでも暗い

時代は避けられない。

準備は欠かせないだろう、否応なく非前提に。

もう、コロナは来ているし、・・・・・。コロナも

生き残りに必死で、変異をくり返しているし、

・・・・・。



** 
((この先は哲学への愚痴になるので、無視して

無理に読む必要はないので。メモとして。))



< 哲学の模様 > 

今回、哲学の用語を使ったが、あまり内容を

描けなくても気にしなくていい。いずれ観念語

なので、観念をくくるのに便利なために発明

された専門用語というもので、言葉であるので

その著者の意味と同じに掴むのは容易では

ない。その観念と観念とを重ねて括るところ

まで行くと、著者自身もあいまいな部分を

抱えたとしても、それを抽出できなくなる。

時には自分の尻尾をくわえてグルグル回る

犬になってしまう。

僕らは科学にしても自然な物事を扱っている。

科学技術が拓かれて、微粒子も特定できると

されているが、実際には条件がつく。そして、

超微細な世界で存在しているものは、僕らの

一般に想像する物質という枠を超えて

しまっている。一瞬で生まれて、一瞬で消えて

しまう存在をはたして僕らの世界の構成要素

と呼んでいいものか、僕は疑問に思う。例えば、

時計の精巧な技術で、0,0001秒まで測定可能

になったとしても、100m走で0,0001秒の差で

金メダルと銀メダルが決まった時に、誰がその

差を肉眼で見るだろう、まったく同時のはずだ。

それって、金と銀の差だと言えるのだろうか? 

と言いたくなる。それこそ、風が少し、金の選手

の背中に触れたぐらいの差ではないか。それは

ただの運に過ぎない。オリンピックで0,0001秒は

賭けになってしまう。そんなもののために4年も

練習しなければならないのだろうか、と。

哲学も似たような面をもつ。僕らの社会生活や

その適応を内面的に考える際にも、抽象的に

考えすぎると、0,0001秒の差のような観念

ばかりになってしまう。


哲学でそのエッセンスを読み取るのも大変ならば、

それがどういう点で社会や僕らに有効な知恵を

もたらすかについては、さらにエッセンスをそこに

還元しなくてはならない。そういうのでない本は

捨ててしまってかまわない。いずれ、気に入った

書き方で読むのに面白いほど著者と、抽象観念が

共通しているのなら、楽しみで研究するのもいい

だろう。もしかすると、そこから違う面で、発見が

あるかもしれない。

でも、多くは無駄になる。人生で有効性を求める

のならば、その哲学者の全般からそれを引き出す

ことはできないだろう。その一部の成果を引き出す

にしても、彼の歴史から人間を捉えて、それを念頭

に置きながら、知と人間の分離を抽出しながら、

書かれたものの特性・個性を探らなくてはならない。

わかりにくいが、要はその人間を知ったうえで、

書かれたものとがどれほど乖離しているかが

わからなければ、知的な達成点のより明確な

エッセンスが見つけづらい。と、僕は考えている。

観念には観念の独特な閉鎖的方向がある。

そのカテゴリーを俯瞰して、中から知恵のエッセンス

を発見するには、人間を見るのが役に立つ、と

いうくらいの意味合いである。
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このままではなにも進まないこと [日記]

書くことがあるのは素晴らしいと思う。まだやることが

あるからだ、というのは自分的には笑える。嬉しい。 

それは小さな印象が胸に沸き起こるのでわかる。 

さしたる内容もわからないが、それは気にすること

ではないので、(どうでも)いい。

どのみちなにか、あることを書いていないと、表に

出てこない。なるべく自分に気づかれないで、その

方向とは違うことを書いてやると、それは勝手に

方向修正して、出てきてしゃべりはじめる、という

具合だ。音楽を聴いていてもいい。ただし、思考や

感興を邪魔するような、斬新な刺激的な音楽は

お喋りを邪魔して、選曲をくりかえさせたりする。 

そこに誰かいるような感じ、 ・・だが、気づかないで

書きはじめる、ことが始まる。そうなると、止まらない。

気の合う友人と話すようなものだ。ああだ、こうだ、

となぜか話が広がる。どこかへたどり着く必要もない

ので、終わる必要もない。そうして、書きながら、

どこかへたどり着く地点が見つかったりする。

そうして、そこへと指を走らせるのだが、ちょっと

横道へ入ったりしてしまって、また回り道をする

羽目に。それが面白いわけではないが、なん

だかんだと話が伸びるのだ。

そんなことをしている、今も。そろそろ、合言葉を

だそうか。「なにも来ない」、「書くことはないらしい」、

どうだろう、スィッチは入るだろうか。

プライマリーバランスって、なんのことだか。

ゆっくり、焦らずとも、夜は長い。 

ほら、耳の下や、太ももの脇がしんみりと痺れて、

感動の予兆が現れた。まだなにも受け取って

いないのに。気が早い。  

僕らは、・・・・・・・おいおい、続かないよ、見切り

発車かい? 

僕らは、という時、とても大勢になって後続して

いる者たちを想像するのか、一人で発言するの

ではない、僕の声が野太くなるのを感じる。 

それが大勢の意見を代表して言うのだ、という

意味ではないのは感じるだろう、人間として

ということだろう。同じ人間のひとりとして、同じ

大地や記憶や希望とか、似たような背景もある

個の者、これを言う。という背負って、気負った

面もあれば、自分でこれがふつうの意見だ、と

いう正統さ、やってみればという実証さを示し

たいのもあるんだろう。

音楽を、・・アメリカンフォ-クを聴いてしまった。

書くに集中が途切れる。集中というのは、その

あいまいな書く雰囲気に身を浸すだけのことで、

なにも真剣さやムキになることはなにもない。

それでも、意識がはがされると、ふつうに音楽を

聴いてしまう。強い感興が僕を離さない、という

強制がなくなったのは、確かなようだ。

それほど今までは、これが伝えるべきことだ、と

いうのがあったようだ。そういう時、本人はそれに

夢中になれる。なにかをしているという、役目を

果たすとか、使命をまっとうするとか、自分の

仕事をしているという気になれるようだ。 

それは目的があるからだろう。前提として、僕ら

の心に焼き付くというか、染みついたと言うべきか、

伝えることが最小限でも社会的勤めなのだ。

失礼のないように、とか、笑ってもらいたい、とか

感心してもらいたい、とか、そうして自然に人が

納得できる、受けを狙ったとはいえないとしても、

露骨ではなくても、文よりも、または文も、画像も

工夫する。楽しめるように。押しつけるのでもなく、

押しつけて。そこそこでたいてい成功して、そこそこ

面白かったりする。そういうものは社交というもので、

おつき合いの延長になっている。

お互いにそうだとわかっている習慣に従っている。

そういう自分たちに気づいている人と、気がつか

ない人たちがいるのだろうか? 

それは何とも言えないだろう。これは批判でもないし、

ましてや非難でなく、また賛美でもない。 

僕らのルールは僕らが作り、納得するもの、された

ものが一応、継続することになっている。それが

習慣になり、国民の性格になり、それが運命的に

進んでしまう的なことは、数回前に書いた。  

僕らがひとりひとりどんな規範を受け入れているか

は、それぞれの内面のことだろうけれど、それは

今のふらふらな日本の精神構造に沿っている

だろう。明治維新によって、何かを失っている。

産業革命の何かを得るために、戦い続け、そして

負けた。歴史は僕に関係のないものだと思って

いた。それは半分正しかったが、半分、そのまま

では自分に気づかないのと同じように、この日本

の歪つな空気を理解はできない。それには意外

と第一次湾岸戦争以来、時間がかかって、まだそれ

をはっきりさせられない。が、それはできると、そう

いう処には来ている。あとはするか、しないか、で

難しいことはなにもない、のだが ・・・。 


それがひとつのテーマだったか、と。 ・・・・・・

僕は思う、いつも思うのだが、僕は僕になにをさせ

たいのか。自分を社会の運命の軌道に乗せてしまう

ことも含まれているのか、と。それはもう考えなくて

いい条項にしたいのだ。 それにしても、趣味の芸を

したいし、自分に合っていて、かなり天職だとも思って

いるのだが、それをしてこなかった。できることが

わかっているものはしないだろう、というのが性格

だから、それはそれで理解したとしても、やはり、

今の仕事を続けるのはやめない。以前より不利な

状況になったとはいえ、宝探しの連中と一緒なの

だろう。何十年も穴を掘って、宝石の鉱脈に一生

を費やす人たちがいる。彼らは発見すると、一気に

大金持ちになってしまう。街に戻って、ホテル暮らし

で金を湯水のように使う。しかし、続かない。3ヶ月

もすると、贅沢にギャンブルに女に飽き飽きしてくる。

何を思ってか、自分が発見した鉱脈の山に戻る。

昔の仲間がいて、そこでもう捨てられた穴を拡張

して、バーやレストランを、鉱山堀りのためだろう、

開くのだ。彼が数十年も暮らした穴倉。それが

習慣で、性格で、つまりセオリーどおりに運命に

なってしまったわけだ。穴倉が好きになってしまった

のだ。日本でも有名な金持ちが自分のビルで

自分の階の一室をまったく、木造の家屋と言って

いい部屋に改造してしまった。それは昭和の香り

のする、畳と障子の部屋だ。そこにいる時が一番

落ち着く、という。 (モダンビルなのに)

僕らは思い通りに行かない。それも多くは自分で

習慣を改良したり、変えたりしないからだ。今の

規範を受け入れて、その流れの中にいる限り、

その習慣からの発想より新しくは、なれない。

自分が”ほんとうに”なにをしたいのか、知って

いたら、実は戦略書と剣を手にしたようなものだ。

それは、恐らく自分を知ることと、それほど変わり

のないことだろう。

そこからなら、ほぼ僕らは自分の思う方へ行く。

そこからなら、見渡せる世界が違うだろう。

やり直すことじゃなく、いつでもそこから始めること

を考えるだろう。

ほら、自由が近づいてきた。



2021年、2月からいくらでもそのための準備が

できるだろう。でも、新しいもの・ことに進むのには

一歩を踏み出す動機が欲しいと思う。そこまで

来たのなら、自分でそれをつくるのもいい、と思う。

自分の背中を押すには、どういう仕掛けが要る

だろう? 僕もそれを考えてみるよ。簡単に

思いつくのもつまらないので、例えば、山で

お湯を沸かして、珈琲を入れて、それを飲み

ながらにしようか、とか、思うけど、どう?だろう。

僕の場合は自然に囲まれると、何かが変わる

のは当たり前だ、と思える。帰ってから・・・・。

その時は面白くないんだけどね、 ・・・・・・・・。

帰ってから、 ・・・・・・・・・・・・・。    1.27
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認知症の対処 [認知症]

<1月下旬の記事>


モヤモヤっとするのではなく、なにか透明な感じ。

水平線まで透き通った空気が板のように敷いて

ある、というどこまでも続いている感じ。それが

いつもの夜に対して、想う感じだ。 

この現実の視界の空があったり、街があったり、

そういうものとは別な空間が、夜の本体で、そこ

をいつも交通機関のように利用させてもらって、

どこかにたどり着く、ということが行われている。

それがこの書く舞台という、設定だと、改めて

今まで気にもかけなかった、夜に感じているもの

を説明してみた。 

ほんとうはその夜の本体に沿って、流され、その

感興を楽しみたいのだが、そういう情感からは

少し遠ざかったようだ。 

だからと言って、それを呼び込むような真似は

しないだろう、という自分を感じる。このままで

いい、という理由だろう。僕がそれを俯瞰する

ように逆らわないのは、これまでと同じで、ただ

どうしてまた坐って書いているのかが、疑問な

だけだ。まだ期待が残っているのだろうか?

とも思うが、一方でもう書かずに何日か休もう、

と思っている自分もいるのを、知っている。

一昨日からギックリ腰でこの2日間は不自由

だった。いつもの反応で、そこが痛いような

姿勢でうつぶせに寝て、患部を痛めつける。

これでは逆療法ではないか?と考えてはいけ

ない。ともかく、一度膝でも成功しているから、

僕には合っているはずだ、と信じる。それに

深刻な痛みではなく、毎晩寝返りしても、そこ

が痛いから目が覚める、ということもない。

ともかくも少し改善している。

そして、今日はまた珈琲に当たってしまった。

なぜか、僕の腸に合わない低級な豆だと思う

のだが、時々、珈琲で下痢をする。今までの

経験から帰納法で考えたが、2年前から、どうも

僕が下痢をする豆の種類か、低級な豆がある

らしく、チェックしていないので、ランダムに

買っているうちに当たってしまうのだ、と思って

いる。ギックリと下痢で、今晩は体調がいいわけ

ではない。なのに、坐っているって、おかしくない?

と自分に言っているのだが、体は坐れ、と言う

のだ。それが体なのか、無意識なのか、体を

通して無意識が指示するのか、知らないが、

まだ現状が掴めていないので、今まで通りに

逆らわずに、坐る、書く。

で、こう書いたこの文が、何かって、自分でも

わからない。無責任極まりないが、書いてみて

なんぼの生活だったので、無闇に書き出して

いた。

なんだろう? この感じ。 

なんかあるらしいが、それが書けなければ、ただ

無意味なだけだ。無責任で無意味ときては、非難

を覚悟するのみではないか。と言っても、そんな

ことを言って来る親切な読者もいないだろう。そうか、

この処、訪問者数が伸びているので、それに合わ

せて、続けて書こうと、そういうことなのかもしれない。

しかし、坐れば書ける、とか占えばぴたり当たる、

みたいな時代は終わったらしいから、こんな愚痴

じみたことばかり書いていても迷惑なだけだ。

テーマってなんだ?「119番ってなんだ」、認知症の

父が言ったらしいが、そこから考えてしまいそうな

雰囲気だ。


頭は両親の記憶につながっている。認知症について

書いておこうか。認知症で面倒なのは、初期では

まだらボケといって、正常とボケが交代に出てくる

ので、見逃してしまうことだ。どうしてそうなるか、

は認知症の者がまだプライドが残っているので、

何度もまた忘れたことを詰問されると、それを

嫌がってうまく嘘をつくことだ。「ああ、そう言えば」

とか、取り繕う。それで僕らはごまかされてしまう。

認知症だと気づかないから、僕ら家族はいい加減な

ことを言われたり、簡単なことがわからないと、

たいてい親をしかりつけるのだ。それに認知症は

家族で初めてになると、対応の仕方を知らないので、

つい感情的になってしまう。そういう時は、相手を

見ていない。なにか変だな、と思った時から、

注意して観察すればそれを見抜ける。

認知症者に対する対応は、相手の言うことを否定

しないことだ。こちらの行為はそうではないことを

するのだが、裏腹に言葉では否定しないで、根気

よく説明して理解のほうへ誘導する。

アルツハイマーは脳細胞が縮んで記憶や理解力を

失ってゆく病気なので、今のところ原因は特定されて

いない。なので、治療薬もない。

一番身近で世話するものが、一番の被害者になる。

被害妄想が出やすく、それが身近のものを疑う要因

になるようだ。

僕の場合も、まだ父を一人暮らしさせても、ヘルパー

さんや弁当屋が来ていたので、一時期は安心して

いた。が、その陰で父は近所の人に、「息子が自分

を殺そうとしている」と吹聴していた、と聞いたから

これは驚く。原因をいろいろ考えたが、推測だが、

どうも下痢を起こしたらしい。それをそう思ったのは、

冷蔵庫を開けてみて、賞味期限の切れたものでも

詰め込んでいたからだ。そのうち腐りかけたものを

食べたのだろう、腹が痛くて、毒が入っていた、と

誤解する。すると、息子が怪しい。なぜそうなるか、

その前にまだ母が存命だった頃に、二人して

ゆうちょや銀行の通帳をなくすは、保険証もなくす

は、でその度に再発行に出かけるのは僕だった。

それで、そういうのを預かって、必要な時は電話

して、すぐに車で来るから、と伝えていたのだが、

しばらくすると、それが息子が通帳を盗んでいった、

と父の頭でなっていた。息子は信用しない、通帳は

渡さない、と言っていた頃だった。なので、父を

殺して通帳を奪うつもりだ、と短絡に考えた。

アルツハイマーになると、考えが非常に短絡になる。

脳細胞の数はかなり重要らしい。

「おれはバカになった」と、医者の話が理解できなくて

言っていたが、これはまだ理解力が残っていたほうだ。

母が亡くなり、一人暮らしで僕を疑い、次にヘルパー

さんを疑い、最後は弁当屋も断って、電話にも出なく

なって、それが末期症状だった。夢と現実の区別が

つかなくなっていて、夜になると僕が二階から降りて

来て、話をしたそうだ。それを想像するのは気味が

悪かった。

区役所から教えてもらい、そういう患者を家から連れ

出して強制入院させる仕事人を紹介してもらい、

無事入院させたが、脱水症状になっていて、危ない

処だったと医者に言われた。 

もともと頑固で、友人も一人もいない人だったので、

病院へ行くと、医者と結託して、毒を注射すると

思っていたらしい。もう笑ってしまうほどの被害

妄想で、入院してからも「ここは二階だけど、

ほんとうは三階なのだ」とか面白いことを言って

いた。そこは一階だった。そういう認識もできない

らしい。そのエピソードは愉快な話ばかりだった。 

冬の時代だった。そして、春は来るものだ。

コロナが来たのは、余計だっただろうが、ほんとう

の処はまだわからない。10年単位で振り返る

だろう。なぜか、僕は10年単位で歴史が区切れ

るようだ。

知人もそうだが、人は自分の親が死んだ年齢とか、

病気が気になるそうだ。親父の亡くなった年齢が過ぎ

て、自分が同じ病気で死なずホッとしたとか、話を聴く。 

僕は認知症を両親で、次々に見ていて、母は記憶が

先にやられたが、人への理解力は残した。父は理解

も記憶もやられたが、被害妄想は薬で消えた。 

そして、その後期というのは、二人とも僕は誰だか

わからなくなって、他人のようだった。僕の理解も

そうだった。認知症で人は変わってしまう。もう

親だと思わずに、気の毒な老人の世話だと思って

世話をする、その切り替えができて、無駄に感情的

にならないし、自分の気持ちの整理もついた。 


認知症は現在、400万人以上、2025年には65歳

以上の高齢者の5人に1人がなるらしい。

つまり、コロナに羅患するよりもその率は高い。あと

4年で特効薬ができる期待も薄いだろう。親の年齢を

考え、その時自分が何歳になっているか、また自治体

のどんなサービスが受けられるのか、自宅介護が

厳しい人は調べておいた方がいい。  

父の三回忌を終えてから、もう十年だろうか、亡くなって

葬儀を終えてからは、静かにしみじみと解放感がきた

のを覚えている。と同時に、第二の自己に替わってから

の時期だったので、これからの自分流ってなんだろうと

思っていた。どういう人生がスタートするのか、と考えて

いたが、それは意外なもので、予想がつくようなものでは

なかった。それは用意されていたかのように、半年もの間

電話をかけまくって仕事を探したが、ひとつ断ったのを

除いて、全部断られた。もうここなら大丈夫という、過去の

職場でも日数が合わず、今まで最大の待ち期間だった。

そして、老人ホームだと誤解して、面会に行った先が

統合失調症のクリニックで、その45名ほどの病棟の

宿舎の世話管理人の職だった。そこで一大転機が

あって、無意識に突入するきっかけに遭遇する。

別な新しい人生が始まった。「謎」の一気の解明

が始まり、さらにそれが広がる形で深まった。

多くの発見があったと、感慨する次第。それは

ブログを書きながら、その積み重ねる段階で

晴れていった解明だったから、楽しかった。

今はその次に切り替わる段階に入ったのでないか

と、想像しているが、なにが起きるかわからない

のが、僕のパターンなので楽しみだ。

人生が自分の手の中でころがる感覚がある。

しかも、それは期待しても必ず裏切られて、予想も

しない処へ出る。それ次第でどうなるかわから

ないが、力を出し切れば対処できる。そこから

人生を鷲(わし)掴む感覚が芽生える。その自在感

で、そのまま自由を味わうことになる。

勝利は癖になる。その場その場で、目の前に絶望が

いるのはわかっている。それに構っていられない。

ビルとビルの屋上の間のロープの上を、目隠しで渡る、

という気持ちだ。それを渡るしかないのか?

ここぞという時は無条件で、闇雲に自分を信じる。

他に方法がない、どうしようもないから。

そうしてすべてが新しくなる。見るものを新しく感じる。

次もうまくいくと思えたことはない。ギリギリだった。

なぜ助かったのか、わからない。そして、新生活が

始まる。

ただ生きるのではなく、

また、生きようとして、生きたい。


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休日にダミる、 [だべる]

いい加減な気持ちになる、というか、書けたもので 

ブログ作業を終わらせたい、と。言いつつ、期待

するものはある。今日は自主休日なので、そう

いう、ゆるい感じなのだ。 

好きにやりたい。儘になるようにしたい。 

カウボーイブーツってあるけど、思い出すのは

よそ行きのブーツで、博物館に飾るような奴だ。 

日頃の作業で使っているブーツが思い出せない。

それはどうでもいいものだ、昨晩は、馬に乗った

映像をよく観た。時代考証のせいだろうか、やけに

西部劇の街がリアルで、鞍を取り換える動作に

気持ちが入った。ふつうそんなのに感情移入は

しないだろう。馬に乗れるようにしておいたほうが

いいかな、とまで考えたのを覚えている。 

馬に乗った人は大勢いるだろう、ポーニー牧場とか、

動物農場とか、しかし、馬で山道を登った人はいる

だろうか。僕はインド、カシミール地方で小さな馬で

山道を行ったことがあるが、あまりに楽なのに驚いた

ことがある。平らな道を歩いても感じないだろうが、

けっこう急な道でも登ってしまうし、馬の背は乗って

いても、そういう個所でも負担がない。揺れるのも、

なかなか楽しい。大した距離ではなかったので、

少しボラれたのはわかったが、この経験は気持ち

よかったので、許せた。そして、失念していて

わからなかったが、エベレストの下だと思っていた

のが、帰国して数十年も経ってから、それが間違い

で偶然、憧れのナンガパルバートの下を歩いたの

だと知った。帰国してから、そうは経っていなかった

頃にも、メスナーの本を探して(一度書いた)その本

がなく、代わりにあったのが「ナンガパルバート単独行」

で、それが代表作とも知らなかった。精神的な作で、

その本独特で、他の著書にはなかった。すべて僕の

意志はおかまいなしにナンガの下に行って、その本を

選ばされて購入する、という偶然が重なったものだ。

僕に必要な未来がそこで先取りされていた、という。

当時としては珍しいシンクロが、当時は何も知らずに

そういうことが起こっていたのだから、何とも言えない。



歩いて行ける道でも、インド人に聴くと、バスに乗れ、

と言われる。乗ると、3分もしないで着いてしまう。

皆、観光客をカモるグルなのだ、その村一帯が。 

ま、一人旅をしていると、その手のことには慣れて

しまうが、ボラれても言葉が通じないから、これは

取り戻せないとすぐにわかる。それでそうなると、

諦めが早くなる、日本人は金持ちなのだ。 帰りの

バスで車掌に高いバス代に請求され、金額を

ヒンディ語で聞いたら、「言葉を知ってるよ」と

車掌に言われ、バスの中で大勢が笑った。

正規のバス代ですんだ。

1年間、ヒンディ語の授業を受けたが、役に立ったの

はそれと、あと1,2例あるだけだった。英語はまず

通じないし(1970年代だ)、地方ごとに言語が

変わってしまい、にわかヒンディ語だけでは思うように

ならない。

いつになったら、海外を旅できることやら、・・・。 



* ダミる、というのはどんな意味か調べたが、日本語でさえ

なかった。ただに造語で、意味もあるわけではない。

なんだろう? 強いて、だ べってみる 、の略語だろうか。

ま、適当に。
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想像を超えた、豊かな夜 [夜]

深夜になると、 眼が冴えるようだ 

どこかに 置いて来たもの、  

僕の 心が 破れた記憶が  

・・・・・・・・・・・・・・、 

なにか 胸騒ぎがして、 詩の想起とは違う 

そう思いながらも、  夜に 惹かれるのだ。  

未練でもいいのだ、  確かめる。  それを。 

何か 失った気がしない。  この冷静さが 

自分を 見つめさせるのだが、 わからない、  

クリアなまま   眼を見開いたまま  

心は  沈潜する。  

もう  ”自分”には なれない、と  思ってみる。  

戻る自分を 失っても  平気になったのだろうか、 

戻る必要もなかったし、  自分を 気にしていられない、

それが  日常だった、 から。  

人が 想像できるのは  抜け殻になった 自分、  

というものだろう。  そこに 空しささえ  感じるのかも。 

そんなものは  ない。  きれいに、 ない。  

寂しさも   ない、  

孤独も    ない、   

むなしさも   また、 ない。  

どうしてか、  満たされた、  充実さ、 といった

ものが ある。 

それは  古く 見えるものかもしれない、  

帰るべきものが  あったとは  思えない。  

それほど  落ち着ける場所、とか  

あったとか  思えないのだが、  

僕は  夢を  見ていない。  

夢に 生きてきた、  それが  あった、  

その他に  生き方があるとは  思わなかった。  

歌わなくても  歌に  満たされて、  

時に  作った曲が  流れ、 記録しなければ  

消えてしまうことは  知っていた。  

流れるままに  消えていった。  

どんな曲かも、  なにも  思い出さない。  

それが  気持ちいい、  どうだろう?  

この感じ、   感覚が違いすぎ?  

ああ  僕は   どうしたんだろう、  

こんな風に  語るとは、  なにも 飛躍しないで 

なにも  置いて行かないで、  なにも  

不思議なことは、  なく、   ただ  

話して いる。 

もう  自分を記録することが  ないのならば、  

もう  書くことがない、と  思いがち  

それを 心配したのではない。  それが  

わかっていることだから、  それに  期待しても 

なにもならない。  

表現の  手は  離れたのだろう。  

芝居の  幕は  下りたのだろう。  

もう  自分を  演じるので ないのならば、 ・・



ロンドの形式の  音楽のように  

くり返し  独楽のように  回り、  

止まらない  ように  

正しい リズムで、  

心を  回し続けた   それが  

 世界、 だった。  

 それが、   夢 だった。  

止まらない  演奏、  

疲れない  ハスキーな  

回り続ける、  歌声、  

誰も 聴いていない  気持ちよさ 

なにも  気にしなくていい 

そこに  誰も、  自分も、  いなかったから。 


・・・・・・・・・、  そういうこと、・・・・か。 


もう  表現しないで  手に  

入れるもの、  入るもの、  それ。  

それを  言ってしまっていい?  

言わないほうが  いいんじゃないか?  

その人の  楽しみに  なるかも  

そんな 声も、    ある。  

スタップ、  Stop 、  止めて、 

と  声は  ないのだろう。  

どのみち、   それは 今まである

言葉にはない、 ちょっとオクターブの違った、 

微妙な、が、  広い、 心にとって  

十分な 広さを  思わせる、

だから  開放される。  

だから  解放される。  

(ため息を つくよ、   勝手に) 



こういう   しあわせの   感じかたも    あるんだ。  



こういう 

ハイも   あるんだ。  

思っていたのは、  

・・、     ・・、  

それを  伝えようと、  

わからなくても  それがあると、いうことを  

伝えるのはできる と、  そう・・。  

でも、  もう  いいんだ。  

これは  どんなにしても  

想像も  できなかったもの、  

わかり始めた、 と言う時の  

予感に 含まれたような  ・・・・。 



とても  思っても見なかったが、  

来たんだ、  

まったく  どうなったのか、  霧の中で  

でも、  来たんだ、  

ここまで、 (ああ) 想像もしなかったが、  

進んだ、  

進んだ、  

進んでいたんだ。 

どんな 迷いも   無駄では なかった、  

想像も できなかったが、  来てみれば 

理想の 雰囲気とも  言える、  

僕の  方向!  

この  方向だよ!  

気がつかなかったが、  

気がつくはずがない、  

想像とは  過去だから、 

でも、  こういう心が ・・・・・。 



ひとつの、

豊かな  自由が ・・・・。




>>>>>>>>>>>>>>

何か書こうとしている。いいんじゃない、もう。 

この世界は恐ろしい。恐ろしいほど、懐が深い。 

僕のちっぽけな想像力を、恥じさせるほどに、 

僕らは豊かな世界にいる、そして、僕ら自身の

妨害によって、見えない、聴こえない。 

こんなベタな感想を書かねばならないなんて、

なんて書けない世界なんだろう。 それを内抱

するなんて、考えるだけ無駄な気がするが、 

それほどその化学変化は新しいものを生む

ほどなのだろう。 新しいものは、比較するものが、

まだない。それはその瞬間には、誰も書けない、

そうなってしまう、・・そのことを意味する。   



これは一部なんだが、そこにとどまらないものが

広大にあるのを、想像させる。自分からは想像

できないが、この一部の感興が、向こうから来る

から、それを可能にさせている。こういう彩りの

感覚は未経験だ。異なるタイプのものはあったが、

こんな風にまとまった、と言えばいいのだろうか、

感じるのはなかったことだ。もっと先に行けば、

・・・・・、 それはその時にしよう。 
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見かけは柔軟な国でありたい [中国]

時代の流れが変えられれば、と思うのが人の常、

なのだろう。トランプはアメリカの習近平だった。

習近平は中華人民共和国のトランプだ。表に

現れる性格がちがうようだが、中身はよく似て

いる。

日本を考えれば、反日の中より米を勝たせたい、

と思うのが人情なのだが、米のトランプのほうが

内部事情が悪く、隠していた予想の通りになり

そうだ。この1,2年で習が大きなミスを犯さない

限り、中国は覇権を広げ、確実なものにしてゆく

だろう。そのシナリオは避けたいものだったが、

歴史はそのように動いているのだから、その

ようにの中で対処するしかないだろう。

まったくの監視社会というステージが日本も

影響を被って、マイナンバーがらみで行われる

だろう。これがコロナからの対策であるのも、

一昨年から想定内だった。

人は変わらない、自分の希望に託して、こうなる

というものさえ、避けられればと考え、見ない

ようにする。こういう思い通りになるのは、悔しさ

があるが、しかたない。

習の欠点は、頑固さにあるが、そのがんこさの裏

に意外に腰が軽いことにある。これは内面で矛盾

しているので、このバランスが崩されると気弱に

なることだ。 トランプとの会談でも、ちょっとした

表情にそれが出ていた。本人としては社交家に

なりたくはないが、それも自分なので演じるが、

強面の独裁者になりたいのだろう。もちろん、

内面の話で表向きは柔軟さを装って笑顔で

通したいはず。 

米国、欧州にもアジアにも相当根を張っている

から、その自信はこれからどんどん顔を利かせて

くるだろう。日本の土地も、観光地を相当手に

入れている。凄まじいのは、尖閣攻撃、サイバー

攻撃。これには政府も対応人事不足で、小学生

からプログラミング授業を本課程にしたくらい。

遅い。それに数学が得意な子にさせたほうが

効率的。できない子は思考の筋が違うので無理

だと思うが。それに代わる、単なるお絵かきとか、

楽器演奏だけではない、根本からの感覚野の

授業を設けるべきだ、と。

核軍縮というのは、僕にはしっくりこない。多くの

途上国、核を持たない国からの核兵器禁止条約

はまるで高額な銃を持てない貧乏人が銃を

持って強権を発揮している金持ちに対して、銃を

禁止にしろ、と言っているようなもので、声を

上げるのは賛成だが、戦争反対と同じで、現実

に効果があるにはそれだけでは足りない気が

する。実際、核を持っているか、第2次大戦の

戦勝国はすべての国がこの禁止条約に参加

していない。北朝鮮の現実視が利口に見える。

日本は中国にも米国にも愛想を振りまいて、

そこら辺からして現状を把握しているから

そうしているとは思えない。

(昨年までの国家機密費で「領収書なし」で、

支払いを公表する義務もない、6年間平均

毎月8000万円以上使ったというから、随分

使い出があっただろう。米国高官とかに流れた

金もあった?)

米国内はその精神の病巣も根深いので、そこを

どうにか、と思うのだが、文化の背景もあるので

それは社会背景ということだから、医療・経済・

人種問題・貧困格差すべてひっくるめてとなる

から、大変な作業になる。 トランプはアメリカ白人

至上主義が見えていたから、嫌われた。

(当然と言えば、当然)

中国はどうも肌合いで嫌っていたので、書籍は

あるが、調べるのも億劫になっていた。

しかし、まだ一仕事はできる時間はあるので、

放っとくわけにもいかないだろう。 

ま、2,3日、コロナも、コロナ後も長いこれからを

考えてみて。



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