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自閉症の世界を読む [精神]

昨日は「自閉症の世界」という本を読む。10年ぶりで自分と関連が深い本

だったので、退屈な部分もあったが、先が知りたくて、200ページを

一気に読んだ。3分の1を読んだことになるが、予想通りで、内容が丁寧だった

ので満足した。こういうのは珍しい。大筋で自閉症が今までの発達障害の一種という

ものではなく、自分の世界として生まれ持ってくる、という僕の経験則にも

合っていた。よりはっきりと示してくれたことがよかったのだが、残念ながら

医学的根拠はまだ不足で(残り400ページを予想で)、それはこれからの

課題になるだろうが、今はこの見解を打ち立てた人たちがいたということで

満足したい、と思う。

著者は科学ジャーナリストで精神科の医者ではない。スティーブ・シルバーマン。


自閉症が現れた背景も、第1次世界大戦から2次世界大戦を通じての頃で、

ドイツのヒトラーの優生学推奨から、ユダヤ人への悲劇が始まった頃でその頃の

ヨーロッパやアメリカでも世の役に立たない劣勢因子を持つ人間は殺してしかる

べきだという講演が、当然のように医学界を、世間を席巻していたというから、

詳しくは知らなかったので、恐ろしい風潮で、同時に興味深い。


さて、困ってしまう。ここまで優等生みたいに書いたので、ここからその自閉症と

統合失調症やアスペルガー症候群との違いを説明したり、自閉症の世界を新しく

規定しようとした二人の発見者のことなど書かないと、お決まりの流れにならない。

どうやってそれを省略して、自閉症について書くことをどう紹介しようかと、相変わ

らずに斜めに構えている。

もう僕の流れになっている。これで大丈夫、僕は部分で自閉症的だ。だから、この世界

を半世紀にわたって生きて、しかも乗り越えてしまっているので、この本を紹介する

のに実に適した人間だと言えるだろう。

そして、親が医者に見せるほどには異常な行動をする子供ではなかったので、どこ

まで自閉症だったかなどは、変らずわからない。物心つく頃が10歳とするなら、

その頃トラックにはねられた。精確に言うと、渋滞している車の列から車道を横断

しようとして、同じく少し先の横道に入ろうとして渋滞から反対車線に出てきた

トラックに接触したのだ。横断歩道上ですぐにトラックに気づいたらしい(本人は

頭を打ったショックで記憶がない)。すぐに飛びのいたが間に合わず、トラックに

直接ではなく、サイドミラーに接触した。5m飛ばされて、ころがっていた処から

(気がついた)記憶がある。医者に連れて行かれ、野球帽を取った時に、中が血で

真っ赤で、はじめて頭を切ったのがわかった。5,6針も縫ったのだろうか。

それによって有為な脳的欠陥の症状がでたという記憶はない。一応、報告した。


200ページの、全体では未消化なままだが、二人の学者、一人は「放浪する学者」を

めざした?ハンス・アスペルガーともう一人はその権威になった有能な観察者であった

レオ・カナーによって自閉症は、自然にもたらされた自分のことを先に学習するように

先天的に生れてきた子供たちで、社会にも家庭にもなじまない、人と接するのが不得意

とみなされるいわば、新しい人間たちでこれは予想されたよりも、調査をすると多かった。

この正確な数字は割り出しにくいだろう。統合失調症の子も同じような特徴を示すので

担当医の観察力次第だからだ。少しは例をあげよう:-

「P114

普通の子どもたちが学習する主な動機は、先生に褒められることで(ポジティブに)、

感情的に一体化することにある。しかし、自閉症の子どもたちは、自分たちの強い

興味を追い求め、「自分のために学習」する。彼らは、先生たちが自分についてどう

感じているかは気にならない。ただ真実を知りたいだけである。アスペルガーが見た

ところでは、このような子どもたちにとって最適な先生とは、皆と同じように振る舞う

ことを強要せず、不完全なままで受け入れてくれる人物なのだ。  」


アスペルガーは彼の自分のテキストには続けてこう書く、「要するに、教師自らが「自閉症

的」にならなければならない」と。そして、その「現実の子どもたちの指導においては、

並大抵ではない努力と集中力が必要とされることになる」ので、そういうことを理解する

教師も実践しようとする教師も出てこないわけだ。現在でも、この自閉症への見解を

知っている教師はほぼいないだろう。そうして登校拒否や引きこもりという子どもが

現れても、親も教師も教育委員会もその例で、誰も理解できない。欠陥や障害として

しか見ない。ので彼が自分で克服するまで待たねばならない。

今、大ヒットを続けている音楽家(・他も)米津玄師も自閉症で、障害者扱いされている

が、この本では、くり返すが、社会や人間関係を理解できない持って生まれた性質で、

特別なことに集中力をもつ子どもで、やがて自分で克服するが、それまでは理解され

にくいのだ。

ほんとうに自閉症が精神障害・神経障害・知的障害というカテゴリーと、別の見方の

発達障害というカテゴリーから区別されるのかどうかは、まだ道のりがあるだろう。

でも、

ヒステリーという現象が一時代の障害現象であったことを思うと、自閉症も時代的な

一種の自己防御を必要とした人類的な発露であることも、可能性としては考えられる。

どう見ても世界的な現象であることは間違いない。発達障害も、だから、同じように

そう考えることもできる。

アメリカでの医学的根拠のない、詐欺同然のキレーション治療やらバイオセットなどの

治療はどの医者も勧める「いま自閉症を打ち負かそう!DAN!]という宣伝文句でその

治療のために食料品や大量のビタミン・サプリメントで毎月数千ドル(数十万円)が

子どもの将来に必要な経費だと、バイオ医療の世界は広がった。

親は子どものために目先しか見えなくなっている。が、医学的根拠のないことを知ると、

その親は医者に質問した。「水銀の毒性が低くても、あなたは勧めるのはキレーション

治療だと言うのですか?」すると、医者は「そうです」と。「では水銀の値が高くても、

お勧めの治療はキレーションですか?」と尋ねると、また頷いた。最後にまた

「キレーション治療が適用できない症例は何かあるのでしょうか?」と聞いたところ、

医者は「いいえ」と。それを聞いて、その親は二度とその施設へは行かなかった。

そりゃ、そうだろう。どんな症例でも自閉症なら、すべてにOKな治療など聞いたこと

がない。この医者とバイオセットの療法士は知人でお互いにお互いの患者の親を紹介

して、利益を上げていた。

このバイオ治療の世界の年間売り上げが330億ドル(3兆3000億円)に達し、

アメリカ経済の原動力にもなった。この波は日本にも来るのだろうか?まだ5,6年前

の話である。

僕も「認知症」をしっかり理解したのは、自分の親が健康保険証やら、銀行の通帳やら

やたら失くしはじめてからだった。初めはまだらボケで親が自分でおかしくなりはじめ

ているのを誤魔化せるので、子はまだ親がしっかりしていると思う。ところが、近所の

人には子が自分を殺そうとしていると親が話している、というのをそのうち聞いてしまう

のだ。まだ、10年くらい前のことか。

また、

統合失調症などの軽い患者が住むクリニックに世話管理人として、入らなければそういう

精神障害関係に詳しくなることもなかっただろう。学校の先生の半数が一度は精神科や

神経科のドアをノックする時代である。が、それでもそういうことはほんとうに、身近に

ならなければ知らないままだ。

わざわざそういう憂鬱になりそうな本を読むようには、人間はできていない。僕も自分で

克服して、自分に相応しい環境を生みだすことのほうが人生を無駄にしないと、学んで

きた。これが正しいという自信はなかったが、障害者とは違うのに、(社会的にふつうに)

できることができないとは、感じてきた。そして、子どもたちはどんな障害もない。ただ、

孫の一人は反社会的にも見える夜中の行動など見られるが、僕から比べれば、それほど

心配するほどのこともない。十分にこれから変化して、自分でやって行くだろう。そう

感じるくらいの精神変化でしかない。周囲は、家庭はでも、変った子は手に負えない、と

考えるのだ。しばし、手をかけずに見守っていればいいだけのことだ。

そう言えば、僕は地震・雷・火事・親父の「地震・雷・台風」が大好きで、風で看板が

飛んでしまう中を遊びまわっていた。近所の人が親に、よく外に出しますね、と言った

らしいが、母は「言ってもきかないんですよ。飛び出してしまうんで」と言った言葉を

思い出した。天変地異に異常に興奮するタイプの子どもだったのだ。それで家では

放任主義になった。これもよくないのだが、僕の場合は特別にそれでよかったらしい。

まっすぐに育った。周囲も認めて、あるおばさんは、僕が26才で就職する歳まで

お年玉をくれた。社会性のない素直な僕は、それを当然のようにお礼を言って受け

取った。ふつう”もう受け取れない”、というのを知ったのは、まだ数年先だった(笑)。

さて、自閉症児たちの未来は、どうなるのだろうか。キャベンディッシュという

資産家の科学研究家がいたが、「データを共有することの大切さを認識していた反面、

発見によって名声を得ることには関心がなかった。争ったり議論したりするのを避け、

ただ平穏に自分の実験をしたかった」。

彼はオームよりも先にオームの電流の公式を発見していた。現代の電磁気の理論の

基礎となる法則は、シャルル・オーガスティン・ド・クローンの法則になっている

けれども、彼が最初に発見した。水は単一ではなく酸素と水素の化合物だというのも

ラヴォアジエが発見したことになっているが、これも彼。

彼は完璧な自閉症で、人生のすべてを実験を優先した。


それで思い出すが、クリニックを辞す頃にオランダへ出かけたが、帰って来て、最後

の日に、院長(女性)に死の体験などを話して、意見を聞きたかったし、どんな反応

をするのかも知りたかったしで、尋ねたが、落ち着いてよく話を聴いていた。

それで僕は結婚もしたし、ここまでやって来れたのだから、無の話などは、個性と

思ってそれほど気にすることはない、と話された。その時は、障害を指摘するには

年齢も年齢なので、遠慮して気休めを言ったのでは、と疑ったが、そう思ってみると

彼女の指摘は意外に当たっていたのだな、と思う。彼女自身も気がついていないの

だろうが、自閉症の人はやがて自分で自分のアイデンティティ(自己宛自己証明)を

決めなくてはならなくなるのだ。その場所はまだそれなりの地位を得ていないの

だから。


それで? 自閉症万歳!か、自閉症のために寄付を!か、まだわからないな。(少笑)



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