面影はそんなようにならない
どう言っていいのか わからないけれど
ズレるんだね 僕らの 人生は と
いっていいのかどうか
よく わからないけれど
僕が 勧めた曲を 学芸会みたいと 見下していた
君が
いつのまにか それのアルバムを 聴いていたこともあった
君のことと 僕のことは
ズレたまま 終わったのだろうか
僕には 好きになる対象が 必要とか
それだけだったりして
こうして 愛を求めて ひとりになる という
それが たいせつなことだった のだろうか
今 もう過ぎたというには あまりに十分な
時間が 過ぎ去って
この今
僕らが 若いまま 出会ったのなら
僕らは 違っていたのだろうか
僕らは ズレただけ だったのだろうか
君に そっくりな娘(こ)に 会ったよ
それは それは とても おとぎ話
どんな セッティングがあったのか
それは それは とても シュールな時間
そう感じたよ
雪が積もった 陽射しの明るいバス停で
スキーの帰りのバスを待っていた
昼食で 女の子のグループと 話したかったが
いなかった 話す相手なしで このまま
帰る - そう思っていた
小型のバンが君を 降ろして
君の影が 僕の左わきに
僕は 後ろを向いていたのでわからなかったけれど
強烈に この影が、つまり君が
今日話す相手なのだ と感じた
思ったなんてものじゃない 強烈に 感じた
振り返ると すべてが わかった
僕と一緒だった頃の 君がそこにいた
君とは 精神的にケリが ついていた
君は 間違えた選択で 若き誤りだったと
それは きれいな過去になった
けれども
もう一度 その頃の君に 出会うというのは
ショックだった
素晴らしさを 感じた
ありえないことだったから!
顔は まあ似ていた でも
その雰囲気 背格好は 君だった
僕は 足慣らしに 一人でスキーに
君は 学校の先生で 3割の障害者がいて
その子たちのために スキー場の下見に
帰りに ただ一緒のバスになった という偶然だ
君は 君だった
はっきり 強烈に わかったのは
二度とない瞬間だということだった
僕は 一人で来た理由を 話した
君も
舞台に上がった
これが 人生の舞台に上がる ということだった
台本なんかない
バスを降りれば もう舞台は来ない
わかりきっていた
考える暇が なかった
バスで 隣に座って 図々しく 話し続けた
バカな話でも 我慢して
君は 知らないだろうけれど
君は 舞台のヒロインなんだ
物静かで ちょっと皮肉気味で
まったく 君だった
空気が 時間が その場のなにかが
締めつけるほどに 引きしまっていた
あとで時計を見て 20分間だと知ったけれど
時間はなく バスの流す風景の
ちぎれた印象が あるだけ
君が(信じられない!) そこにいて
となりに 僕がいた!
奇跡というのは 言葉に過ぎないだろう
それは もう なにとも交換ができない
特別な瞬間だと すぐに終わってしまう
奇跡の瞬間だと 話しながら
忘れられない こんなことは 信じられない と。
僕の 人生に これが ありえるとは と。
今 思えば こういうのは
とても緊張する しあわせ だ
人生が 舞台だと これほど意識できたことは
なかった なかったよ
そう
これは もう まちがいなく ドラマだった
僕の心を すべて ひっくり返す 瞬間だった
バスを降りて 君は向こうへ 僕は駅のほうへ
君は一度も 振り返らず
そうだろう 呼び止められないように
用心しただろうから
僕は なにか連絡先を 聞かなくていいのか
それが 正しいのかどうか
これでいいのかどうかを 心でくり返していた
でも
彼女は 君じゃない
君の 幻だ 現実の役者だ
それ以上 なにを 期待しよう?
それよりも
これは あまりに興奮を もたらせて
まだ ありえたこととして
現実と 認めるには
気持ちが 揺れ動いていた
終わっていた 確かに
それでも このことが どれほど
素晴らしいことだったか!
間違えても 君と出会ったことは
間違いではなかった!
人生に 間違いは なかった
たぶん
そうなのだ
その舞台に立った 実感が
そう教えていた
実感が
そう教えていた
その時は わからなかったが
面影なんて 突き抜けていた
実感が 出会いの役を こなしたことが
人生の なにかを
鷲づかみに していた
駅の前で 僕は まだ わからずに
佇んでいた
ズレるんだね 僕らの 人生は と
いっていいのかどうか
よく わからないけれど
僕が 勧めた曲を 学芸会みたいと 見下していた
君が
いつのまにか それのアルバムを 聴いていたこともあった
君のことと 僕のことは
ズレたまま 終わったのだろうか
僕には 好きになる対象が 必要とか
それだけだったりして
こうして 愛を求めて ひとりになる という
それが たいせつなことだった のだろうか
今 もう過ぎたというには あまりに十分な
時間が 過ぎ去って
この今
僕らが 若いまま 出会ったのなら
僕らは 違っていたのだろうか
僕らは ズレただけ だったのだろうか
君に そっくりな娘(こ)に 会ったよ
それは それは とても おとぎ話
どんな セッティングがあったのか
それは それは とても シュールな時間
そう感じたよ
雪が積もった 陽射しの明るいバス停で
スキーの帰りのバスを待っていた
昼食で 女の子のグループと 話したかったが
いなかった 話す相手なしで このまま
帰る - そう思っていた
小型のバンが君を 降ろして
君の影が 僕の左わきに
僕は 後ろを向いていたのでわからなかったけれど
強烈に この影が、つまり君が
今日話す相手なのだ と感じた
思ったなんてものじゃない 強烈に 感じた
振り返ると すべてが わかった
僕と一緒だった頃の 君がそこにいた
君とは 精神的にケリが ついていた
君は 間違えた選択で 若き誤りだったと
それは きれいな過去になった
けれども
もう一度 その頃の君に 出会うというのは
ショックだった
素晴らしさを 感じた
ありえないことだったから!
顔は まあ似ていた でも
その雰囲気 背格好は 君だった
僕は 足慣らしに 一人でスキーに
君は 学校の先生で 3割の障害者がいて
その子たちのために スキー場の下見に
帰りに ただ一緒のバスになった という偶然だ
君は 君だった
はっきり 強烈に わかったのは
二度とない瞬間だということだった
僕は 一人で来た理由を 話した
君も
舞台に上がった
これが 人生の舞台に上がる ということだった
台本なんかない
バスを降りれば もう舞台は来ない
わかりきっていた
考える暇が なかった
バスで 隣に座って 図々しく 話し続けた
バカな話でも 我慢して
君は 知らないだろうけれど
君は 舞台のヒロインなんだ
物静かで ちょっと皮肉気味で
まったく 君だった
空気が 時間が その場のなにかが
締めつけるほどに 引きしまっていた
あとで時計を見て 20分間だと知ったけれど
時間はなく バスの流す風景の
ちぎれた印象が あるだけ
君が(信じられない!) そこにいて
となりに 僕がいた!
奇跡というのは 言葉に過ぎないだろう
それは もう なにとも交換ができない
特別な瞬間だと すぐに終わってしまう
奇跡の瞬間だと 話しながら
忘れられない こんなことは 信じられない と。
僕の 人生に これが ありえるとは と。
今 思えば こういうのは
とても緊張する しあわせ だ
人生が 舞台だと これほど意識できたことは
なかった なかったよ
そう
これは もう まちがいなく ドラマだった
僕の心を すべて ひっくり返す 瞬間だった
バスを降りて 君は向こうへ 僕は駅のほうへ
君は一度も 振り返らず
そうだろう 呼び止められないように
用心しただろうから
僕は なにか連絡先を 聞かなくていいのか
それが 正しいのかどうか
これでいいのかどうかを 心でくり返していた
でも
彼女は 君じゃない
君の 幻だ 現実の役者だ
それ以上 なにを 期待しよう?
それよりも
これは あまりに興奮を もたらせて
まだ ありえたこととして
現実と 認めるには
気持ちが 揺れ動いていた
終わっていた 確かに
それでも このことが どれほど
素晴らしいことだったか!
間違えても 君と出会ったことは
間違いではなかった!
人生に 間違いは なかった
たぶん
そうなのだ
その舞台に立った 実感が
そう教えていた
実感が
そう教えていた
その時は わからなかったが
面影なんて 突き抜けていた
実感が 出会いの役を こなしたことが
人生の なにかを
鷲づかみに していた
駅の前で 僕は まだ わからずに
佇んでいた
山男
この足を 見てくれ
この足で 歩いてゆく
2012年には 2度目の挑戦で 富士に初登頂した
みじめでもあった 女の子に登り途中で
よく 抜かれた そんな経験も初めて
夜明けの 予定も 昼近くの登頂になった
ま でも 一度は登っておく富士に 登った
夜中に登り始める 翌日には下りる 弾丸登山も
果たした
北アルプスは 登ったが 富士に登っていないでは
なんだか 山男としては
この先 死ぬまで やり残した気がするだろう
2010年では もう2合を残して 膝に来た痛みが
我慢できない
その膝で その夜のうちに 砂走りを下り
2年で 膝を鍛えるのを 誓った
いいんじゃない これで
それから五年 今度は普通に歩いて 膝に痛みが来た
とうとう そんな年齢か と
でも
負けなかった 自分を信じた
むしろ 山男の 自己治癒力を。
歩くと 右ひざに 強い痛みが 走る
長崎の島へ着いて 最終バスが なかった
荷物もあり 家まで 5,6km あった
まっすぐ足を出せば 痛みは少ない
膝頭を左右に 曲げると 激痛だ
1時間歩いて 荷物を近くの 植え込みに投げた
家まで着いて 車で取りに戻ればいい
車の運転は 楽だった
不思議なことに 翌日は 朝から
足は なんともなくなった
痛みが 引いてしまったし ほぼ
ふつうに 回復してしまって いた
これを機に 意識を膝に 当てることを 覚えた
痛いと来たら 痛いぞと 膝に言ってやるのだ
また不思議なことに
長崎から 座間へ帰ったら 痛みがややぶり返し
左に 痛みが来た
それから 交互に と
いろいろ 紆余曲折しながら
それでも 変わりなかった
激痛には 痛いぞ、このやろー!と
自意識を くり返しぶつけた
痛みは 頭まで達し 血管が切れるかと
それでも 変わりなかった
痛いぞ、このやろー!を くり返した
現在、1年近くになるが 膝は直っていないのか
直っているのか わからない 中間なのだ
長く足を組んでいると 鈍い痛みがあるが
たいしたことはない
信号でも 間に合うように走るくらいは 平気だ
だが 1時間も歩くと かったるくなる
日常生活なら 100% オーケー
膝を使う 運動は1~2時間で いっぱいだろう
なんにせよ 一度も医者へは 行かず
なんの痛み止めも 服用せず
ロハで ただ 山男精神だけで
膝の痛みは 克服された めでたし
足の悪い人は 痛みから逃げることしか していない
気の毒に思うが
激痛と 戦うのは 簡単に やりなさい、とは
言えないものだ
痛がり屋の人は いるから
死ぬ気になったことがない人は たいてい
そういう 痛がり屋だ
山男の話では 腕に深い切り傷を 負った時に
自分で 縫い針で麻酔は もち なしで
傷を 何針も 縫った人がいる
僕の 中学の先生だった
山男の なんたるかを 悟らせてくれた
*現在では、膝の軟骨の移植手術(または代替品か)ができる。
これをすれば一発で痛みはなくなる、と聞いている。痛がり屋の人は
これだろう。
この足で 歩いてゆく
2012年には 2度目の挑戦で 富士に初登頂した
みじめでもあった 女の子に登り途中で
よく 抜かれた そんな経験も初めて
夜明けの 予定も 昼近くの登頂になった
ま でも 一度は登っておく富士に 登った
夜中に登り始める 翌日には下りる 弾丸登山も
果たした
北アルプスは 登ったが 富士に登っていないでは
なんだか 山男としては
この先 死ぬまで やり残した気がするだろう
2010年では もう2合を残して 膝に来た痛みが
我慢できない
その膝で その夜のうちに 砂走りを下り
2年で 膝を鍛えるのを 誓った
いいんじゃない これで
それから五年 今度は普通に歩いて 膝に痛みが来た
とうとう そんな年齢か と
でも
負けなかった 自分を信じた
むしろ 山男の 自己治癒力を。
歩くと 右ひざに 強い痛みが 走る
長崎の島へ着いて 最終バスが なかった
荷物もあり 家まで 5,6km あった
まっすぐ足を出せば 痛みは少ない
膝頭を左右に 曲げると 激痛だ
1時間歩いて 荷物を近くの 植え込みに投げた
家まで着いて 車で取りに戻ればいい
車の運転は 楽だった
不思議なことに 翌日は 朝から
足は なんともなくなった
痛みが 引いてしまったし ほぼ
ふつうに 回復してしまって いた
これを機に 意識を膝に 当てることを 覚えた
痛いと来たら 痛いぞと 膝に言ってやるのだ
また不思議なことに
長崎から 座間へ帰ったら 痛みがややぶり返し
左に 痛みが来た
それから 交互に と
いろいろ 紆余曲折しながら
それでも 変わりなかった
激痛には 痛いぞ、このやろー!と
自意識を くり返しぶつけた
痛みは 頭まで達し 血管が切れるかと
それでも 変わりなかった
痛いぞ、このやろー!を くり返した
現在、1年近くになるが 膝は直っていないのか
直っているのか わからない 中間なのだ
長く足を組んでいると 鈍い痛みがあるが
たいしたことはない
信号でも 間に合うように走るくらいは 平気だ
だが 1時間も歩くと かったるくなる
日常生活なら 100% オーケー
膝を使う 運動は1~2時間で いっぱいだろう
なんにせよ 一度も医者へは 行かず
なんの痛み止めも 服用せず
ロハで ただ 山男精神だけで
膝の痛みは 克服された めでたし
足の悪い人は 痛みから逃げることしか していない
気の毒に思うが
激痛と 戦うのは 簡単に やりなさい、とは
言えないものだ
痛がり屋の人は いるから
死ぬ気になったことがない人は たいてい
そういう 痛がり屋だ
山男の話では 腕に深い切り傷を 負った時に
自分で 縫い針で麻酔は もち なしで
傷を 何針も 縫った人がいる
僕の 中学の先生だった
山男の なんたるかを 悟らせてくれた
*現在では、膝の軟骨の移植手術(または代替品か)ができる。
これをすれば一発で痛みはなくなる、と聞いている。痛がり屋の人は
これだろう。
風邪日記
長崎の島から帰り、風邪をひいていた
微熱だったが、歯を抜く日でもあり、念のため病院に。
おいおい、検査結果はインフルエンザA型だと
歯科医ばかりか、仕事も休む羽目に
と、6日もやすみになって、喜んで ”も” いる。
インフルは風邪ではないらしいが、風邪と言えない
理由が知らないままだった。
肩から背中にかけて筋肉痛だが、熱もたいしたことないので
この2日はどこにも出ずにおとなしくしているつもりだ。
微熱なので、医者の言う「熱が下がったら」の加減が
わからない、はは、と笑うとこじゃないが。
よく寝られるが、よく食べるのに自分で驚く
昨日の昼はかつ丼を食べた。
晩はおでんを、いつもよりうまいと感じながら
かなり食べた。
ふつうのインフルで熱が高かったら、こうは
いかないのだろう
なので、何が悪いのかインフルエンザ、という感想。
でも
詩は 浮かびそうもない、確かに。
集中力は無理らしい
悪くもなし、よくもなし、インフルかな。
微熱だったが、歯を抜く日でもあり、念のため病院に。
おいおい、検査結果はインフルエンザA型だと
歯科医ばかりか、仕事も休む羽目に
と、6日もやすみになって、喜んで ”も” いる。
インフルは風邪ではないらしいが、風邪と言えない
理由が知らないままだった。
肩から背中にかけて筋肉痛だが、熱もたいしたことないので
この2日はどこにも出ずにおとなしくしているつもりだ。
微熱なので、医者の言う「熱が下がったら」の加減が
わからない、はは、と笑うとこじゃないが。
よく寝られるが、よく食べるのに自分で驚く
昨日の昼はかつ丼を食べた。
晩はおでんを、いつもよりうまいと感じながら
かなり食べた。
ふつうのインフルで熱が高かったら、こうは
いかないのだろう
なので、何が悪いのかインフルエンザ、という感想。
でも
詩は 浮かびそうもない、確かに。
集中力は無理らしい
悪くもなし、よくもなし、インフルかな。
タグ:インフルエンザ
ハ ハ ユー
遠くを 流れ 歩く人たちは
陽炎(カゲロウ)のよう
ゆらゆらと 冬なのに
夏の空気が 流れゆく
なにが はじまるのか
なにかが はじまる 春になったような風
季節が 盆暮れいっしょに
やってきたような
風邪熱に 浮かされた ひととき
いい感じ
快適の 通行手形は
こうして 使うんだろう
いい感じ
さわやかに ここに ある
窓辺から 曇り空と 明るくなる家の壁を
見ている
あまりにも 満ち足りて
ここに ある
島の家で ゴキブリの残骸を 見た
バルサンを 焚いたら
大きな蜘蛛が 丸まって 虫の息
なにか めぐりめぐって いるのか
ただの センチか
君に 謝るよ
感謝するよ なんでもいいのか
分け与えるものも ないけれど
金曜日から 土曜日に 急に
切り替わるように
空気が 変わる
ちょうど ガス灯に 火が灯るように
心が 目覚める
そこに ある ハ ハ ユー
ここで 倒れてしまえば
気持ち いいだろう ハ ハ ユー
それで いい
明るい 陽光だ
助けられるまで 歩道で 寝ていようか
赤い靴に 光るエナメルを 眺めて
どこにも 行かない
行く道なんか どこにもない
いいじゃない
このままで
このままで
ハ ハ ユー
AND ユー
陽炎(カゲロウ)のよう
ゆらゆらと 冬なのに
夏の空気が 流れゆく
なにが はじまるのか
なにかが はじまる 春になったような風
季節が 盆暮れいっしょに
やってきたような
風邪熱に 浮かされた ひととき
いい感じ
快適の 通行手形は
こうして 使うんだろう
いい感じ
さわやかに ここに ある
窓辺から 曇り空と 明るくなる家の壁を
見ている
あまりにも 満ち足りて
ここに ある
島の家で ゴキブリの残骸を 見た
バルサンを 焚いたら
大きな蜘蛛が 丸まって 虫の息
なにか めぐりめぐって いるのか
ただの センチか
君に 謝るよ
感謝するよ なんでもいいのか
分け与えるものも ないけれど
金曜日から 土曜日に 急に
切り替わるように
空気が 変わる
ちょうど ガス灯に 火が灯るように
心が 目覚める
そこに ある ハ ハ ユー
ここで 倒れてしまえば
気持ち いいだろう ハ ハ ユー
それで いい
明るい 陽光だ
助けられるまで 歩道で 寝ていようか
赤い靴に 光るエナメルを 眺めて
どこにも 行かない
行く道なんか どこにもない
いいじゃない
このままで
このままで
ハ ハ ユー
AND ユー
遺伝子を学ぶ前に考えること
遺伝子を学ぶ前に考えること>
クロード・レヴィ=ストロースは「構造人類学」を書いている。
こんなことがあった。彼の「悲しき熱帯」を読んでいて、(これは210ページくらいの
文章で60ページくらいを2回に分けて読んだが、確認したら70ページ読んでいた)ある
個所で一度目には気のつかなかった文章に、きらびやかな真理があって、いささか幻想を
含んだ表現になっていた。数ページだけを読んだこともあったので、その部分は3度目に
読むことがあった。そこにあったはずの光が見えた真理が、なにも見えなかった、感じら
れない。
前回読んだ、あの感激はなんだったのか。まるで音楽だった。いつもの音楽でも、いいと
発見した時が最もいい。その後でさらにいいと思える曲も少ないが、ある。
モーツアルトでも、協奏曲だったか、これがこの肝だとはっきりわかる数小節のメロディが
あって、少ないが(モーツアルトは同じテーマをあまりくり返さない)くり返すと必ず、
わかった。それが聴いても、まったく聴こえない日も一度あった。
文章でそれがあるのは珍しい。このブログ以前を読んでいる人にはよくわかることだが、
70ページから数年、いや10年くらいは時間が止まっている、その本に関しては。いつ
読み終えるのか、不明だ、気にしていたらこんなことは起こらない。(開き直って?)
これは雑談だ。
レヴィ=ストロースは代理の人がサルトルと論争をしたので有名だが、サルトルが負けた
ことになっているが、たぶん、そこには単純な勝ち負けではない複雑な事情があるような
気がする。サルトルは論理を(借りて)操るのに上手な論客らしく、主要な著作でも、
マルクスの論理で書くのを許されたいと断っている。
これも雑談だ。(なんだよ)
で、遺伝子というのは蟻の話だ。テレビの教養番組だろう、ちらっと見た時に蟻が女王蟻に
子作りをさせるその合理性について解説していた。働きアリはすべてメスだが、生殖機能は
ない。すべて女王蟻がしている、なぜか。
その解説では遺伝子情報がおのおの別々のメスが子を生むよりも、高い確率で同じ遺伝子を
残せるかららしい。蟻でも純血種というのは残してゆくのが困難なのだろう。なので、蟻の
生活形態は相当に古代からのものだろう、と推察される。
しかし、それを合理性で説明するのは、近視眼だろう。海洋では今でも一人でオスメスが
交代して子をつくる機能をもった、アメーバのような原生動物だけでなく、単為発生や
単為生殖するメスもいて、ふつうに魚でもいる。合理性をいうなら、そのほうが手間暇いら
ずで、よほど合理的だろう。
だから、合理的だから蟻は女王蟻という生殖機能の単一を目指したというような言い方には
信憑性があるとは言えない。こういう発言が当たり前に受け取られ、法則が世界を支配する
というような考えは、ほぼ虚偽である。地球の基礎条件が変ってしまえば、それが生態系に
影響を及ぼす、その程度に応じてどの生物も変化せざるを得ない。それだけの話だ。
蟻がその方式を選んだのは、ある環境からの影響によるもので、ほぼ偶然といえるもの
だろう。
遺伝子自身は、己をそのまま残したい傾向が見られるが、動物がオスメスで生殖してまで
方式を拡張したのにも理由がある。一番もっともらしく、信憑性があると思われるのが、
遺伝子の単一ではなく、他の遺伝子を取り込む方向だ。そのほうが多様性が生まれて、
身体では免疫が増加し、心では環境の多様な変化に対応して、生活の工夫ができる、という
選択だったのだろう、という見解だ(ミトコンドリア参照)。これは人間が考える力を
もったので、昔々単一の遺伝では弱い、倒れてゆく仲間を見て、倒れていない仲間は他の
仲間と交配しているのを見たのだろう。そこで真似をして、ということを長い年月のうちに
獲得していった。そんなとこ。
例えば、レヴィの「構造人類学」は解説しか知らないが、あるフィールドワークでなんか
村の中で4つのグループできていて、その婚姻関係が第三者からは複雑で、Aグループは
Bグループと婚姻できるが、Cグループとはできない。それが4つのグループで互いにそれ
ぞれ違う、という複雑なものだ。
レヴィはそれは近親相姦などで健全な子が生まれないことからつくられたグループ割で
複雑な数学計算をもちいないと導き出せないもので、それが数学も知らない土民が秩序を
持っているのに驚いている。長い原始生活をしてきた彼らなので、長い試行錯誤があった
のだ。
ここでダメだから、あそこに入れて、とか。そうやってうまくいったものを積み重ねて、
ほぼ自然に4つのグループに収まった。これが真相だろう。結果だけから答え(法則とか)
に直結させては、歴史は解けない。
また、ギリシヤ時代には、驚くべきことに30以上の歯車と円盤を組み合わせて、太陽暦、
その時々の星の動き、そして月の満ち欠けまでも将来にわたって計算して示せる、一種の
コンピュータ時計があった。それほど大きくない。一斗缶くらい。海の中から1901年に
発見された。それくらいの計算機械が出るのは1000年後のルネサンス・ヨーロッパの
天文時計まで待たねばならない。レオナルド・ダ・ヴィンチも真っ青だ。
つまり、叡智もよく埋もれてしまうものなのだ。
レオナルドの考えた自動車には、アクセルもブレーキもついていた。エンジンと電気系統
がないだけで、4輪の駆動も現代の自動車に同じ。知も面白い。採用されるには道路が必要
だったろう。
まだ自動車は理解されなかったのだ。
千年ごとに同じものがより完成形で、高度な人工材料で出てくるだけで、つまりは昔の人が
考えた中核になるものが、くり返し登場した、ということだ。
ただの計算機械とコンピュータとは計算に対して考え方が違う。コンピュータは計算の速度を
上げる考え方が機械に生かされている。数人の天才たちによって。回路が技術的に発明され、
その放熱温度を下げる技術が完成して、実現して改良から高度な計算がが爆発した。それが
コンピュータ。
ありゃ、また横道か。
人類は遺伝子の種族保存という方向に転換は与えてはいない。どうして僕らは自己中心とか、
自我を悪者にして、エゴとして嫌うのか。そういう定義のようなものは知っていても、全的に
それがどういうことか気づけないし、それに翻弄されて憎んだり、軽い誤解なら笑ったりして
生きている。情熱が最終的に理性に制されたことはあっても、”征された”ことはない。
感情のコントロールはどうして難しいのか?
僕らは遺伝子と戦っているのだろうか?
それとも自分と戦っているのだろうか?
遺伝子が無機的な科学の知識であるうちは、(体にも心にも)有機的な自分との関係は
明かせないだろう。それはたぶん、関係がある。それを明らかにすることは、僕らにとって
それなりに重要なことである、と僕は考えている。双方から重ね合わせて考えてゆくことが
大切だ、と僕は考える。 以上。 (以上とか言わないと、いくらでも書いてしまう)
'18 . 12 . 3
クロード・レヴィ=ストロースは「構造人類学」を書いている。
こんなことがあった。彼の「悲しき熱帯」を読んでいて、(これは210ページくらいの
文章で60ページくらいを2回に分けて読んだが、確認したら70ページ読んでいた)ある
個所で一度目には気のつかなかった文章に、きらびやかな真理があって、いささか幻想を
含んだ表現になっていた。数ページだけを読んだこともあったので、その部分は3度目に
読むことがあった。そこにあったはずの光が見えた真理が、なにも見えなかった、感じら
れない。
前回読んだ、あの感激はなんだったのか。まるで音楽だった。いつもの音楽でも、いいと
発見した時が最もいい。その後でさらにいいと思える曲も少ないが、ある。
モーツアルトでも、協奏曲だったか、これがこの肝だとはっきりわかる数小節のメロディが
あって、少ないが(モーツアルトは同じテーマをあまりくり返さない)くり返すと必ず、
わかった。それが聴いても、まったく聴こえない日も一度あった。
文章でそれがあるのは珍しい。このブログ以前を読んでいる人にはよくわかることだが、
70ページから数年、いや10年くらいは時間が止まっている、その本に関しては。いつ
読み終えるのか、不明だ、気にしていたらこんなことは起こらない。(開き直って?)
これは雑談だ。
レヴィ=ストロースは代理の人がサルトルと論争をしたので有名だが、サルトルが負けた
ことになっているが、たぶん、そこには単純な勝ち負けではない複雑な事情があるような
気がする。サルトルは論理を(借りて)操るのに上手な論客らしく、主要な著作でも、
マルクスの論理で書くのを許されたいと断っている。
これも雑談だ。(なんだよ)
で、遺伝子というのは蟻の話だ。テレビの教養番組だろう、ちらっと見た時に蟻が女王蟻に
子作りをさせるその合理性について解説していた。働きアリはすべてメスだが、生殖機能は
ない。すべて女王蟻がしている、なぜか。
その解説では遺伝子情報がおのおの別々のメスが子を生むよりも、高い確率で同じ遺伝子を
残せるかららしい。蟻でも純血種というのは残してゆくのが困難なのだろう。なので、蟻の
生活形態は相当に古代からのものだろう、と推察される。
しかし、それを合理性で説明するのは、近視眼だろう。海洋では今でも一人でオスメスが
交代して子をつくる機能をもった、アメーバのような原生動物だけでなく、単為発生や
単為生殖するメスもいて、ふつうに魚でもいる。合理性をいうなら、そのほうが手間暇いら
ずで、よほど合理的だろう。
だから、合理的だから蟻は女王蟻という生殖機能の単一を目指したというような言い方には
信憑性があるとは言えない。こういう発言が当たり前に受け取られ、法則が世界を支配する
というような考えは、ほぼ虚偽である。地球の基礎条件が変ってしまえば、それが生態系に
影響を及ぼす、その程度に応じてどの生物も変化せざるを得ない。それだけの話だ。
蟻がその方式を選んだのは、ある環境からの影響によるもので、ほぼ偶然といえるもの
だろう。
遺伝子自身は、己をそのまま残したい傾向が見られるが、動物がオスメスで生殖してまで
方式を拡張したのにも理由がある。一番もっともらしく、信憑性があると思われるのが、
遺伝子の単一ではなく、他の遺伝子を取り込む方向だ。そのほうが多様性が生まれて、
身体では免疫が増加し、心では環境の多様な変化に対応して、生活の工夫ができる、という
選択だったのだろう、という見解だ(ミトコンドリア参照)。これは人間が考える力を
もったので、昔々単一の遺伝では弱い、倒れてゆく仲間を見て、倒れていない仲間は他の
仲間と交配しているのを見たのだろう。そこで真似をして、ということを長い年月のうちに
獲得していった。そんなとこ。
例えば、レヴィの「構造人類学」は解説しか知らないが、あるフィールドワークでなんか
村の中で4つのグループできていて、その婚姻関係が第三者からは複雑で、Aグループは
Bグループと婚姻できるが、Cグループとはできない。それが4つのグループで互いにそれ
ぞれ違う、という複雑なものだ。
レヴィはそれは近親相姦などで健全な子が生まれないことからつくられたグループ割で
複雑な数学計算をもちいないと導き出せないもので、それが数学も知らない土民が秩序を
持っているのに驚いている。長い原始生活をしてきた彼らなので、長い試行錯誤があった
のだ。
ここでダメだから、あそこに入れて、とか。そうやってうまくいったものを積み重ねて、
ほぼ自然に4つのグループに収まった。これが真相だろう。結果だけから答え(法則とか)
に直結させては、歴史は解けない。
また、ギリシヤ時代には、驚くべきことに30以上の歯車と円盤を組み合わせて、太陽暦、
その時々の星の動き、そして月の満ち欠けまでも将来にわたって計算して示せる、一種の
コンピュータ時計があった。それほど大きくない。一斗缶くらい。海の中から1901年に
発見された。それくらいの計算機械が出るのは1000年後のルネサンス・ヨーロッパの
天文時計まで待たねばならない。レオナルド・ダ・ヴィンチも真っ青だ。
つまり、叡智もよく埋もれてしまうものなのだ。
レオナルドの考えた自動車には、アクセルもブレーキもついていた。エンジンと電気系統
がないだけで、4輪の駆動も現代の自動車に同じ。知も面白い。採用されるには道路が必要
だったろう。
まだ自動車は理解されなかったのだ。
千年ごとに同じものがより完成形で、高度な人工材料で出てくるだけで、つまりは昔の人が
考えた中核になるものが、くり返し登場した、ということだ。
ただの計算機械とコンピュータとは計算に対して考え方が違う。コンピュータは計算の速度を
上げる考え方が機械に生かされている。数人の天才たちによって。回路が技術的に発明され、
その放熱温度を下げる技術が完成して、実現して改良から高度な計算がが爆発した。それが
コンピュータ。
ありゃ、また横道か。
人類は遺伝子の種族保存という方向に転換は与えてはいない。どうして僕らは自己中心とか、
自我を悪者にして、エゴとして嫌うのか。そういう定義のようなものは知っていても、全的に
それがどういうことか気づけないし、それに翻弄されて憎んだり、軽い誤解なら笑ったりして
生きている。情熱が最終的に理性に制されたことはあっても、”征された”ことはない。
感情のコントロールはどうして難しいのか?
僕らは遺伝子と戦っているのだろうか?
それとも自分と戦っているのだろうか?
遺伝子が無機的な科学の知識であるうちは、(体にも心にも)有機的な自分との関係は
明かせないだろう。それはたぶん、関係がある。それを明らかにすることは、僕らにとって
それなりに重要なことである、と僕は考えている。双方から重ね合わせて考えてゆくことが
大切だ、と僕は考える。 以上。 (以上とか言わないと、いくらでも書いてしまう)
'18 . 12 . 3